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(回答先: 吉田太郎キューバ便り 投稿者 きすぐれ真一 日時 2006 年 11 月 10 日 00:30:26)
全く皮肉なもので、貧しいが故に発展を遂げた、世界に誇るのキューバ有機農法は素晴らしい。 これは米国に対し、逆に 感謝・・ですね。
カストロ、チャペス、ルラ「善の枢軸」構築に 注目です。
何事も疑問と感ずることの無い・・・ ものの見事に洗脳されてきて、しかも植民地で家畜になってしまった我々ニホン人たちに、そろそろ「目を覚ましなさい」と天からの声なのか。
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「この国の人々ほど愉快で良く笑う人たちはいない。良いにせよ悪いにせよ、どんな
冗談でも笑いこける」
「生活の糧を得るために必要な仕事を文句を言わずに果たしているが、そんな働き者
ではない。必要なモノが手に入れば、余計なモノまで得ようとは思わない。大きな利
潤をあげようと疲れ切るまで頑張ろうとはしない」
「材木を運ぶ労働者たちは、ちょとした作業をするのにも、全員が熱を入れて歌をう
たっていた。ばからしい時間の浪費であるように思われた。時間の十分の九は歌をう
たうのに費やされるのだった」
「女性たちのはつらつした姿、生き生きした表情には驚かされる。建前とは裏腹に女
性たちはかなりの実権を持っている。女性の飲酒や喫煙がこの国ほど自由な国はない」
「この国では、離婚が珍しくない。一人の女性が結婚を三回、四回と繰り返すのは当
たり前で、地域によっては、六婚、七婚もある。離婚をタブー視する風潮もない」
「しからないで愛情を注ぐ親たち、自由でのびのびした子ども。それはルソー風の自
由教育のように見える」
「世界中でこの国ほど、子どもが親切に取扱われ、そして子どものために深い注意が
払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子どもたちは朝から晩まで
幸福であるらしい」
「この国では下層階級も大きな個人的自由を享有している。彼らの権利は驚くほど尊
重され、その自由たるや、ヨーロッパでも類を見ないほどの自由さである」
「一般人民のあいだにはわれわれが想像する以上の自由があるのかも知れない。民主
的制度をより多くもっている多くの国々以上にこの国の町や地方の労働者たちは多く
の自由をもち、個人的に不当な仕打ちを受けることがない」
そして、政府高官や富裕階層のライフスタイルも質素である。
「家の全家具を見てみたまえ。これは、もっとも富裕な人びとの持ち物のすべてであ
り、もっとも貧しい人びともこれ以上を必要としない。かれらの全生活におよんでい
るように思えるこのスパルタ的な習慣の簡素さのなかには、称賛すべきなにものかが
ある」
「この国では部屋に一枚の絵画と一箇の花瓶があってときどき取替えられるだけであ
る。ヨーロッパとは異なり、『どうです、高価な品物がたくさんあるでしょう』と言
わんばかりに、この家の主人が財物を部屋いっぱいに散らばして置くようなことはな
い。金持ちは高ぶらず、貧乏人も卑下しない」
「この民族が他の諸民族と異なる特性の一つは、奢侈や贅沢に執着心を持たないこと
である。非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまる」
人々は質素でありながらも、誇りをもって社会のため、みんなのために尽くすとい
うモラルを持っている!
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とくに娘たちの見せる笑顔が、彼らの 心をとらえた。無邪気で、のびのびとし、生命感がほとばしり出て、それでいて慎み 深い。その笑顔は魅力にあふれていた。
そして、子どもたちも元気だった。町の道という道が、子どもたちに占領され、歓
声をあげ、走り回っていた。人なつっこく笑顔を振りまき、そして、どんなに貧しい
家の子どもでも、『ありがとう』とお礼を言うのに外国人たちは感心したのだった。
その江戸の気風は明治までは残っていたらしい。
明治十五年の秋の本郷で東京帝国大学の教授を務めていた、アメリカの動物学者モー
スが素敵なエピソードを残している。
少女の顔が二つ、戸口からのぞいていた。一人はモースの家に住む料理番の娘、
もう一人はその遊び友達だった。九歳か十歳ぐらいであろう。
子どもたちは戸口から、モースの部屋の中をのぞき込んでいる。陶器や数々の標
本類、雑記帳…。部屋を埋めたおびただしい文物に、興味をそそられているのだった。
モースは二人を呼んで、土瓶と茶わんを渡してみた。好奇心から、これをどう使う
か、観察してみるつもりだったのだ。
二人は相対して座り、一人がお茶をつぐまねをして、茶わんを差し出した。すると、
もう一人は丁重な言葉でお礼を言い、うやうやしくこの茶わんを受け取った。何気
ないままごとの光景に、モースは目を奪われた。
(まるで貴婦人のようだ)と思ったのである。貴婦人の礼儀作法を下層階級の子ど
もまでもが身に付けていることに、素朴に驚き、モースはこう書いている。
「彼らは貴婦人ごっこをしていたのではなく、かく丁寧にするよう育てられて来たま
での話である。彼等はせいぜい九つか十で、衣服は貧しく、屋敷の召使いの子供なの
にである」
ある秋祭りの夜。今度は屋敷の召使いの子ども二人を連れて、モースは本郷通りを
歩いた。
小さな女の子二人に十銭ずつ持たせていた。(どんな風に使うだろうか)と、興味
があった。
かんざしを売る店に一軒一軒立ち寄って、女の子はあれもこれも手に取った。飽き
ずに一品一品、念入りに調べた揚げく、たった五厘の品を一、二本買っただけだった。
店を出ると、もの悲しい三味線を弾く女がいた。路上に座り込んだ乞食であった。
二人はその前を通りかかると、それぞれ一銭ずつ取り出して、当たり前のことのよう
に、女のざるの中に硬貨を落とした。
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こんな素晴らしい この国は現在、地球上に存在しない
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