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□日本への憧れと夢
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/kicainc/ronbun/2006ron/you.htm
日本への憧れと夢
楊 悦
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子供のときから日本に憧れていました。そのきっかけは一枚のはがきでした。
私が7歳の時です。学校から帰ってきて、父のテーブルにおいてある一枚のはがきに気づきました。なんてきれいなはがきでしょうか。雪に覆われている富士山を背景にして、桜はピンクの雲のように燃えています。風で散った花びらが桜の木の下で優雅に微笑んでいる着物姿の女性の肩に落ちました。その姿は、まるで恋人の帰りを待っているかのようでした。このはがきを見た小さな私はしばらく呆然とその場に立ち尽くしてしまいました。私の全身全霊がその一枚のはがきに魅了されていることがわかりました。そのときから富士山、桜そして着物というイメージの日本が私の脳裏に焼き付けられました。大人になったら、このはがきの中の世界に行こうと、その時、小さな私は決心したのでした。
日本に来たのは四年半前の秋でした。高く遠くシルクのようなブルーの空には雲が少しもありませんでした。「本当に日本に来たんだ。」と感動して涙が出てきたのを今でも覚えています。歳月が経っても、子供の時の日本に対する憧れとそのときの決心は少しも色あせることはありませんでした。ただ、そのときの私は日本に対する憧れだけを持っていたのではありませんでした。それは、日本留学が私の人生の転機になり、将来の夢に一歩でも近づくためのチャンスにするのだという思いでした。そして夢は必ずかなえられると信じていました。私は、夢と希望に燃えている自分の心のなかで言いました。「深呼吸!出発だ!」。そして、静かに荷物を整理してから、慎重に歩き出しました。自分の新たな人生を歩き出すように。これが私の日本での最初の記憶です。
しかし、現実ははがきのようにきれいなものではありませんでした。着物は日本人にとっても珍しい存在になっていました。日常生活のなかで、今の日本人は着物を着ません。きれいな女の人がたくさんいますが、皆、朝の通勤ラッシュで混雑している電車の中でゆっくり化粧をしています。桜が満開になったら、桜よりもたくさんの人間の頭が桜の木の下でうごめいています。花見でもないのに、日本の若者が道端のあちこちに座り込んで、騒いでいます。青春の贅沢です。富士山に登ったら、いたるところに捨てられたごみは富士山の治らない傷のように目だっています。
日本語ができない私は失敗ばかりの毎日を送っていました。学校で仲良くなった先生に対して、私は「あなたは時間ありますか。私の家に来て、餃子を作ってあげます」と。先生は苦笑いです。すると隣の韓国の先輩が「先生に対して、あなたとか、してあげるとか使わないです。敬語、敬語使うんですよ」と教えてくれました。「敬語ですね」私は、その時初めて敬語という言葉の存在に気づきました。そのような私ですからもちろん敬語を使うことができません。中国語には日本語みたいなシステム的敬語がありません。中国人はみんなストレートに自分の気持ちを表します。お土産を人に渡すときに日本人なら、「つまらないものですが」といいます。つまらないものなら、どうして人にあげるのですか。中国人は疑問に思います。中国人なら「あなたのために、わざわざ買って来たとてもいいものです。きっとあなたに喜んでもらえるはずです。」と主張するに違いありません。日本、日本語のこのような曖昧文化に対して、私はどうしたらいいのかわからなくなっていました。
また、中国では、食べ物は何でも火を通して食べるのが普通です。日本では、冷たいものや生で食べるものが多いです。「日本人はよくこんなものを食べて長生きをしているね」と不思議に思っていました。ある日、お昼のお弁当に初めてお寿司を買ってアルバイトに行きました。やはり冷たい、とても食べられません。電子レンジに入れ、あたためてから、気持ちよくあつあつのお寿司を食べました。「あ、おいしかった。ご馳走様でした!」食べ終わってから、やっと周りの日本人の視線に気付きました。みんなまるで宇宙人を見たように目を丸くして、驚いていました。「ああ、しまった!またやっちゃったか。」私のこのような失敗は空の星のように数え切れません。日本語、日本人そして日本文化に戸惑っている私は、「はがきの日本はどこにあるんだ!ここに来た私は間違っているのか?だれか教えて!」と心の中で叫んでいました。
日本といえば、東京より京都です。京都に観光に行ったときの出来事です。我々外国人なら誰でも知っていて、一目でも見てみたいと思っている京都のお寺といえば金閣寺です。その湖の中に建っている京都の金閣寺を見た瞬間、日本の中にもうこれ以上素敵な風景は存在しないだろうと、子供のとき見た富士山のはがき以上に感動させられました。隣で見ていた観光客の一人のおじさんが「金閣寺か。たいしたものじゃねえよ。本物じゃないし。もう一回燃えればいい。」とつぶやきました。「日本人よ、どうしたの。日本よ、これからどうするの」、大きなお世話!といわれるかもしれませんが、私は本当に心配していました。もしかしたら、日本人も不安なのではないでしょうか。テレビを見れば、一番分かりやすいのではないでしょうか。若者はいい学校に入るために受験の不安を抱え、大学に入ってからは卒業後の就職の不安を抱えています。その他の人はどうでしょうか。仕事があっても、不景気のためリストラの不安を抱え、年金問題から老後の不安を抱えています。私から見ると日本社会はまるで不安ばかりの社会です。私はこのような社会に身を置いて、身近に日本人の不安を感じることで、自分自身も不安になってしまいました。
理想と現実はなんでこんなにお互いが遠い存在なのでしょうか。もう耐えられません。私は帰りたいです。中国へ。故郷へ。母のそばへ。やはり、私は中国人です。どうしても日本の社会に入ることができないと思います。こんなに無気力に感じたのは初めての経験でした。そのとき、私は一人の日本人に出会いました。私の一生の先生です。
「楊さん、なにか悩みでもありますか。」と聞かれました。私は神という存在はあまり信じていなかったのですが、そのとき、先生の頭の上に神のような光が見えました。
「先生、どうしてわかりますか」
「楊さんの顔と声ですよ。隠したくても隠せないものがあります。」まるで神様のように私の心を読んでしまったのです。私は一筋の希望の光をつかむかのように、先生に自分の気持ちを伝えました。先生は黙って私の話を最初から最後まで聞いてくれましたが、望んでいた慰めの言葉はありませんでした。先生は「帰りたいなら、簡単に帰ればいいです。なぜ、あなたはまだここにいますか」ととても冷たい口調で言いました。さっきまで神様のように見えていた先生は急に鬼に変わりました。私は答えることができませんでした。
しかし、このように先生に聞かれてから、自分について、日本の生活について落ち着いて考えることができるようになりました。そう言われてみると、確かに帰りたいなら帰ればいいのです。自分自身の悩みの理由は、自分にどうしてもあきらめられないものがあるからです。それは日本に来たときに抱いていた夢です。私の夢はたくさんあります。お金持ちになりたいです。きれいな女性になりたいです。子供をたくさん生みたいです。このようにたくさんある中で、一番大きな夢は教員になることです。日本文化を学び、日本人を知り、そしてわたしが勉強したことを中国の子供たちに伝えたい。こんなにたくさんの夢を持って日本に来た私は、まだひとつも夢をかなえていません。このままでは中国に帰ることはできません。私はそのように決意をし、先生に報告に行きました。先生は「今日の楊さんの顔は生き生きしてとてもきれいです」と褒めてくれました。自分の夢のひとつ―きれいな女性になることがかなったようです。一日でも。よかったです。自信が湧いてきました。
それから、毎月一回、先生の家で鼓のお稽古を始めました。
思っていたお稽古よりずっと厳しいです。言い換えれば、これこそ私がずっと求めていた理想的な日本像かもしれません。着物を着て、丁寧な日本語を使い、美しい振る舞いの中に含んでいる日本人の心が見えます。私は日本語も日本文化もよくわかりませんが、ただこの雰囲気の中で心を静めて、すべてを一生懸命に吸収しようと努力しました。鼓を構え、調べをし、先生の張扇子の拍子に合わせて進めます。周りのすべてを忘れて、自分と先生二人の世界になります。この世界で私と先生が会話をしています。鼓の音と張扇子の音で。掛け声と歌声で。風吹不動天辺月(風吹けども動ぜず、天辺の月)の心境はその一瞬のときだけにありました。先生は「稽古とは一より習い、十を知り、十よりかえるもとのその一。人間も同じ。」という言葉を教えてくれました。いま考えれば、それは、私の日本文化との最初の出会いだったのかもしれません。
そしてこのようなお稽古の中で、私は失敗しながらも確実に成長しています。日本社会への適応も少しずつできるようになりました。みんな、私の変化に気づいて、喜んでくれました。「楊さんって、日本人みたいになってきたね」。これは、恐らく、私をほめる言葉だと思いますが、あまりうれしいと思いません。いくら日本が大好きでも、いくら日本語が上手でも、私は日本人になれません。今のままの私、外国人の私でいたいです。しかし、外国人の私でも、日本社会の一員になりたいです。日本社会が本当の意味での国際社会になるのを期待しています。国は関係なく、同じ人間です。最近、中国と日本の間にいろいろな問題があります。私ができることはただひたすら勉強して、早く自分の夢がかなえることができるように努力することです。そして、私が毎日必ずするお祈りがあります。「神様、仏様、仏像様、中国と日本の仲が良くなるように、地震や台風が来ないように、最後に、金閣寺がもう二度と火事にならないように。心からお祈りいたします。」
日本に来て本当に良かったと思います。いろいろなつらい思いがあったけれども、人生の経験になりました。楓葉経霜紅。(楓葉は霜を経て紅なり)いろいろなことを経験することによって、だんだん日本は私のイメージの中の日本に近づいてきました。7歳のときに見た、あのはがきの中にあった富士山、桜、着物のきれいな日本のように。