★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評4 > 165.html
 ★阿修羅♪
「オーマイニュース」 日本も韓国も苦戦中 [J-CASTニュース]
http://www.asyura2.com/0610/hihyo4/msg/165.html
投稿者 white 日時 2006 年 11 月 29 日 20:24:12: QYBiAyr6jr5Ac
 

(回答先: OhmynewsとNewsingとの曖昧な関係を楽しむ!!(FPN) 投稿者 あっくん 日時 2006 年 11 月 29 日 07:57:08)

□「オーマイニュース」 日本も韓国も苦戦中 [J-CASTニュース]

 http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2787868/detail

「オーマイニュース」 日本も韓国も苦戦中
「市民記者」として登録すれば誰でも記事を書くことが出来るとして06年8月末にオープンし、注目を集めたニュースサイト「オーマイニュース」だが、最近はネット上で「祭り」になることもなく、PV(ページビュー)も「低位安定」といったところ。韓国の「本家」も「赤字転落」との説も出ている。いったい、どうなっているのだろうか。

J-CASTニュースでも報じてきたように、8月初めには「開店準備ブログ」が炎上したり、8月28日の正式オープン直後には2ちゃんねらーによる「自作自演記事」を掲載するなど、編集部が望む形かどうかはともかく、注目を集めてきた。

目標は年内に月間1,500万PVだった

9月初めには、鳥越俊太郎編集長とオーマイニューススタッフやブロガーなどが参加するシンポジウムが開かれ、「市民記者」のあり方について議論も行われた。平野日出木編集次長はこの場で、「目標は年内に月間1,500万ページビュー」と、高らかに宣言もしてみせた。
それから2ヶ月。オーマイニュースがネット上で話題に上ることもすっかり少なくなった。この「話題の減少ぶり」は、オーマイニュースへのアクセス数の推移にも現れている。インターネット上のトラフィックを分析しているサイト「Alexa」で、アクセス状況をグラフ表示させてみると、8月末のオープン時が突出している。その後大きく落ちこみ、それからは微減か横ばい。グラフの現在の「山の高さ」は、オープン時に比べると8分の1から9分の1だ。オーマイニュース広報担当によると、現在は1日20万のページビューがあるという。
韓国の「本家」でも、「Alexa」によると04年を境にアクセスは減少を続け、最近では日本版の2倍弱程度で推移しており、06年11月1日の米ビジネスウィーク誌は「06年は赤字転落か」と報じている。
そんな中、大きな動きが起こった。これまでオーマイニュースには名前や住所、銀行口座番号などを登録する必要がある「市民記者」と、銀行口座を登録する必要はないが、コメント欄にだけ投稿できて記事を書くことはできない「オピニオン会員」という2つの会員制度があったが、11月17日正午をもって「オピニオン会員」が廃止され、「市民記者」に一本化されたのだ。「オピニオン会員」は、「市民記者」より匿名性が高いため、コメント欄が荒れがちだったのが、この制度変更のきっかけだった。この決定を行うにあたって、コメント欄でオピニオン会員の間で議論が行われたが、最後は編集部側で「やはりまとまらない感じですよね」と、なかば押し切った形で決定されたことに対して、批判も起こっている。編集委員でジャーナリストの佐々木俊尚さんは、この決定プロセスについてCNETのブログで長文の記事を掲載して批判している。

実際に記事を書いているのは約400人

こうした動きについてオーマイニュース広報担当は、J-CASTニュースに対してこう話す。

「出来れば市民記者という制度で一本化したいです。(制度変更前の)11月14日時点では、1,431人のオピニオン会員がいましたが、制度変更以降は、実際に100人以上が市民記者に移行しています」

さらに、登録している市民記者は2,513人いる(11月28日16時現在)のに対して、実際に記事を書いているのは約400人に過ぎないことを明かし、

「映像コンテンツを強化したり、色々な記事の書き方(切り口)を紹介して、もっと多くの人に記事を書いてもらえるように働きかけるなどして、巻き返しを図ります」

という。


2006年11月29日19時17分


▽関連記事

□平野日出木さん、本当にそれでいいんですか?(上)

 http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/11/post_8.html

平野日出木さん、本当にそれでいいんですか?(上)
November 23, 2006 5:49 PM

 オーマイニュースがこの11月、決定的局面を迎えた。引き金は、コメント欄に書き込めるオピニオン会員制度を廃止し、市民記者に一本化したことである。だが重要なのは制度の問題ではなく、この制度変更がどのようなプロセスで行われたのかということだ。
 このブログに、これまでの経緯を書き留めておこうと思う。
 オーマイニュース上で【ご意見募集】「この記事にひと言」欄についてが掲載されたのは、10月19日朝である。
 この以前に、私はオーマイニュース編集部の平野日出木デスクから相談を受けていた。このあたりのやりとりについては、月刊誌「論座」12月号に書いた「市民ジャーナリズムは、混乱と炎上を越えて立ち上がるか オーマイニュース日本版船出の裏側」という記事で詳しく述べた。この記事は、論座のウェブサイトに掲載されている。市民記者から以下のような声が上がっているというのだ。
 「記事の内容とは関係のない書き込みを何とかしてほしい」「誹謗中傷がひどすぎる。これでは議論にならない」「ほかのサイトのURLを貼るのはいかがなものか」「記事を削除してほしい」「『ひと言』欄を読むのが怖い。もう記事を書きたくない」、そして「このような誹謗中傷を書き込まれるなら、市民記者を辞めたい」
 オーマイニュースには、「市民記者会員」と「オピニオン会員」という2種類の会員制度がある。市民記者は名前や住所、銀行口座番号などを登録しなければならない。一方、記事のコメント欄(この記事にひと言欄)だけに書き込めるオピニオン会員は、基本的にはメールアドレスを記入さえすれば登録可能で、匿名性が高い。
 8月のスタート直後から、オーマイニュースのコメント欄は荒れまくった。その原因のかなりの部分は、人々が期待したほどには記事の質が高くなかったことがある。説得力がない強引な記事がオーマイにはあふれていて、それらに対して批判的なコメントが集中したのは当然だった。だがその一方で、オピニオン会員の中にはかなりひどい罵声を市民記者に対して浴びせる人も少なくなかった。それは日本のネット文化としてはごく普通の出来事なのだが、しかしこうした罵声の集合体が、ネットのコミュニティに慣れていなかった編集部や一部市民記者の神経を逆なでしてしまったのだった。
 オピニオン会員の中には、そうした論調に対して「記事内容がひどいからではないか。ひどい記事を書いておいて、批判がけしからんというのはあまりにも排他的な考え方だ」「そもそも市民記者はコメント欄での議論にほとんど参加していないではないか」と反論をする人が多かった。私もそうした意見には賛成だったし、繰り返し平野次長にはそうアドバイスしたのだが、しかし編集部では「匿名性の高いオピニオン会員の存在が、オーマイニュースを荒れさせる原因になっている」と判断するようになってしまったのである。
 8月にオープンして以降、オーマイニュースは9月から10月にかけてページビューがかなり下がってしまった。このあたりはAlexaのグラフを見ていただければわかる。この状態を何とか持ち直し、ページビューと市民記者を増やして、バナー広告も入るようにするというのが編集部に課せられたテーマで、そこで導き出された結論は「荒れた状態を解消すれば、市民記者がどんどん原稿を書くようになり、広告も入るようになるのではないか」ということだった。その背景には、オーマイニュースが「実名による責任ある参加」を標榜しているのにもかかわらず、実名ではないオピニオン会員の声が大きくなってしまっていることへの編集部の危惧(あるいは反発)もあったようだ。
 それで「論座」に書いたように、平野デスクは10月11日に私と会った際、「『ひと言』欄に記事への批判が書かれると、こんなふうに記事を書けなくなってしまう市民記者が少なからずいる。発言できる市民記者をできるだけ増やすためには、何らかの形で『ひと言』欄の運用ルールを変える必要があると思う」と言ったのだった。私はこれに対して、反発は必ず起きるし、その反発をきちんと受け止める方法を考えなければならないというような意味のことを話した。平野デスクはその時は最終的に「反対があるのなら、きちんと議論して、説得していくしかないと思う」と結論を下して、それで10月19日の上記記事になったのである。

****
オーマイニュースは今、悩んでいます。「この記事にひと言」欄の最適な運営方法は何か、と。 そこで、市民記者とオピニオン会員のみなさんにご意見を伺おうと、この記事を掲載することにしました。
****

 そしてこの記事のコメント欄で、議論がスタートした。たとえば、以下のような意見が出た。まずコメント133番、木舟周作氏。

****
まずコメント欄の在り方について。私は基本的には現状容認です。コメント欄の廃止には反対であり、もしコメント欄の開閉を記者自身が選択できるとしても、私は閉じるつもりはありません。(中略)これは私の主観ですが、創刊当初に比べるとどうしようもない中傷の類は減り、まっとうなコメントをされる方の割合が徐々に増えているような気がします。あまりに国語力のないコメントは、やはり無視され淘汰されていくのではないでしょうか。
***

 162番、マツ氏。

****
ネットでオープンにやるからには、そこにあるものは玉石混淆です。小さくはストレスを感じさせられるもの、大きくは攻撃されるリスクは避けられません。そして、反論も賛同もせずに黙殺ばかり。優しい言葉は欲しいけれど異論はお断り。選ぶ力も、守る力も、避ける力も、耐える力もないのならば諦めてください。その苦悩をここに放り投げている時点で、その努力すらも放棄したと言えます。
****

 全般的に見て、コメント欄の存続を求める声が圧倒的に多かった。そしてこれに対してコメント欄209番で、編集部の二木頼之デスクがそれまでの意見を集約してまとめたうえで、こう書いた。

***
もう1つ、みなさんにお聞きしたいことがあります。 「我々は実名で記事を書いているのに、彼らがニックネームなのはおかしい。お互い実名で議論すべきだ。今は“責任ある参加”とは言えない」――ある市民記者からのこの意見について、どうお考えになりますか?
***

 実はこの議論がスタートした段階で、編集部はオピニオン会員制度の変更についていくつかの素案を持っていた。それらは公にはされていなかったのだが、有力候補のひとつとしてオピニオン会員制度の市民記者への統合、もしくはオピニオン会員の実名化という案があったのである。二木デスクのこの質問は、この素案に沿ったものだった。
 この「実名化」という投げかけに対しても、否定的な意見が多数をしめた。「実名=責任ある参加、匿名=無責任などという妄想が、一体どこから出てくるのやら。脳内妄想を垂れ流し、コメント欄でさんざん寄せられた批判は完全無視(そのくせ個人のブログには出没して大暴れ)、その上何の反省もない駄文を2本も3本も投稿し続ける、音羽理史記者のような人間が、責任ある参加とやらを果たしていると言えるんですか?」「実名でも仮名でも、書いた文章がすべてでしょう。一般市民の名前が出たところで、何の意味もありませんよ。実名は、名前を出したい職業記者だけでもいいじゃないんですかね」「正直言って、今の日本社会で特にサラリーマンをしていて実名をさらして批判のコメントは書けないでしょう。自社あるは自業界に関する記事で事実誤認があったとしても実名では誰が見ているかわからないサイトで指摘はしにくいと思います」
 そしてコメント334番になって、平野デスクが書き込みを始めた。

****
記事の質が悪いから、コメント欄にきつい書き込みが集まるのだというご意見が多数ありました。そういう面があるかもしれません。ただし、編集部としては誹謗中傷は多寡の問題ではなく、ゼロにしたいと思っています。
****

 私はこのコメントを読んで、彼のネットコミュニティに対するこうした理解のしかたが、ここまで事態を悪化させたのではないかと思った。たしかにコメント欄には、罵声や誹謗中傷といったノイズのようなものも含まれている。きつい批判もある。しかしインターネットのコミュニティでは、聞きたくない批判はもちろん「ノイズ」だって存在するのが当然であって、それらを排除してはならない。「ゼロにしたい」というのは排除の論理であって、ネットのコミュニティで運営側が発言すべき言葉ではないと思ったのだ。おまけにここは、単なるネットコミュニティではない。市民ジャーナリズムを標榜するメディアなのだ。排除の論理と市民ジャーナリズムがなぜ同居できてしまうのか。
 ネットで議論を行うのであれば、それらのノイズについてはとりあえず頭の片隅に押しやったうえで、有用なコメント、優良なコメントだけをUFOキャッチャーによってすくい上げ、それら有用・優良なコメントがどのような意見交換を行っていて、どのような結論に向かっているのかを見ていかなければならない。もちろん、その「ノイズを頭の片隅に押しやる」という作業自体を、アーキテクチャによって実現することも可能だ。たとえばスラッシュドットのコメント評価システムなどはその好例だろう。しかし現状のオーマイニュースはまだ二次開発が具体的にスケジュール化されておらず、あと数か月は現行のひどいサイトのままで運営していかなければならない。となると、ノイズをどう処理するのかは、編集部や市民記者、オピニオン会員ひとりひとりのスキルにゆだねられることになる。
 「コメント欄は誹謗中傷ばかりだ」と苦情を言っている市民記者や編集部員は、ネットの世界に慣れていないから、ノイズばかりが目に入ってしまうのだ。一方、ネット議論に習熟している人たちは、意識的にも無意識的にもそうしたノイズを水面下に押しやってしまい、ノイズはあまり気にならない。
 とはいえ、この段階までの平野デスクの行動は整合性があった。コメント662番では、議論で提出されたアイデアとして、次のような意見があったと集約。
a. コメント記入ルールを見直し、それを徹底する
b. 文字数を制限する
c. 1記事に対する投稿回数を制限する
d. 記者にコメント削除権を持たせる
e. 記者にコメント開閉を選ばせる
f. 編集部がコメントをフィルターする
g. ボランティアを募り監視する
h. コメントを検索対象に含める
i. コメントの推薦機能をつける
j. コメント欄をツリー形状にし、論点が明確になるようにする
k. サイト内にブログを実装し、記事へのトラックバックをつけられるようにする
 そして編集部では、以下のような方法を考えていると提案し、「この案に対するご意見を30日(月曜)18時まで受け付け、そのご意見を熟慮したうえで、11月アタマをメドに決定をお伝えします」と書いたのである。
1.オピニオン会員の登録情報をより詳細にし、厳密に確認する。今の登録方法を改め、住所、電話、職業を追加記入していただく。
2.コメント欄は当面、ニックネーム(プラスID)で継続する。
3.ソーシャルブックマークへのリンクボタンを設置する。
 これに対して、コメント欄では反発が多数を占めるとともに、ひらりん氏が819番でこう書いたように、「編集部はなぜその結論に達したのか」ということを聞く質問も多く出た。

****
お願いなのですが、「編集部の総意」にいたる過程を公開していただけないでしょうか。議事録、レジメ、いかなる形でもよいのですが可能でしょうか。時期ははやいにこしたことはありませんが……。
****

 しかし平野デスクは「編集部の総意です」と短く答えるのみで、詳細な説明は行わなかった。
 そして11月10日。鳥越俊太郎編集長のクレジットで、「この記事にひと言」欄への参加方法を改定しますという記事が掲載される。ここでは先に平野デスクが提案した内容からさらに踏み込み、オピニオン会員を廃止して市民記者のみがコメント欄に書き込めるという改定内容が発表されたのである。
 以下、明日に続く。


□平野日出木さん、本当にそれでいいんですか?(下)

 http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/11/post_9.html

平野日出木さん、本当にそれでいいんですか?(下)
November 24, 2006 9:19 PM

 11月10日、鳥越俊太郎編集長のクレジットで、「この記事にひと言」欄への参加方法を改定しますという記事が掲載された。11月17日正午を持って、オピニオン会員を廃止し、書き込みできないようにするというのである。これはオーマイニュースにとって、決定的な判断だった。
 この直前、私は平野デスク、市民記者組織本部の田中康文氏とミーティングしている。この時、田中氏は「オピニオン会員を残し、その登録ハードルを上げるA案と、オピニオン会員を廃止して市民記者に一本化するB案がある」と説明し、「市民記者とA案におけるオピニオン会員の違いは、ただ銀行口座を書いてもらうかどうかだけ。だったらいっそ、すっきりと市民記者に一本化するB案の方がわかりやすいと思う」と話した。
 私は彼に「それは違う」と異論を唱えた。そしてこう説明した。「オピニオン会員という制度はたしかにオーマイニュース編集部という運営サイドの側が恣意的に作ったものだけれども、その制度が実際に運用されて動き出せば、そこに集まってくる人たちによって新たな文化、新たな圏域が作られていく。仮にオピニオン会員と市民記者が制度的にはほとんど同じものだったとしても、そこに『差がない』と言い切ってしまうのはあまりに無神経すぎるし、そのような無神経さではネットのCGMを運営することはできないのではないか」
 インターネット上のコミュニティ、CGMというのはある種の「空気」のようなものをネット上に作り出すことであって、そこに集まってきたさまざまな人たちは、ともに同じ「空気」を醸成していく。その「空気」は制度でもアーキテクチャでもなく、あくまでも言葉にできない皮膚感覚のようなものであって、運営企業の側が細心の注意をしなければ簡単に壊れてしまうし、一度壊れてしまえば、元通りにはならないのだ。
 だがその日の夜、編集部はB案で決定した。当然、この記事のコメント欄では、オピニオン会員からの猛反発が巻き起こった。これらの反発に対して、田中氏はコメント47番で以下のように書いた。

****
編集部では、大変真剣な検討を行ってきました。また、今でも細かい部分を含め、本当にいろいろな可能性を毎日考えています。ただ、そのプロセスが見えにくいというご指摘に対しては、まったくもってこちらの力不足です。
****

 これに対して52番でだつきよ氏は、こう質問を投げた。

****
恐縮ですが、そのように認識されているのであれば、今回決定したそれぞれの項目に対して、何故そのような決定に至ったのかを記事にして掲載されてはいかがでしょうか? 今回オピニオン会員の皆さんが辛辣なコメントを寄せているのは、その決定に至るプロセスが非常に不透明であり、しかも一方的であるからです。どのような経緯であれ、十分な説明があるなら良識あるオピニオン会員の皆さんはある程度納得できるであろうと思います。 行政や企業に透明性が求められているようにOhmyNewsにももっと透明性を求めたいです。
****

 また84番で、ひらりん氏からのこんな意見もあった。

****
 オピニオン会員側の検討プロセスと編集部の検討プロセスに断絶があるのは何故か? 編集部はオピニオン会員ときちんと向き合って議論してこなかった。その後オピニオン会員は独自の議論、提案を行ってきた。無駄な労力を使っていたのか? 結論にいたるレールが編集部によりあらかじめしかれていたなら、なぜその過程をオープンにできなかったのか?
****

 これに対して田中氏は、「記事が掲載された時点では、『編集部の検討プロセス』はあっても、『オピニオン会員の検討プロセス』の登場を認識できていなかったかもしれません。そのため、日々検討して、そして『編集部内の検討プロセスでは十分に皆さんの意見を反映しています』といくらお伝えしても、それがオピニオン会員の皆さんの側に見えない。単発の編集部コメントの登場でしかなく、『双方による検討プロセス』の体をなしていなかったのかもしれません」と返答し、編集部の意志決定プロセスに欠陥があったことを素直に認めたのだが、しかしこうした田中氏のような意見は編集部の総意ではなかった。
 結局のところ、編集部はオピニオン会員の議論とはまったく別の場所で独自の議論を行い、そして独自の決定を下したのだった。そうであれば、「悩んでいます。議論をしてください」と言われ、三週間にわたって激論を繰り広げてきたオピニオン会員たちが怒らないわけがない。「意見を求める」と編集部が公言するのであれば、「形式的に意見を求めたのだから、それでOK」とするのではなく、きちんと意見を集約することが運営側の責務である。しかし平野デスクは私に対し、ミーティングの場で「とりあえず意見を求めたという形だけを作れば、それでOKなんじゃないの?」と言い出したこともあり、その発言に私はかなり仰天したのだった。
 平野デスクはコメント307番で、編集部の決定プロセスを公開した。

****
集部に最後までの残った案は2つあって、そのひとつは137でたろちゃさんからご提案いただいている(1)(2)(3)に近いもの、すなわちオピニオン会員を残し、その登録ハードルを上げるというものでした(具体的には、銀行口座以外は、市民記者と同じ項目を記入していただく)。 これをA案、11日に鳥越が記事化した市民記者と統合する案をB案として、この2つのオプションを、我らが佐々木俊尚編集委員と、日ごろアドバイスを頂戴している藤代裕之氏にご意見をうかがいました。佐々木編集委員はA案を推し、これに対し藤代氏はB案を推しました。私個人的にはA案でした。(編集長は明言しませんでしたが、推測するに、コメント欄不要説だったかと思います) 最終的にB案に決めたのは、普段、私たちはネット界の大先輩である佐々木、藤代両氏のアドバイスをいずれも尊重しておるのですが、今回のケースの場合、サイト運営にかかわりが深い後者の発言を重視したこと、市民記者獲得に直接関わる田中がB案を推したこと、コメント欄で編集部・西野浩史の成りすましが出たこと、弊社取締役からシステム的にコストの少ない方法を取るよう指示が下っていたこと(詳細は省きますが、A案の方が当面の資金の出が大きい)などを総合的に勘案してです。
****

 そしてこのコメントの最後に、彼はこう書いたのである。「たろちゃさんのご試案の(1)(2)(3)で、もし、現在の編集部決定に反対の方が1本にまとまるのであれば、それで行くよう当方の関係者を説得いたしましょう」
 「たろちゃ試案」というのは、次のようなものだ。(1)コメント欄は現状のニックネーム+IDを継続。(2)記事を増やすために記事にもニックネームを許容する。ただし、本人性の確認は厳しくし、住所の確認および銀行口座の確認は必須。(3)オピニオン会員の本人性の確認のため、住所の登録は必須とする。ただし銀行口座、所属する会社名などについては必須項目とはしない。
 実のところ、このあたりの制度の問題に関してはさまざまな意見や異論もあるだろうし、今回のエントリーで書きたい中心テーマではない。私がこの長いエントリーで主張したいと思っているのは、オーマイニュースというサイトの制度の話ではなく、市民ジャーナリズムを標榜するメディアが、どのようなプロセスで意見を集約していくのか、ということだ。
 ネットのメディアが「場」であるとすれば、その場には漠然とした空気が作られていく。掲示板やブログコメント欄などで書かれる「空気読め」というのが、その空気に最も近いものかもしれない。かりにその場で醸成された「空気」が、オピニオン会員の廃止の方向へと集約されていくのであれば、それはそれで構わない。つまりは主導権はユーザーの側にあるのであって、運営側にはない。このあたりの「主権」をどう見るかが、実のところ、ネットコミュニティではもっとも重要な概念なのだ。
 では、そこで集まってきた意見や議論というのは、どのように集約されていくべきなのか。単にさまざまな意見を聞くというだけであれば、それらの意見はそのまま雑然と放置されていても構わない。だがそこにある種の世論形成機能を求めるのであれば、何らかの仕掛けによってその集合知をまとめていくスキームが必要になってくる。
 そしてもちろん、そのスキームを実行に移すのは、「場」を運営している側である。今回の例でいえば、オーマイニュースがコメント欄での議論の行き先を見守り、それらの議論の意見がうまく集約していくように人的に対応すべきである(もちろんその集約がアーキテクチャによって行われればそれに越したことはないのかもしれないが、しかし現在のところオーマイニュースのコメント欄にそうした機能は実装されていない)。
 しかし平野デスクは、なぜか「とりまとめ」をオピニオン会員の側に投げてしまう。投げられたたろちゃ氏の側も、困惑のコメントをこう返した。「平野さん、A案は僕が言い出したことだから僕にまとめろ、と言っていますが、僕は無給料でやっていることをきちんとわきまえてくださいね。本来であればこの作業というのは「われわれも議論に加わります」と言った編集部がやらなければならない作業だってことを理解していますか? 編集部が「ひと言欄をどうするべきか」についてオピニオン側に意見を求め、それを議論しながらまとめていくのが筋ですよね」
 さらに決定的だったのは、この後の議論の結末である。
 たろちゃ氏をはじめとするオピニオン会員たちは、平野氏の「一本にまとめてください」という提案に従って、その後も議論を続行した。スラッシュドットのコメント評価システムの導入を求める提案も出たほか、11月17日の執行をいったん停止し、議論を続行するように求める声も少なくなかった。「鳥越編集長の署名で発表されているのだから、鳥越編集長が議論に参加するべきではないか」という声もあった。ところがこうした声を無視するように、11月14日には改定内容を既成事実として書いたメールが、オピニオン会員全員に送信される。
 対案を出し、「一本化してほしい」と下駄を預けられたたろちゃ氏はこの日、叫びが聞こえてくるような内容のコメントをアップロードした。

****
平野さん、どうしましょうか? 平野さんの感覚にしますか? それともこれから僕が「このひと言欄でこの人とこの人から賛同をいただきました」というリストを作れば良いですか? #と言ってもリストを作ってもそのリストで充分かどうかは結局平野さんの判断になるわけですが。
****

 そして664番で、平野デスクのとどめの一撃が来る。

****
取りまとめのご努力、アタマが下がります。ただ、やはりまとまらない感じですよね、残念ながら。
当方のBATNAであるA案でそちらがまとまるようであれば、後はこちらは対応すると申し上げましたが、「相変わらず鳥越氏は出てこない。…編集部は信用できない」(636aikimaruさん)、「編集部はだれも、オピニオンの意見を聞こうなんて思っていないでしょう。…市民記者には双方向で自由を保障するが、その資格は編集部様に身も心もさらけ出した同士でなければならぬ」(621勤務医Aさん)、「結局編集部は『オピニオン会員ともこんなにも話し合いました!』…ってポーズを取りたい為に最低限出てきただけみたいですねw」(593かざまさん)といった声が絶えません。
メールが来ないという不満があるかと思えば、メールが届けば「エンタメにカテゴリされていることから察するに、実は編集部による壮大な釣りではないかと思う。しかしわざわざメールまで出すとは」(628Xさん)、「届きましたよ!オーマイニュースの自殺予告が」(619スナギモさん)、「おれの所にも北――!相変わらずですな、社会人としての常識ネットとしての常識もないのか」(599吉田光男さん)とおっしゃります。ちなみにメールで「改正案」とあったのは誤記で、正しくは「改正」です。
加えて、「所詮はペテン禿の企業の提灯記事を書くために作られたメディアだったのか」(596straysheepさん)とのご批判や、「一度認めてしまえばずるずると永久に認めざるを得ない、日本人は…痛いほどそれを学んでいるはず(だから10日の決定を覆さずに初心を貫徹しろ、丸カッコ内平野解釈)」(611罵倒観音さん)とのアドバイスも頂戴しました。
ほかにもスナギモさんのような独自案をお持ちの方、乾坤老士さんのように編集部案を推してくださる方、さまざまです。要するに、有力オピニオン会員の方のご意見はいろいろあって、いいたい放題、収束しないということです。ここまで当サイトを愛してくださった方々が抜けてしまわれる点については、大変惜しいと感じておりますが、A案でも、たろちゃさん案でも、編集部の決定でも、不平不満は続くだろうし、おっしゃりたい放題、遊び放題は続くだろうということです。ということで、編集部で再度検討した結果、10日の既定方針通り、オピニオン会員の市民記者への登録ご変更で対応することにいたしました。
****

 本来、編集部でとりまとめを行うべきだった議論を放置し、「そちらでまとめてください」とボールを投げ、さらにそのボールに対してすがるようにオピニオン会員たちがあれこれと議論をしたことに対して、「やはりまとまらない感じですよね」のひとことでバッサリと切り捨ててしまったのである。さらにこれらの議論に対しても、「不平不満は続くだろうし、おっしゃりたい放題、遊び放題は続くだろう」という表現で切り捨ててしまった。
 もちろん、ネットのコメント欄での議論である以上、議論は整然とは行われない。さまざまな意見が出るし、中には遊びのコメントや罵声、皮肉も流れ込んでくる。だがそこにはある種の空気が醸成されていっているわけで、その空気がどの方向に向かうのかを慎重に見極めながら、議論の行く末を制度改正案へとまとめていく――それが編集部に求められていた役割だった。だが平野デスクはノイズのような意見ばかりをあげつらい、そうして「やっぱりこんなふうにノイズが多くてまとまらないじゃないか」と言い切ってしまったのである。
 オーマイニュースはジャーナリズムのメディアである、そしてネットのコミュニティでもある。新聞やテレビのような旧来型メディアであれば、ベテラン記者やデスクが若い記者に対して高見からモノを言い、指示することも許される。だがネットのコミュニティでは、運営企業はいかにユーザーの意向をうまく取り込み、最善のコミュニティ運営をしていくのかが求められている。さらにいえば、オーマイニュースは「市民参加型ジャーナリズム」という高邁な理想を標榜しているではないか。
 果たしてこれで良かったのか。
 先にも書いたように、ネットのコミュニティにおける主導権は、利用者の側にある。たとえば「ユーザーイノベーション」という言葉で象徴されているように、企業の側が主導権を握って消費者の声をすくい上げるのではなく、消費者の意見が主導権を握り、イノベーションをリードしていくような方向へといまやネットの世界は進みつつある。「ユーザー主権」なのだ。「市民みんなが記者だ」という言葉で、ユーザーが記者として内部化していくことを前面に打ち出したのであれば、それらユーザーの声を黙殺し、主導権を編集部サイドで確保するというのは、自己矛盾ではないのか。
 そしてこの自己矛盾を体現するかのように、オーマイニュース編集部の中からは、彼らがユーザーをどう認識しているのかということを象徴するような発言が飛び出してきている。たとえば、西野浩史デスクは沖縄県知事選・勝敗を分けたのはというオーマイニュースの記事で、記事に対して批判した二人の市民記者に対して、こうコメントで書いた。

****
罵倒観音(hogehoge)さんとTrueno(AE86)さんの書き込みを拝見して思うのは、「この人たちは自分の実名を出して同じことが言えるだろうか」という疑問です。ネットの世界でたまに出会う人種ですので、そういう意味で大変興味深く拝見しています。
****

 市民参加型ジャーナリズムを実践している編集者が、「人種」という言葉を軽々しく発するというのはどうだろうか。また西野デスクは、自分のブログで、次のようにも書いている。

****
 インターネットのサイトを通して仕事をしていると、読解力が欠如した人に出会う機会が増えた。コメント欄にトンチンカンなことを書いてくるのである。 例えば共通テストレベルの現代文の試験を課して偏差値70以上でないと書き込めないようにする、といったことができればとりあえず排除できるかもしれないなどと考えてしまう。 人生は短い。有意義な人間関係を築きたいものである。
***

 私はこの段階で、かなり絶望的な気分になっている。

 ……しかし私は、まだこのオーマイニュースという場所の可能性に一筋の光明を期待している。何度も何度も言い続けていることだが、もうしばらくは付き合いたいと思っている。かなりあちこちで「内部批判の暴露原稿みたいなものを外部のメディアで書いて、頭がおかしいんじゃないか?」と非難されてきた。だがこうやってオーマイニュースの問題点をパブリックな場所で表出していくことで、どこかで何かの可能性を見いだすことができるのではないかと思っているし、そう信じたい。それはかなりドンキホーテ的な行為だと自分でも重々承知しているのだが……。

 次へ  前へ


  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ       HOME > マスコミ・電通批評4掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。