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部分準備制度銀行の通貨を生み出すメカニズム  同じく『マネーを生み出す怪物』からの引用です
http://www.asyura2.com/0610/hasan48/msg/234.html
投稿者 姫 日時 2006 年 10 月 18 日 13:37:18: yNQo0naya4Ss.
 

(回答先: 戦争と価格統制  同じく『マネーを生み出す怪物』からの引用です 投稿者 姫 日時 2006 年 10 月 17 日 06:45:48)

同じく『マネーを生み出す怪物』からの引用です

 部分準備制度銀行

 借り手はもちろん融資を受けるときに、かさばる硬貨よりも紙幣のほうが便利だと考えます。そこで普通は硬貨は安全のために金庫に戻して、その預り証を受け取ります。前にも見たとおり、この預り証は商売で通貨として通用します。この時点で、事は更に複雑になります。元の預金者は銀行にある硬貨全額の預り証を受け取っています。銀行は今度はその預かり金の85パーセント分の預り証を発行し、借り手はそれを受け取ります。これは元の預り証の他に更に発行された預り証です。硬貨に比べて85パーセント多い。こうして銀行は85パーセントの通貨を創出し、借り手を通じて流通させます。言い換えれば、インチキな預り証を発行することでマネーサプライを人為的に拡大させたことになります。ここで預り証は100パーセントの硬貨の裏付けを失います。100の硬貨に対して185の預り証が発行されていますから、54パーセントの裏付けしかありません。

 しかし何も知らない一般市民は追加の預り証にも古い預り証と同じ価値があると考えて受け取ります。預り証には硬貨の裏付けがありますが、しかしながら裏付けがあるのは額面の一部だけになります。こうして預り証はわたしたちが「部分準備貨幣」と呼ぶものになり、これが生み出される仕組みを「部分準備制度」銀行と呼ぶようになりました。残念ながら、この欠陥は説明されたことがありませんでした。銀行は一般市民に聞こえるところでこの現実について議論するのはよくないと決めました。これらの事実は専門家だけの難解な秘密とされました。預金者は、銀行が自分達の通貨を貸し出してししまい、しかも引き出したいと言ったら返してくれるのは一体どういう仕組みなのか、という疑問は持たないほうがいいとされたのです。代わりに銀行は重々しい雰囲気を漂わせ、いかにも安定していて、説明責任も充分であるかのように見せかけ、厳格とはいかないまでも真面目に行動している振りをして、政府の建物か寺院のような壮麗な建物をつくりました。どれもみな、要求があれば契約どおりに返金できますという間違ったイメージを支えるためでした。

 次のように喝破したのは、ジョン・メイナード・ケインズでした。

 『「健全な」銀行家とは、危険を予期して避ける銀行家ではなく、破綻するときには伸問みんなと伝統的かつ正統な方法で破綻し、誰も彼を責めることができないように仕向ける者のことなのだ!』表向きを繕い、因習的な信頼性を自認するというのは、銀行家として欠かせない仕事の一環ですが、これは並みの人間ではおおよそ考えられないことです。このようなことを生涯続けていれば、たいへんにロマンティックで、まったく現実的でない人間ができあがることでしょう。

 債務から通貨を創造する

 銀行は顧客の貨幣を安全に預かる預かり業として始まったのです。その硬貨に対して預り証を発行したとき、商品貨幣が預り証貨幣に代わります。これはとても便利でしたが、それでマネーサプライが変わるわけではありませんでした。人々は硬貨を使うか預り証を使うかどちらかを選択できたましたが、両方を使うことはでませんでした。硬貨を使えば、預り証は発行されません。預り証を使うなら、硬貨は金庫の中で流通しません。銀行がこの慣行を捨てて、借り手にも預り証を発行し始めたとき、銀行は魔術師になりました。無から通貨を創造すると言った人もますが、事実は少し違います。銀行はもっと不思議なことをやってのけたのです。債務からマネーを創造したのです。もちろん金鉱を掘るよりもお金を借りるほうが簡単です。ですから通貨は本来の需要と供給の法則の制限を受けなくなりました。

 その後の歴史では、銀行が預金の支払準備率をどこまで引き下げるかで通貨の供給量が決まるようになります。この視点から部分準備貨幣を振り返ってみると、預り証貨幣から不換紙幣への過渡期の形だということがわかります。両方の性格を持っていることになるのです。支払準備率が小さくなればますます預り証から離れて不換紙幣に近づいていきます。ついに準備率がゼロになったとき、変身が終わって純粋な不換紙幣になります。更に、いったん部分準備貨幣を受け入れてしまえば、必ず準備率は低下していって最後にはゼロになるのであって、いくら歴史を探してみても例外はありません。どんな銀行でも、支払準備ゼロでは長いあいだ事業を続けていくことはできません。価値の裏付けのない通貨を人々に受け取らせるには、政府が権力を行使するしかありません。これが法貨と言われるものの正体になります。

 ですので、部分準備貨幣から不換紙幣への変身の過程では、中央銀行というメカニズムを介した政府の関与が不可欠になります。人間の努カなしに通貨を創造できるという夢のような出来事をいったん経験してしまいますと、麻薬と同じで政治家も銀行もそんな習慣から抜け出せなくなります。しかしFRS(連邦準備銀行)のような高度な存在に発展するまでには、多くの興味深い紐余曲折があります。

 英国の初期の銀行制度英国最初の紙幣はチャールズニ世治下の財務省手形でした。これは完全な不換紙幣で、法貨と定められたものの、あまり流通はしませんでした。1696年には財務省札に代わります。この紙幣は兌換券で、政府は兌換に充分な金貨や地金を維持しようと大いに努力しました。言い換えると本当の預り証貨幣でしたから、交換手段として広く受け入れられます。更にこの紙幣は政府の短期国債とみなされて、持ち主には実際に金利が支払われました。1707年、少し前に創設されたイングランド銀行にこの通貨の管理責任が委ねられましたが、銀行は独自の銀行券を流通させるほうが儲けが多いと気付くことになります。この銀行券は部分準備貨幣で、金利を支払うのではなく、金利を徴収するために発行されます。この結果、政府の紙幣はだんだんに姿を消して銀行券にとって代わられ、18世紀半ばには銀行券がイングランド唯一の紙幣になります。

 当時はまだ銀行は完全な中央銀行ではなかったことを理解しておく必要があります。ロンドンその他の中心地では独占的に銀行券を発行することが認められていましたが、それらは法貨ではありませんでしたので、誰も使用を強制することは出来ませんでした。民間銀行が一部を金貨で裏付けている私的な部分準備貨幣に過ぎず、市民は受け取ることも拒否することも、割引して流通させることも自由でした。法貨の地位が与えられるのは1833年になってからのことです。一方議会は帝国内の他の多くの銀行にも認可を与えていましたが、例外なくどれも部分準備貨幣の発行から破綻し、預金者に損害を与える結果になります。しかし、政府はどこよりもイングランド銀行に便宜を図り、議会は何度も債務不履行から同行を救うことになります。

 イングランド銀行

 過重な税で英仏戦争や数々の内戦を戦って半世紀、英国の財政は疲弊していました。アウグスブルグ同盟戦争中の1693年、ウィリアム王は深刻な財源難に陥ります。その20年前にチャールズニ世は大勢の金細工師から借りていた100万ポンドの債務の不履行を宣言し、その結果、一万人の預金者が損害を蒙ることになります。この記憶がまだ生々しいものでしたので、当然ながら、人々は政府をリスクの低い投資先とは考えませんでした。増税も出来ず、借金も出来ないということで、議会は他の方策を必死で探しました。グロスクローズによれば、目的は「もっと理性的なコントロールのもとに通貨メカニズムを置くことではなく、増税や政府借り入れといった煩わしい方法以外に、無一文の政府の金銭的必要を満たす方法を探すこと」でした。

 この政府の苦境を絶好のチャンスと考えた二つのグループが当時存在しました。一つ目のグループは、政府内部の「政治のサイエンティスト」で、もう一つは台頭してきた銀行業務に関係する「金融のサイエンティスト」でした。後者のグループのオルガナイザー兼スポークスマンは、スコットランド人のウィリアム・パターソンという人物でした。パターソンはアメリカに行き、当時ダリエンと呼ばれていたパナマ地峡に植民する会社に英国の認可を取り付けようという壮大な計画を持ち帰ります。しかし、政府が関心を示しませんでしたので、パターソンは政府がもっと関心を寄せている試み、つまり通貨の創出に目を向けることになります。二つのグループは力を合わせて協力体制を作ります。アメリカン・ヘリテージ・ディクショナリー(*米国最大の英語辞典)ではこれらを、陰謀団(cabal)という言葉で「陰謀や策謀を企てる人々の結社」と説明しています。

この二つのグループは、今でも行われているような秘密の会合を、ロンドンのマーサーズ・チャペルで開き、お互いの目標達成のために七項目からなる計画を作りあげます。


 一、政府は金融のサイエンティストに銀行創立の認可を与える。

 二、この銀行には英国で紙幣として流通する銀行券発行の独占的権利が与えられる。

 三、この銀行は一部のみが金・銀貨で裏付けられる通貨を無から創出する。

 四、金融のサイエンティストは政府に必要なだけ融資をおこなう。

 五、政府への融資のために創出された通貨は、主として政府の借用証書を裏付けとする。

 六、この通貨は無から創出されるのでコストはかからないが、政府はこれに対して8パーセントの金利を支払う。

 七、政府の借用証書は民間業者に貸し出される追加資金の支払「準備」金とみなされる。この民間への融資も利子を取る。従って、金融のサイエンティストは同じ無をもとに二重に金利を徴収する。

これらの取り決めについては、Murray Rothbard, The Mystery of Banking(New York Richardson & Snyder,1983),p.180 及び Martinb Mayer, The Bankers(New York Weybrighr & Talley,1974),pp.24-25 (『ザ・バンカーズ−銀行に明日はあるか』阿部司訳、時事通信社、1998年)参照


 銀行の初期資本を募る投資家向け回状には次のような説明がありました。「銀行は、銀行自身が無から創出する通貨のすべてをもとに金利を得ることができます」。認可は1694年に下り、こうして奇妙な生き物が産声をあげました。世界最初の中央銀行が誕生したのです。

 要するに、民間には財政赤字を埋めるのに充分な貯蓄がなかったので、パターソンとそのグループは政府の債券を喜んで買いましょうと申し出たのです。ただし、新しく無からひねり出されて、彼らに種々の特権を与える銀行券で購入できるなら、と。これはパターソンと会社にとっては願ってもない取引で、政府も一見まともに見えますが実はインチキな銀行融資で利益を得る。……1694年にイングランド銀行が認可されるとすぐに、ウィリアム王と議員たちは先を争って、自分たちが生み出したばかりの通貨工場の株主になりました。

 通貨の秘密の「サイエンス」

「陰謀団」の二つのグループは充分すぎるほどの見返りを得ました。政治のサイエンティストたちは進行中の戦争の費用50万ポンドを必要としていました。銀行はただちに必要額の2倍以上の融資をします。金融のサイエンティストは資本金120万ポンドで銀行を発足させました。この資産は政府に8パーセントで貸し出されたと教科書には書いてありますが、融資が行われたときには投下資本は72万ドルしかなく、銀行は資産より66パーセント多い金額を「融資」していたという事実はあまり知られていません。そのうえ、銀行は少なくとも同額を民間に貸し出す特権を与えられていました。

 従って政府に融資した資産をもう一度貸し出したことになります。本当に元手がある72万ポンドを8パーセントで貸せば5万6700ポンドの金利が入ります。しかし、この新しい「サイエンス」では、政府への融資210万ポンドについて8パーセントの金利を得たほかに、一般への貸し付け72万ドルについて推定9パーセントの金利を取っていました。ただし、ここが肝心なのですが、この状況では金利のレートを云々するのは無意味なことです。通貨は無から創出されたのですから、金利は8パーセントでも9パーセントでも22パーセントでさえもありません。無限大なのです。この世界最初の中央銀行の公的な行動に、その後に続く中央銀行の特徴である壮大な欺嚇を見て取ることができます。

 銀行は融資をする振りをしましたが、実は政府が使う通貨を「製造」したのでした。政府自身がそのようなことをすれば、その通貨が不換紙幣であることはすぐに見破られますから、戦費を支払おうとしても額面どおりの価値では受け取ってもらえないでしょう。しかし、銀行システムを通じて通貨を創出しますと、一般市民にはそのプロセスは見えません。新たに創出された紙幣は金貨の裏付けがあるそれまでの紙幣と見分けがつかず、一般市民は騙されます。国債を購入すると見せかけてこっそり通貨を製造する機械で、政治家が必要なときにはいつでもこの通貨製造機が動き出します。政治のサイエンティストにとってこんなにありがたい仕組みはなく、もう税金に頼る必要も、財務省の信用で資金を調達する必要もありません。それどころか、印刷機を回すよりももっと簡単でした。プロセスが市民には見えず、政治的なリスクがないからです。

 もちろん金融のサイエンティストはこのサービスヘの報酬をたっぷりと手にします。銀行業務と見せかけるために金利を徴収すると称するものの、金利という言葉は適当ではありません。彼らは通貨を貸すのではなく作り出すのです。ですから、彼らの報酬は見方によって手数料、仲介料、歩合、袖の下、何と呼んでもいいでしょうが、金利ではないことだけは確かです。

インフレから取り付けへ

 イングランド銀行が創出した新しい通貨は4月の雨のように経済に降り注ぎました。ロンドン以外の地方銀行もそれぞれ通貨の創出を認められていましたが、金貨かイングランド銀行券による一定割合の支払準備を義務付けられました。その結果、地方銀行は溢れるほど流通しているイングランド銀行券が手に入ると金庫にしまい、その額を上回る自行の銀行券を発行しました。こうしてピラミッドのように銀行券が積み重なった結果、たった二年で物価は100パーセント上昇しました。そして不可避の出来事が起こったのです。銀行取り付け騒ぎです。イングランド銀行は金貨と見換することができませんでした。銀行が預り証である紙幣と引き換えに金貨を渡せなければ、事実上、破産になります。他のビジネスと同じく事業をたたんで清算し、債権者にできるだけの支払いをすべきなのです。実際、預金を貸し出して部分準備貨幣を作り出してきた銀行はみなその運命を辿りました。

 このやり方が続けば、やがて人々はこの種の銀行を相手にしないほうがいいと気付いたでしょう。痛みを伴いはするが非常に効果的な試行錯誤の結果、人類はまがいの金と真のマネーを見分ける術を覚えたはずです。そうなっていたら、今の世の中はもっとましになっていたでしょう。しかしもちろん、そうはなりませんでした。陰謀団は連携部隊であり、二つのグループは忠誠心からではなく私益のためにお互いを守り合いました。一方の破綻はもう一方の破綻でもあることがわかっていました。ですからイングランド銀行の取り付けに議会が介入したことは意外ではありません。銀行創立からわずか二年後の1696年、「正貨による支払いを停止」することを認める法律が成立しました。イングランド銀行は法の力で、銀行券と金を兌換するという約束を守らずに済むようになりました。

保護のバターンができる

通貨の歴史にとっては運命的な出来事でした。これが前例となって、以後同じことが繰り返されるからです。ヨーロッパでもアメリカでも銀行は常に、トラブルが生じたら政府部内にいる仲問が助けに来ると予定して行動するようになります。政治家は「市民を守る」と言うかもしれませんが、実際には銀行が生み出す不換紙幣が必要なのです。従って銀行は少なくとも大銀行は潰さないようにしなくてはなりません。政府に保護されるカルテルだけは、自由市場の働きから隔離されて好きに振舞うことができます

 1780年、ジョージ・ゴードン卿が率いる群集がカトリツク救済法にR議してロンドンを行進したとき、最大の標的となったのがイングランド銀行でした。体制派の象徴だったからです。ロンドンのカトリック教徒居住区で略奪が行われているあいだは、当局の反応は鈍かった。しかしイングランド銀行が包囲されるや、事態は深刻に受け止められました。軍隊が出動し、それ以降、夜間には兵土がイングランド銀行の警備にあたるようになりました。

必然となった好不況

 イングランド銀行が法律で保護され、債務を通貨に転換した責任を免れて以来、英国経済はインフレ、好景気、バブル崩壊という目の回るようなローラーコースター状態を運命付けられました。当然の結果として、あっというまに、想像の及ぶかぎりのどんな突拍子もないプロジェクトにも多額の融資が行われるようになりました。リスクを顧客に持たせる手法ですので、自己責任でいくらでも大判振る舞いをしたようです。しかしながら100%顧客責任というわけではありません。顧客全員が少なからず負担することになります。債権が失われ、代わりに銀行は担保という裏付けを手にします。当初から100%の裏付けを持たない不換紙幣なのです。通貨が作り出される背景でのコストは紙代くらいなのですから。担保を手にしたとすれば、完全に無から資産を手にしたことになります。日銀券で受け取ったとしても準備金に組み込まれるだけです利益を生んではくれません。借用書にこそ価値があるのであり、もともと日銀券に価値は発生していません。

 そこでイングランド銀行も、独自の銀行券でマネーサプライを更に積み増している地方銀行も、どんどん新しい通貨を経済に注ぎ込みました。これらの通貨でとんでもない株式会社が生まれました。一つは紅海を干拓し、イスラエル人を追ったときにエジプト人が失った金を手に入れようという会社でした。南米とメキシコでの荘漠で無益なベンチャー・ビジネスには総額1億5000万ポンドが投資されました。新たな通貨が洪水のように溢れ出した結果何度、歴史を繰り返せばすむのか、またインフレが起こりました。1810年、下院は金地金高価格調査選抜委員会という名の特別委員会を設置し、問題の検討と解決策の探求にあたりました。

 最終報告書で示された結論は明断でした。価格が上がったのではない、と報告書は述べました。通貨の価値が下がったのであり、それは通貨によってあがなわれる商品がつくられるよりも通貨が発行されるほうが早いからです。解決策は? 委員会はイングランド銀行券と金貨との完全兌換を実行してマネーサプライに歯止めをかけることを勧告しました。

1815年物価は再び2倍になり、次に大幅と下落しました。この年、価格の輸入品から国内農民を守るためのトウモロコシ法が成立します。トウモロコシと小麦の価格が再び上がり始めましたが、賃金やその他の物価は下がり続け、社会に不満が高まり暴動が広がりました。1816年には、英国は不況のどん底にありました。産業も貿易も停滞し、鉄と石炭の生産は麻庫しました。……5月から12月にかけて暴動が頻発しました。1821年、戦争が終わって軍事費が必要なくなると、金本位制復帰への圧力に抵抗しがたくなったイングランド銀行は銀行券と金貨の兌換を再開しました。しかしながら、許容される部分準備率が新しく決められただけで、中央銀行の基本的なメカニズムまで解体されたわけではありませんでした。

 銀行は依然として貸し出しのために無から通貨を創出し続け、一年もしない内に新たな好景気の花が開きはじめました。そして1825年11月、花は盛りを過ぎて予想どおりの実を結びます。サー・ピーター・コール商会の破綻とともに危機が訪れ、まもなく63の銀行が倒産しました。資産は消え失せ、景気はまた不況のどん底へと落ちていきました。1839年に同じ危機が繰り返されて更に多くの銀行が倒れたとき、議会は問題に取り組む姿勢を見せました。更に5年の分析と議論の末に、ロバート・ピール卿は銀行改革法を成立させました。この法律は英国の好不況の波の原因を正面から見据えていました。マネーサプライの増減であるピールの1844年銀行法が試みたのものは、銀行が創出する通貨の量を金貨や銀貨の裏付けが必要な場合とほぼ同量に制限しようということでした。これは優れた試みでしたが、結局は失敗しました。3つの欠陥があったからです。

一、政治的妥協の産物で、厳しさに限度があり、銀行はなおも1400万ポンドまでは無から創出した通貨を貸し出すことを認められていました。言い換えれば、この程度の「部分」準備率なら安全だと考えられていました。

二、制限の対象となるのは銀行が発行する紙幣だけで小切手には適用されませんでしたが、当時は小切手が優勢な交換手段になっていました。従って、いちばん濫用がひどい領域はいわゆる改革の範囲外でした。

三、基本的な考え方が依然として変わっていなかませんでした。すなわち、人間が無限の政治的知恵を働かせれば、通貨を管理しようとせずに金や銀の需要供給の法則に委ねるよりもうまく、適切なマネーサプライを決められると考えられていました。

メカニズムはその他の国にも波及

 この時期のイングランド銀行の度重なる失敗にも関わらず、政治のサイエンティストと金融のサイエンティストにとっては中央銀行メカニズムが非常に魅力的だったため、ヨーロッパ全土のモデルとされました。信じがたいですが、これが歴史的事実なのです。プロシャ銀行はライヒスバンクになりました。ナポレオンはバンク・ド・フランスを創設しました。数10年後には、FRSがイングランド銀行を神聖な手本とさえしました。たとえこの制度が破滅的であっても、誰が気にするでしょうか。政治家にとっては無限の資金が獲得でき、銀行家にとっては無限の利益を生み出せる完壁なツールなのです。しかも、何よりありがたいことに、この二つのグループのつけを負担する一般庶民は、自分がどんな目に遭わされているのかまったく気付いていません。

 魔法のメカニズム

 まず確認しておかなければならないのは、今の通貨には金や銀の裏付けがまったくないということです。部分準備と言いますが、貴金属の準備率は54%でも15%でもなく、0パーセントです。長い歴史を辿ってきた部分準備貨幣は、今では完全な不換紙幣にまで堕落してしまいました。現在の通貨の殆どは紙幣というよりも帳簿の貸借対照表の数字ですが、これも技術的な問題に過ぎません。銀行家が「準備率」と称するものも目くらましのペテンです。彼等の言う準備とは財務省証券その他の債務証書なのです。わたしたちの通貨はどこまでいっても完全な不換紙幣なのです。

 はっきりさせておかなければならない二つ目の事実は、専門用や一見ややこしい手続きにも関わらず、FRSが通貨を生み出す方法は実にシンプルだということです。その方法は昔の金細工師のやり方と同じで、違うのはただ、金細工師は部分的であれ貴金属の準備をしておく必要があったのにFRSはそんな制約はない、ということだけです。

ニューヨーク連銀が出しているパンフレットにはこう書いてあります。「通貨を金と交換することは出来ず、通貨には他のどんな資産の裏付けもありません。連邦準備制度紙幣にはどんな資産の『裏付け』があるのかという疑問は、会計学の専門家以外には殆ど意味がありません」同じパンフレットの別のところには、「銀行は借り手の返済約束(借用証書)をもとに通貨を創出しています。……銀行は民間企業や個人の債務を『現金化』して、通貨を創出します」と書かれています。

シカゴ連銀は『現代の通貨のメカニズム』というパンフレットに、次のように書いています。「アメリカ合衆国では紙幣も預貯金も商品としての価値を有していません。本質的にはドル紙幣は紙切れに過ぎなません。預貯金は単なる帳簿上の数字です。硬貨には金属として多少の価値があるものの、一般には額面よりずっと小さな価値しかない。それでは、これらの手段−切手、紙幣、硬貨−が債務の弁済その他の通貨としての目的のうえで額面どおりに受け入れられているのは、どうしてなのでしょうか? 大きな理由は、白分が望むときに通貨として他の金融資産や商品、サービスなどと交換できるはずだという人々の信頼にあります。また、一つには法律的な問題でもある。通貨は政府によって「法貨」と定められています。従って受け入れざるを得ません。

 更にセントルイス連銀の会報には、脚注として細かい文字で驚くほど率直な説明がなされています。

現代の通貨制度は布告を基本とし−命令によって通貨が定められ、預金機関は受託者として自ら債務を負うことを宣言し、その債務の一部が準備資産の役割を果している。紙幣には「本紙幣は官民全ての債務を弁済する法貨である」と印刷されている。この通貨による債務の弁済は何人も拒むことはできないが、日常的取引で通貨の使用を制限する契約は容易に結ぶことができる。しかし、なぜ通貨が受け入れられるかについては、連邦政府が通貨による納税を求めていることが力強い説明となる。納税という債務履行の必要性が予測されることから、完全な不換紙幣であるドルの需要が生まれる。

 債務がなければマネーは消える

 アメリカ人には、マネーサプライのすべてに債務以外何の裏付けもないという事実はなかなか飲み込み難いものです。まして、全員が借金を返済したらもはや通貨は存在しなくなる、という驚くべき事実は思い描くことも難しいでしょう。しかしそれが事実なのです。1セントも流通しなくなるすべての硬貨と紙幣は銀行の金庫に戻ってしまいますし、誰の当座預金にも1ドルも残りません。要するに、すべての通貨が消滅します。マリナー・エックルスは1941年当時、FRB理事でした。この年の9月30日、エックルスは下院銀行通貨委員会の公聴会で誕言を求められました。公聴会の目的は、1930年代の不況につながる状況が生まれたについて、FRSがどのような役割を果たしたのかを探ることでした。

 委員長だったライト・パットマン議員は、FRSは1933年に20億ドル分の国債を購入する資金をどこから得たのか、と尋ねました。以下はそのときのやりとりです。

 エックルス:わたしたちが作り出しました。
 パツトマン:どこから?
 エックルス:信用貨幣を発行する権利をもとに、です。
 パットマン:それでは、政府の信用以外に裏づけは何もないのですか?
 エックルス:それがわが国の通貨のシステムです。通貨のシステムで債務がゼロになれば、通貨もゼロになります。

 通貨は個人が選ぶ資産の1つかも知れませんが、通貨全体を考えたときには資産ではなくなる、という事実を押さえておく必要があります。1000ドルを借りた人は、自分は1000ドル豊かになったと考えるかも知れませんが、実はそうではありません。1000ドルの現金資産は、1000ドルの借金という債務と相殺され、当人の資産は結局ゼロになります。銀行の会計も規模こそ大きいですが同じことになります。国中のすべての口座を集めたものは経済を支える莫大な資産だろうとつい考えたくなります。しかしながら、どの通貨も1セント残らず誰かへの借金なのです。借金のない人もいるでしょう。借金だらけの人もいることでしょう。しかし全部を足し合わせれば、国家的にプラス・マイナス・ゼロになります。

 アメリカの通貨は債務をべースにしているとわかれば、FRSが表向きの発言とは逆に、アメリカの債務を減らすことにはまったく関心がないのも意外ではありません。FRS自身、刊行物のなかでその基本的な立場を明らかにしています。フィラデルフィア連銀はこう述べています。「一方、国家債務は恵みとは言わないまでも有益であるという大規模な分析が増えている。……(それらの分析では)国家債務はまったく減らす必要がない」

 シカゴ連銀もこう言います。「債務−官民を問わず−はなくならない。債務は経済のプロセスで不可欠の役割を果たしている。…債務をなくすことが必要なのではなく、慎重に利用し、賢明に管理することが必要なのである」

 あなたがどんな方法で通貨を稼ごうとも、出てくるところは銀行で、最終的に銀行に吸い込まれていきます。この回路はうんと大きいかも知れませんし、小さいかも知れませが、すべての金利は結局は人間の労働で支払われるという事実は不変です。この事実を考えると、金利を返済するに足りる通貨が創出されていないという事実よりも更に驚くべき真実に突き当たります。人間の労働を足し合わせたものは全部、不換紙幣を創出している人々の懐に入ります。これが、社会の大多数が金融貴族という支配階級のために年季奉公の召使として働く現代の奴隷制の正体です。




借金を返す方法は借金をするしか方法はないのかと思ってましたが、回転率の違いだったんですね、連邦準備制度では溢れるばかりの債務が眠っています。借用書を売買しているのです。原本を動かす人間に労働による代金がどう敵うというのでしょう。1の消費を必要とするのに、おおよそ10の借金は望まずとも生まれてしまうのですね。

国債の利用規約で営利追求ではないという目的意識があります。そして、国の借金こそが原資だと上記に記載されてます。やはり、マネーサプライをただ膨らませるためだけに国債や民間の融資は存在してましたね。

この場合もやはり、借金は返すものではなく、永遠に金利を払い続け、インフレで金利が払えなくなり、差し押さえをくらうものなんでしょう。

債務と資産でプラスマイナス・ゼロならば、やはり、労働によって家を買おうとしても、様々な理由を付けられて差し押さえられる手筈なんでしょう。

働けど働けど身に付かず、、、恐るべく連銀システム、、、。

しかし、奴ら名義の土地は日本にワンサカ。これも準備金と同じ類で利益を生んでいなければ無税だ。

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