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インタビュー・斎藤貴男さん
「個人情報保護法」と"内務省の復活"
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1471/konohito/010609.html
◆個人情報保護法の問題点は何なのでしょう。
ここ(本紙)で書いてある通りだ。言論の自由を侵すはっきりと意図のある法案だ。「報道機関は適用除外となる」という言い方を内閣官房はしてはいる。だが、「報道」という限定が問題だ。報道とは何か、という定義は容易ではない。新聞のストレートニュースは報道でも、論評を加えれば報道でない、とはいえない。問題なのは、この法案では、どれが報道でどれが報道でないかを決めるのは内閣府だとしていることだ。だから、新聞協会とか放送協会とか色々な団体が反対している。
たとえば、「週刊現代」が小渕が首相の時に、「NTTドコモ株疑惑」というのをやった。この時、小渕は「これは報道ではない、中傷だ」と言った。書いている方は政治化のスキャンダルを暴く報道だと思っていても、内閣府の方で「これは報道ではなく中傷ですね」と判断しさえすれば、法律の適用除外ではなくなる。この法律は、基本原則があって、本人への開示とかの義務規定がある。その義務を守らなかったら、主務官庁が業者に対して文句を言う。または国民が、主務官庁に文句を言う。内閣府に国民生活局というのがあるが、ここに国民が文句をいって、そして監督官庁に報告する。
スキャンダルを暴露されれば首相は怒る。首相の指示で、内閣府の国民生活局が、著書や編集長、また、社長を呼びつける。そして、国民生活局が、「首相は、これは報道ではなく中傷だと言っている。そして、この記事にある個人情報はどこから手に入れたのかを知りたがっている」と、たとえば私、斎藤に言ってきたとする。だが、当然、ネタもとを明かすわけにはいかない。これはジャーナリズムの鉄則で、こんなことをしたらネタをもってきてくれる人がいなくなってしまう。そこで私が、「言えません」と言えば、担当官は「それでは、あなたは個人情報保護法、第何十条の違反で懲役六ヶ月の刑に処します」となる。これは、完全な言論統制でしょ。これは戦前、治安維持法なんかで小林多喜二が投獄されたり「中央公論」の編集者を軍部が気に入らないとして弾圧拷問して獄中死させた横浜事件と同じだ。つまり、お上が気に入らないとしたものを書いたら、つねに処罰される危険性に晒される。
◆政治家の女性スキャンダルなどは、報道ではないから規制されても仕方がないという人もいますが。
中川官房長官の政治スキャンダルだって、ひとつの歯止めになっている。政治家のの女性関係はプライバシーだというわけにはいかない。女性関係に、そのひとの人間観や本質が表れるわけだから、こうしたスキャンダルを起こす人が、国政を担っていてよいのかというのは当然、論議されるべきことだ。多くの人に強い影響を与える人なのだから。つまり、僕は、公人というのは本来プライバシーというのはあってはならないと思う。極端な話、僕程度だってプライバシーにあたることが暴かれても仕方がないと思っている。まして、大臣クラスの人は暴かれて当然なのだ。だけども、それが行なわれなかったら、こうした歪んだ人間観の持ち主がいつまでも政治家をやることになってしまう。
◆政府が現在報道統制を狙うのはなぜなのでしょう。
今国家が大きく変わろうとしている、ということだ。今年一月に行なわれた中央官庁再編で、新たに「総務省」がつくられた。ここにおいて、いわば戦前の内務省が復活したといえる。特高警察を旧内務省はもっていた。旧内務省は、自治省、総務庁、厚生省、労働省、建設省そして警察を持っていたようなものだ。だから、内務省はあまりにも力を持ちすぎているというので、戦後GHQに解体された。、前に都知事をやっていた鈴木俊一は内務省出身なのだが、彼に取材したところ、やはり、総務省は旧内務省の復活なのだと言っていた。ただしたんなる「復活」ではない。総務省と旧内務省の最大の相違は、郵政省が再編されてこの中に組み入れられたことで、ここがいかにも現代的だと思う。つまり、強大な役所が電気通信と郵便局をも掌握したということだ。
また、いまや権力は人をお金で動かすような大蔵省型の支配よりも、地域で管理していくという流れもある。
◆とおっしゃいますと。
たとえば、今、郵便局には「ひまわりシステム」というのがある。これは、独居老人の方たちにたいするもので、これまでは福祉事務所の職員などがまわって、いろいろ手伝っていたのだが、95、96年頃から、かならず地域を回らねばならない郵便局員が独居老人たちに声をかけたら合理的だということになり、独居老人の住居の前に「ひまわりマーク」をつけることになった。これが泥棒を誘発するとして、警察も回るようになった。そして、いつのまにか郵便局と本来福祉の仕事をするべき役場と福祉協議会と警察と消防がネットワークをつくり、独居老人の情報を共有しようということになってきた。
これは、果たして福祉の話なのか。限りなく、警察による住民支配になっている。直接の関係があるかないかは別にして、国家権力のエネルギーが個人に向かっていることの証左だ。
◆戦前のように個人が権力に逆らえないような仕組みができつつあるのでしょうか。
最近思うが、戦争は大変面白いのではないかと思う、権力を握る人達にとっては。なぜかといえば、自分たちの身内は絶対に危険な戦地に行かなくてよいのだから。その上で、一大スペクタクルを演出できる。他方で、戦争なんかやりたくもない人や、その子供たちがかり出されて人殺しを行なう。挙げ句の果てに、この人自身も殺される。こういう人たちのことが大切なのに、顧みられない。
怖いのは、記者と会って話すという自分の話が公になる場でさえ、最近の上層部の人間は本音を言うことだ。例の、人間の能力は遺伝子で決定されるという優生思想そのものの主張をした江崎玲於奈は、僕に持論をすんなりと喋ったのだ。自分は初め、ものすごいスクープだと思った。だが、そのうち同じような話を聞いたマスコミの記者がいることが分かった。ところが、その記者は「テーマとちがう」といって記事にしなかったという。これはセンスがないとしか言いようがない。また、せっかくこの発言に触れた雑誌もあったのに、少し書いただけで終わっていて、まったくつっこんでいない。この雑誌は「日経ビジネス」だったが、日経だけでなく、全マスコミがいま、そうなっている。これはマスコミの堕落を表している。権力者と同じ目線になっているということだろう。だからこそ、江崎のような人物が平気で遺伝子決定論をしゃべれるという恐ろしい状況ができあがっていると思う。
以上のように斎藤さんに個人情報保護法の危険性とそれを取り巻く状況の危機性について語っていただいた。実際のインタビューでは、多くのことを斎藤さんは語ってくれたにもかかわらず、ほんの一部しか掲載できなかったことを深くお詫びしたい。
参照 『現代思想』 六月号掲載
斎藤貴男<構造改革とグローバル資本−内務省の復活>
【引用終了】
内閣府に報道による関門が設置された。
元経済企画庁である内閣府に国は乗っ取られた。
(参照)
内閣府がすすめるニューパブリック・マネジメントとは?
http://www.asyura2.com/0610/hasan48/msg/811.html
NPM(New Public Management)=新自由主義的な行政経営手法
「高コスト構造の是正」のために、行政を経営主体とみなし、人件費などのコスト削減を第1の目標におく考え方
…住民は顧客(クライアント)、人件費はコスト
リストラしてでも企業利益の追求。顧客意識とは、資本家に対してのみである。資本化以外は人にあらず。産業廃棄物そのものだということです。
※総理府から内閣府に再編されたときから、既存の中央省庁と対立しています。内閣府は戦争ができる普通の国にするために設置された元内務省メンバーの悲願策だったのでは?御覧の通り、内閣府は国連の後押しで、強行的に作り上げられた中央集権そのものです。おそらく殆どの役人は反対しています。
そして、内閣府の検問があるため、戦争に反対している旨はほとんど報道されません。まさに独裁内閣ですね。
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