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ファジーの効用
2006年10月17日
http://www.asahi.com/business/column/TKY200610170113.html
現在の情報化社会の基盤はデジタル技術である。それは「イエスかノーか」「0か1か」の2価値の論理から成り立っている。しかし、この宇宙のもろもろの現象は、「0か1か」で割り切れるものではない。
例えば、背の高い人を定義しようとすると、デジタル的には「身長180センチ以上を高い」と定めることになる。当然、「では、179.99センチは高くないのか」という疑問が起こる。同じようなことは日常のあらゆることに起こる。とても「イエスかノーか」で判断できるものではない。
このようなデジタル技術の限界を指摘したのは、カリフォルニア大学のザデー教授であった。彼はデジタル社会への反省を込めて65年、現在、「ファジー(あいまい)理論」と呼ばれる考え方を提唱した。
ところが、米国のデジタル化の流れの中で、人間の感覚や勘に着目した彼の理論は無視された。これを取り上げて、現実の商品へとつないだのは日本である。産学協同のもとファジー理論は今、洗濯機、エアコンなど多くの分野で使われている。
筆者がザデー教授に会った際、教授は大変喜んでいたが、「ただ、ファジーの名はちょっとね。『賢者または知性の論理』と呼んでもらいたいものだ」と語っていたことを思い出す。どのように呼ぶにしろ、この論理は、西洋にない、東洋の知恵を表現しているように見える。日本で実用化され、流行語となったのも故なしとしない。
ところが、この数年、小泉内閣の出現とともに「正か邪(じゃ)か」の極めてデジタル的論理がまかり通るようになった。国民の多くは明快さを新鮮と感じ、この内閣は長期にわたり高い支持率を記録した。成果の評価は後世に任せるにしても、社会は少しぎすぎすしてきたようだ。ここらでそろそろ、ファジーの効用を考えるべき時に来ているように思われる。(可軒)
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