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1952年公布の「外国人登録法」がもっぱら朝鮮人管理を目的としてつくられたことは周知の事実であるが、この露払いをしたのが46年11月30日に制定、翌日施行された「大阪府朝鮮人登録条例」である。この条例は、密航者の取締りとコレラの蔓延を防ぐという口実の下、大阪府下の朝鮮人を治安対象とし、警察が直接管理統制したものであった。
46年9月20日、GHQの承認を得た日本政府は、朝連(在日本朝鮮人連盟)に対して、すべての朝鮮人は所轄警察に自ら届け出、のちに「朝鮮人登録証」となる「居住証明書」の交付が義務付けられると通知した。
各種朝鮮人団体は「居住証明書」はかつて日本当局が在日朝鮮人の居住や活動を制限し、戦争動員にかりたてた「協和会手帳」の再来であると、強い反対運動を展開し、実施は延期に追い込まれた。
しかし、米軍大阪軍政部法務課長であったカーナン少佐の、「『居住証明書』の交付に反対することは、軍政部の政策に反対することを意味する」という発言によって反対運動は封じ込められていった。米軍政部という強力な後ろ盾を得た大阪府当局は、「居住証明書」を「朝鮮人登録証」と改めて条例化しようとした。
これに対し朝鮮人三団体(朝連、建同〈新朝鮮建設同盟〉、建青〈朝鮮建国促進青年同盟〉)は団結し、大阪府朝鮮人弾圧反対闘争委員会を構成、徹底的な反対運動を行なったが、大阪府当局は機先を制し、「大阪府朝鮮人登録条例」(府令)を制定(11月30日)、『大阪府公報』号外として公示したのである。
翌日から在阪朝鮮人は警察に出頭し、届け出なければならなくなった。しかし、朝鮮人らはその後も反対運動を続け、施行から1カ月以内とされた申請期間内の申請者は全体の10%にも満たなかった。
「朝鮮人登録証」には、左右の人差し指の指紋押捺欄が設けられ、本人の顔写真を添付、氏名、職業、本籍および住所を記載し、所轄警察署を登録所とする旨の告示がついている。条例は、朝鮮人の居住、旅行、商工業活動に制限を加えた。
また、府条例は米軍大阪軍政部の「密入国朝鮮人の送還指令」と連動しているため、朝鮮人自ら非密航者であるという立証ができないときは、警察官の一方的な判断により強制送還という措置も取られた。
この条例は一見すれば、大阪府当局と大阪府警察部が行ったように取れるが、実際には日本政府の朝鮮人排外の意思を体現したものであった。
「大阪府朝鮮人登録条例」は、翌年に発令された最後の勅令である「外国人登録令」(47年5月2日施行)に向けた実験的取り組みであり、朝鮮人管理の集大成ともいうべき「外国人登録法」(52年4月施行)制定のための周到な布石であったといえるだろう。
「協和会手帳」以来今日に引き継がれる外国人への排外と管理の枠組みを考えるとき、朝鮮人の集住地域である大阪府の「朝鮮人登録証」の歴史的意味がよく見えてくる。
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(在日韓人歴史資料館研究員・尹義善
http://j-koreans.org/etc/picup.html