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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu134.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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良いのか悪いのかといった二分法的思考で、結論だけを
求める風潮が、社会に蔓延しつつあるように思います。
2006年12月27日 水曜日
◆視点・論点「まん延するニセ経済学」 12月26日 BI@K
http://bewaad.com/
みなさんは、「ニセ経済学」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。
これは、見かけは経済学のようだけれども、実は、経済学的とはとても言えないもののことで、「疑似経済学」や「似非経済学」などとも呼ばれます。
『そんなものがどこにあるんだ』とお思いの方も、例として、国際競争力や、キャピタルフライトや、フェアトレードなどの名前を挙げれば、『ああ、そういうもののことか』と納得されるかもしれません。それとも、かえって、『え?』と驚かれるでしょうか。
例えば、皆さんもよくご存知のように、『このままではキャピタルフライトが起こる』と盛んに言われ、ひところは大手出版社もこぞって関連書籍を売り出すほどのブームになりました。キャピタルフライト本がよく売れたのは、もちろん、キャピタルフライトに経済学的な裏づけがあると信じた人が多かったからでしょう。テレビや雑誌などでも頻繁に取り上げられましたから、それを疑えという方が無理な話かもしれません。
しかし、実は、キャピタルフライトが起こるおそれがあるという経済学的な根拠は、ほぼない、といってよいのです。あのブームは、まったくの空騒ぎでした。大手出版社までが、なぜ、その空騒ぎに乗ってしまったのか。きちんと検証しておく必要があります。
いまは、フェアトレード、すなわち発展途上国を搾取する商品は買わないようにしようという論説に、人気が出てきているようです。しかし、実のところ、搾取と言っても現地では収益源ですから買わなければかえって困らせてしまい、せいぜい一部の人々をほんの少し豊かにする程度の効果しか期待できません。
いま、このような、経済学のようで経済学ではない、「ニセ経済学」が蔓延しています。
こういった「ニセ経済学」のなかに、しつけや道徳に関わるものがあります。その話をしたいと思います。
よく知られている例の一つは、『国の借金は企業(や家計)に擬えると、破綻状態にある』といういわゆる「財政破綻」説です。しかし、この説に、経済学的に信頼しうる根拠はないのです。その意味で、これもまた「ニセ経済学」です。
もちろん、どんな借金でも無限にできるわけではありませんから、どこかに限界はあるでしょう。しかし、それだけなら、お小遣い帳や大福帳などでも同じです。返済可能かどうかとは、まったく別の話なのです。
ところが、この説は、市場関係者に広く受け入れられています。全国各地で、投資ファンドやシンクタンクの講演会が開かれているようです。
もちろん、無駄な財政支出を問題だと思う人は多いでしょうし、エコノミストもそういう風潮を何とかしたいと思っているのでしょう。
そういうみなさんにとって、「財政破綻」説が一見、福音に思えたことは分かりますが、経済学的根拠のないものに飛びついても、仕方がありません。
そもそも、無駄な財政支出を何とかしたいというのは、全体の額の問題ではなく、個別の事業の問題だったはずです。まして、夫がお小遣いを無駄遣いして困ると考えるなら、やめるようにきちんと説得するべきでしょう。国の財政を引き合いに出そうとしてはいけません。
もう一つ、今度は、貿易にまつわる奇妙な説を紹介しましょう。
労働者を安い賃金で働かせると、貿易黒字で豊かになり、高い賃金を支払うと、貿易赤字で貧乏になってしまうというのです。
賃金というのは労働者の所得のことですから、これは、所得が下がれば豊かになるという主張です。しかし、もちろん、そんな馬鹿なことはありません。
貿易収支は、ただのおカネの帳尻です。儲かっているかどうかも、生活水準がどうかも表されていなければ、売買されるものが何かも表されていません。『おカネを受け取ってさえいれば儲かっている』など、いい大人が信じるような話ではなかったはずです。ところが、これが広く信じられています。『中国人と同じ賃金でないと国際競争に勝てない』といわれると、それだけで、『それはそうだ』だと思い込んでしまう人は、意外に多いらしいのです。
この説が、いくつもの企業で、賃金抑制の材料として使われていることが問題になっています。滅私奉公を教えるのに、格好の教材と思われたようです。
しかし、本当にそうでしょうか。
この授業は、たくさんの問題をはらんでいます。
まず第一に、明らかに経済学的に誤っています。経済学的思考離れが言われる今、道徳だからといって、ここまで非経済学的な話を、事実であるかのように教えていいはずがありません。
しかし、それ以上に問題なのは、賃金決定の根拠を、付加価値を無視して国際比較に求めようとしていることです。
賃金は、価値を生み出す労働の対価ですから、その決定は、あくまでも、価値に見合った水準を考えなくてはならないはずです。労働者であればどんな労働をしても同じ賃金を払うべきなのか。それを考えてみれば、この話のおかしさは分かるはずです。
「財政破綻」がしつけの根拠を経済学に求めるものだったのと同様、ここでは、道徳の根拠を社会科学に求めようとしています。それは科学に対して多くを求め過ぎです。
しつけも道徳も、人間が自分の頭で考えなくてはならないことであって、社会科学に教わるものではないはずです。
さて、「ニセ経済学」が受け入れられるのは、経済学に見えるからです。つまり、ニセ経済学を信じる人たちは、経済学が嫌いなのでも、経済学に不審を抱いているのでもない、むしろ、経済学を信頼しているからこそ、信じるわけです。
たとえば、キャピタルフライトがブームになったのは、『円安は経済に悪く、円高は経済に良い』という説明を多くの人が「経済学的知識」として受け入れたからです。
しかし、仮に、経済学者に、『円高は経済にいいのですか』とたずねてみても、そのような単純な二分法では答えてくれないはずです。
『円高といってもいろいろな原因で起こるので、中には経済にいいものも悪いものもあるでしょうし、経済にいいといっても分野によってはなにか悪いことも起きるでしょうし、ぶつぶつ……』と、まあ、歯切れの悪い答えしか返ってこないでしょう。
それが経済学的な誠実さだからしょうがないのです。
ところが「ニセ経済学」は断言してくれます。
『円高は良いといったら良いし、円安は悪いといったら悪いのです。
また、借金が膨らむとなぜ良くないのかといえば、破綻するからです。
賃金を中国人並みに引き下げれば、貿易黒字が増えるから、良い傾向なのです。』
このように、「ニセ経済学」は実に小気味よく、物事に白黒を付けてくれます。この思い切りの良さは、本当の経済学には決して期待できないものです。
しかし、パブリックイメージとしての経済学は、むしろ、こちらなのかもしれません。『経済学とは、様々な問題に対して、曖昧さなく白黒はっきりつけるもの』経済学にはそういうイメージが浸透しているのではないでしょうか。
そうだとすると、「ニセ経済学」は経済学よりも経済学らしく見えているのかもしれません。
たしかに、なんでもかんでも単純な二分法で割り切れるなら簡単でしょう。しかし、残念ながら、世界はそれほど単純にはできていません。その単純ではない部分をきちんと考えていくことこそが、重要だったはずです。そして、それを考えるのが、本来の「合理的思考」であり「経済学的思考」なのです。二分法は、思考停止に他なりません。
「ニセ経済学」に限らず、良いのか悪いのかといった二分法的思考で、結論だけを求める風潮が、社会に蔓延しつつあるように思います。そうではなく、私たちは、『合理的な思考のプロセス』、それを大事にするべきなのです。
◆三題噺‐ニセ科学・陰謀論・情報爆発 12月27日 BI@K
http://bewaad.com/
権力の側に位置する身として申し上げるならば、当サイトで取り上げたネタとしては去年で言えば人権擁護法案、今年で言えばグレーゾーン金利問題あたりが格好の例といえるでしょう。もう少し視野を広げるならば今のデフレなんかもまさしくこのパターンで、バブル潰しへの狂奔でこんなことになってしまっているわけで、世の中すべて理屈で片がつく世界というのは、webmaster個人としては自らの理屈の弱さをあげつらわれる可能性が高くなり困ったことではありますが(笑)、一般的には歓迎すべきものであるはずです。
しかしながら、このような見方‐「権力者は民衆がバカの方がいいと思っている」と信じられていること‐は、webmasterが予想し得る限りの遠い将来においても、解消されることはないでしょう。というのも、多くの人の主観において、権力者が隠し事をしていた、と信じられる話は尽きないと考えられるからです。webmasterの巡回先のひとつで、ちょうどこれに当てはまるものが最近見られました。(中略)
抽象化するなら、カエサルの「人は見たいものしか見ないという」という台詞がありますが、その延長として、見たいものを見せてくれる者を信頼する、ということがあるのでしょう。それと表裏一体となるのが、見たいものを見せてくれなかったり、見たくないものを見せてくれたりする者には不信感‐つまり、隠し事をしている‐を抱くということではないかと。究極的には、オンディマンドで見たい理由をセットに供給してくれる者こそが、もっとも信頼を勝ち得るのだとwebmasterは思いますし、ニセ科学や陰謀論は、そうした形で世に普及しているように見えます。
#おそらくは、そうでないニセ科学や陰謀論は普及することなく淘汰される、ということなのでしょうけれど。
この見立てが現実をある程度言い当てているのであれば、極めて悲観的な見通しが成立してしまうように、webmasterには思えてなりません。すなわち、学問その他の掘り下げが進み、あわせて技術の進歩が加速し、世に流通する情報が爆発的に増加している現状、ニセ科学や同種の考えはこれまで以上に世にはびこるのではないか、と。より「隠されている」感が強まらざるを得ない中、「ご存知ですか? 知っている人は少ないのですが、真実は・・・」というささやきの魅力は、高まりこそすれ低まるとは考えられないのですから。
(私のコメント)
昨日の森永卓郎氏の記事で、消費税など引き上げなくてもいい事を論理的に説明しても分かってくれない事を言っていましたが、大衆は分かりやすい事しか分からないから、一言で説明できるようにしないと大衆を動かす事はできない。小泉総理のやり方もワンフレーズポリティックスで覚えやすかったからだ。しかし正しいかどうかは問題外だった。
財政再建問題についてもよく国家財政を家計に例えて説明する人がほとんどですが、これは正しくない。よく考えれば国家財政とサラリーマン家庭とは金の流れがまるで違う。以前にも株式日記では国家財政を商店に例えて説明した方が分かり易いと書きました。
国家財政は税収が収入源ですが景気によって税収が多くなったり少なくなったりする。ところがサラリーマン家庭では景気が良かろうが悪かろうが収入は一定だ。だから景気が悪くても倹約すれば家計は回復しますが、国家財政は倹約したらますます税収は落ち込む。
商店では税収に当たるものは売上げ利益ですが景気によって左右される。売上げが落ちてきたら倹約して設備投資を切り詰めたら売上げがますます落ち込む事になる。むしろ店舗を改装して積極的な投資をしないと売上げは回復しない。
現在の財務省のバカ官僚がやろうとしていることは、商店の売上げが落ちてきたので商品を値上げしようとしている事だ。それでは商品の売上げはますます落ち込む事がわからないのだ。ちょうど国鉄が赤字で乗車料金の値上げで赤字を回復しようとしたことと同じだ。
もちろん商店でも無駄な支出はカットして行かなければなりません。さらには新規事業にも積極的に投資をして売上げの増加を図る事が、不景気の時代の商店のあり方だ。それをサラリーマン家計に例えるから増税と歳出カット一本やりになってしまう。
貿易黒字や赤字の問題でも、家計のように黒字なら豊かになり赤字なら貧しくなるという事は国家間の貿易収支と家計と同じように考えることは出来ない。しかし通産官僚たちは貿易黒字でないと不安でたまらないようだ。政府日銀も円高で輸出産業が大変だと円高防止の為にドルを買い捲った。
むしろ産業界にとっては円高よりも為替相場の変動の方がダメージを負うのですが、1985年のプラザ合意では240円から120円まで数ヶ月で変動させてしまった。それで輸出企業は大打撃を負った。竹下大蔵大臣が経済の事が分かっていれば数年かけて円高にすべきだったのだ。
このようにニセ経済学が蔓延って、政府日銀の金融政策や経済政策が15年にわたって迷走している。プラザ合意から始まっていると見れば20年以上もニセ経済学に日本の経済政策は間違い続けてきたのだ。それらに対してエコノミストや評論家達は構造改革が必要だと言い続けて来ましたが、具体的なことは何も言えなかった。
小泉内閣では郵政民営化こそ構造改革の総本山として民意を問いたいと国会を解散してまで断行しましたが、民営化すればどうなるのか誰にも分かっていない。小泉首相は何でも民営化すれば問題は解決するという分かりやすい言葉を言い続けてきた。しかし実際は民営化の名の下に役人達は天下り先を確保して焼け太りになっている。
このように悪い結果が出てくる頃になると大衆にも構造改革の実態が見えてくるから、大衆はその時点で騙された事に気がつく。だから権力者にとっては大衆が馬鹿であってくれた方が良いと思うのだ。現在の財政赤字だから増税はやむをえないという議論も分かりやすいが、大衆を騙す為の財務省の詭弁なのだ。