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農業よりもホームレスが儲かる中国のいびつな現実【NBonline】
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投稿者 ダイナモ 日時 2007 年 1 月 19 日 23:43:04: mY9T/8MdR98ug
 

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20070118/117178/?P=4

 中国の週刊誌「瞭望新聞週刊」が2006年の年末に興味深い記事を掲載した。広東省深セン市に住む、かつて北京の幹部職員だった76歳の曹大澄が、乞食に変装して乞食の仲間に入り、2カ月間にわたって、深セン市の乞食社会の調査を行ったというのである。


乞食に変装して厳しい現実を調査

 調査の目的は、浮浪児(=ストリートチルドレン)を痛めつけ、脅して乞食をさせている極悪非道な黒幕をあばくためであり、曹老人はこの調査結果を計2万字からなる「子供を救え、深セン街頭の捨て子と病気や身体に障害を持つ子供乞食の生存状況調査手記」にまとめた。「瞭望」誌は曹大澄と単独インタビューを行い、深センの乞食社会と哀れな子供たちの実態を聴取している。

 ある時、曹老人が深セン体育館付近を歩いていると、黒い服を着た太った子供がコンクリートの路上に縮こまって、両目を固く閉じて昏睡しているのを見つけた。「どうしたのか」と子供に触れてみたが、まったく目を覚まさない。
 すると、突然に後ろから声がして、頭にタオルを巻いた女が立ち上がり、棒で地面をたたきながら曹老人に襲いかかろうとした。曹老人は女の顔に見覚えがあった。

 「(黒龍江省の)チチハルであんたを見たことがある。あの時、女の子を抱いていたが、どうして深センにいるんだ」。曹老人がこう尋ねると、女は「わたしゃ、あんたなんか知らない」と言う。
 「確か、あんたは家が河南省の駐馬店にあり、黒龍江省に来て乞食をしてる、と言ってた。子供が脳の病気を患ったけど、お金が無いので病院に行けない、と嘆いていた。だから、私はあんたに100元(約1500円)あげたんじゃないか」と言うと、女は笑いながら、「あー、思い出した。あんたは良い人だったよ。 100元くれたね、わたしゃ覚えているよ」と答えた。
 「あの子の病気はどうした。治ったかい」。曹老人がこう聞くと、「あの子は死んだよ。あの病気は治らない」と答えた。「あの子が死んだから、夜陰に乗じて公園に置いておいたら、翌日には収容されてた。焼き場に持ってゆけば、焼くのに数百元も取られて、根堀り葉堀り聞かれる。だから、捨てたのさ」と言い放った。

 「この子はあんたの子かい」と尋ねると、女は正直に「いや、この子のばあさんが乞食をすれば、病気を治す金が稼げるって、あたしに預けたのさ」と言うので、曹老人は10元(約150円)を取り出して小鉢に入れた。

 「この子の病気は何なんだい、どうして目を覚まさないの」と聞くと、女は「脳の病気さ、眠ったら呼んでも目を覚まさない病気さ」と言いながら10元を拾い上げ、「よけいなお世話だ」と身を翻して元々隠れていた場所に戻り、通行する人を見張り始めた--。

 曹老人は2時間後にもう一度子供の状況を確かめたが、子供はまだ眠ったままだった。


乞食富豪と言われる男

 曹老人は不思議に思った。前回の子供も、今回の子供も「脳の病気」、これはどうも奇妙だ。これは背後に病気の子供を道具にして金儲けしている黒幕がいるに違いない。可哀想な子供のことを考えると、居ても立ってもいられず、曹老人は乞食に化けて調査を行うことを決意した。曹老人が乞食に変装して調査を開始したのは2005年11月であった。

 乞食の扮装で、杖をつき、喜捨用の弁当箱を持った曹老人は、金をせびる乞食たちに混ざって、毎日のように深セン市の繁華街を徘徊するようになった。乞食たちの多くは河南省から来ていることが分かったが、たまたま曹老人は若い時に河南省に居たことがあり、河南省の方言ができたので、同郷人に成りすまし、乞食たちと親しくなるのも早かった。

 彼らとの会話から、深センの乞食たちの間で有名な「乞食富豪」と言われる男がいることが分かった。

 調べてみると、この男は繁華街の歩道橋を根城とし、3〜4人の病気や身体障害の子供を管理下に置いて乞食をさせているが、重病の子供はしばしば居なくなり、しばらくすると同じような病気を持った新しい子供に変わっていることが分かった。更に調べた結果、この男は誘拐して来た病気や身体障害の子供の腕を捻り折ったり、脚を切断したりして、無残な状態を作っていることが判明した。無残なほど、乞食の実入りは良いそうで、この男は年間に20〜30万元(約 300〜450万円)を稼いでいるという。

 深センの葬儀社のデータによると、2005年に深センの各種ルートから火葬の為に運びこまれる死亡した捨て子や幼児の数は286人にも上ったが、これはあくまでも登録された数だけで、実際の総数はどれ程になるか分からない。しばしば居なくなった重病な子供たちがこの中に含まれていることは疑問の余地はなさそうである。


都市部で保護されたホームレスは延べ70万人以上、そのうち10万人以上が児童

 筆者も広東省の広州市に駐在していた時には、繁華街では必ずと言ってよいほどに、両脚が無かったり、腕が奇妙な形に捻れていたり、寝たままで動けない子供の乞食に遭遇した。彼等の前に置かれた容器には大小様々なお金が喜捨されていて、筆者もあまりの無残さにお金を喜捨した経験があるが、喜捨せざるを得なくなるというのが実感であった。

 こうした自分たちでは動けない子供たちが何故か毎日同じ場所にいることに疑問を覚えたが、中国人の友人たちからは喜捨の上前をはねる乞食の親方が、朝に夕に彼等を運んでいるのだと聞かされた。7年程前に中国南部が寒波に襲われた2月頃、寒風吹きすさぶ繁華街にある歩道橋の上で歯をガチガチさせながら震えていた子供の乞食の哀れな姿は今も脳裏から消えていない。

 こうした実態を把握した曹老人は、調査結果を「手記」にまとめ、2006年8月に憤りを切々と訴えた手紙を添えて、北京の共産党中央宛に送付した。

 これを見た温家宝総理を始めとする中国共産党の指導者たちはいくつも指示を出し、深セン市では速やかに未成年を操る乞食や窃盗などの犯罪活動の取り締まりが展開され、一挙に街頭からは乞食を行う病気や身障者の子供たちが消えたと言われる。

 2006年8月24日には、深セン市公安局が、未成年に対して誘拐、傷害、脅迫を行った犯罪組織の「ボス」に対して公開での取調べを実施したという。それから既に半年が経過したが、果たして可哀想な子供の乞食はもう深セン市にはいないのだろうか。既に復活しているのか、あるいは親方に連れられて別の都市へ移動して、喜捨が多くて実入りの良い深セン市に戻れる日を待っているのかもしれない。

2007年1月11日に中国政府民生部が発表したデータによれば、中国国内で2006年の1年間で保護された都市部のホームレスは延べ70万人以上に達し、この内の10万人以上が児童で占められていたという。中国のホームレスの総数については、データの発表がないので、その規模は不明だが、保護された延べ人数が70万以上ということは、膨大な数のホームレスが存在すると考えて良いだろう。因みに、日本の厚生労働省が2003年に実施した調査では、日本国内に居るホームレスの総数は2万5296人で、中国とでは比較の対象にはならない。


都会での乞食稼業の方が農業よりも収入がいい

 さて、曹老人の話は続く。曹老人が乞食社会に潜入することで分かったこと。それは、乞食たちの多くが同じ地方から来ていることであり、その8割が河南省南部の周口、駐馬店、信陽といった地域から深センにやって来ている。夫婦もいれば、親戚友人、さらには村の村民班長が村人を引き連れて来ているものまでいる。

 交差点で信号待ちする運転手に金をせびるのを専門とする乞食でも、毎日50〜80元の稼ぎがあり、1カ月では1500〜2000元(約2.3万〜 3万円)以上になるので、1年では1万8000〜2万8800元(約27万〜43万円)となる。食費などの雑費を差し引いても、毎年の帰郷時には平均して 2万0000元(約30万円)以上は問題なく持ち帰れるという。彼らにしてみれば、乞食稼業の方が、故郷で農業をやっているより、肉体的にも楽だし、収入も良い。

 早い時期に裸同然で深センへ出てきて乞食をやった人が、今や村では金持に数えられるので、我も我もと乞食志願者が増えて、同じ村出身者の乞食グループが出来るありさま。乞食で成功したある地域では、「都市で(乞食をして)3年頭を下げりゃ、故郷へ帰って家が建つ」とか、「都市で3年乞食をやれば、村の党書記など誰がやる」といった戯れ言葉が流行っているという。

 こうした乞食たちも、毎年中国の正月である春節には故郷へ帰るのだが、その時に利用するのが上記の国家による「保護」なのである。中国ではかつて農村から都市へ流入するホームレスを強制的に送還する「都市浮浪乞食収容送還法」という法律があった。

 ところが、2003年3月に広東省広州市で、湖南省から広州市の会社に就職したばかりの「孫志剛」という青年が、たまたま居民証というIDカードを持たずに外出したことで、ホームレスに間違われて収監され、収容所内で同じく収監されたホームレスに撲殺される事件が発生した。この孫志剛事件は全国的に大きな話題となり、これを契機として、2003年6月に新たな「都市で住所不定の浮浪乞食救助管理法」が制定された。


故郷に帰る時は救助センターにかけこむ

 前者は強制送還であったが、後者は援助を求めた場合のみ救助することを基本としている。乞食たちはこの制度を悪用して、故郷へ帰る直前に「救助センター」に駆け込み、無料で食事、入浴、理髪の恩恵を受け、さらに故郷までの汽車の切符を無料で受け取り、晴れて2万元以上の大金を懐に故郷の我が家へ凱旋するというのである。

 ここまで来るとその厚顔ぶりに「天晴れ」と言いたくなるが、乞食たちは故郷へ帰る時以外は「救助センター」には近づかない。救助センターへ行けば無料のサービスは受けられるが、乞食商売の邪魔になるだけで、入浴も理髪も必要ならば自腹で済ませるという。

 曹老人は言う。新しい救助管理法の規定は、救助を求めて来たら対応することになっているので、昔の強制送還よりは大きく進歩したように見えるが、本当に救助を必要としている、乞食をさせられている病気や身体障害の子供たちは救助を求めることが出来るだろうか。

 専業の乞食で金を稼いでいる人たちや乞食富豪が子供たちに代わって救助を求めるはずがない。この法律をもっと現実に合わせたものに改正することを検討すべきだ。それ以上に、路上で物乞いをする病気や身体障害の子供たちの姿は中国の多くの都市で見られる光景で、多くの人々が1度ならず目にしているはずだが、そうした光景に矛盾を感じていないか、矛盾を感じても行動に出ないことが問題だ。地元の政府も公安警察も知っていながら見て見ぬ振りで、常に後手に回るばかり。こうした現状を変えてこそ、中国の真の発展につながるのではないかと。


都市に流入している「出稼ぎ者」は1億2000万人前後

 中国の農民は約7億5000万人、このうち都市に流入している「出稼ぎ者」は1億2000万人前後だと考えられている。縁故も学歴も専門も無い故に、職にあぶれた人々はホームレスとなって都市をさまよい、往々にして乞食として生きることになる。しかし、乞食の方が農民よりも稼ぎが良いとなれば、乞食の出稼ぎが成り立つのも道理。河南省のどこの村かは知らないが、「乞食御殿」が建っているのなら一度は見てみたいものである。「希望に満ちた乞食」がいるという事実を知って、その強靱な生活力に驚くばかりである。

 中国の都市の街角で乞食が目につくようになったのは、90年代の初めからだったと思う。
赤ん坊を抱いて金をせびる女の乞食、幼児を操って金をせびらせる乞食、悲惨な状況を書いた紙を自分の前に置いて座り続ける乞食など様々だった。筆者が病気や身体障害の乞食がやたらと多いことに気づいたのは1995年に広州市の駐在となってからだったが、その悲惨な姿に同情を寄せながらも、外国人である筆者は単なる傍観者に過ぎなかった。

 曹老人は2005年11月に調査を開始した経緯を述べているが、外国人の筆者が気づいていたのだから、実はもっと以前から気づいていたに違いない。気づいていてもそれを実行に移せるか否かが人間の価値を決めるのだと思うが、曹老人は76歳という年齢にもかかわらず決断して、社会悪に挑戦してみせた。そこに、正義感に燃えた男の気概を感じるのは、筆者だけではないと思う。曹大澄老人の勇気ある行動に敬意と賞賛を表したい。

(北村豊=住友商事総合研究所 中国専任シニアアナリスト)
(註) 本コラムの内容は筆者個人の見解に基づいており、住友商事株式会社 及び株式会社 住友商事総合研究所の見解を示すものではありません。

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