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スリランカの民族紛争ーその背景と解釈ー
http://f1.aaa.livedoor.jp/~home/kikou2.htmlより抜粋転載
1977年の総選挙で統一国民党は、168議席のうち140議席を獲得し、ジャヤワルダナが首相となる。彼は憲法を改正し、大統領制を導入し自ら大統領となった。
ジャヤワルダナは、国家主導の経済発展を目指すバンダーラナーヤカのスリランカ自由党の路線を変更し、香港やシンガポールを理想とする解放経済政策を掲げた。そして、西欧自由主義諸国に急速に接近していった。政府が掲げた主要な経済政策は、西欧諸国からの援助促進、積極的な外国資本の導入、観光と中近東への出稼ぎの促進、マハウェリ水系の開発促進などであった。
政府は、経済発展の基礎となる国家の安定を意図して、タミル側との間で様々な折衝をもつ。例えば、タミル人の自治県の要求に譲歩して、県開発会議(District Deveropment Council)の設定決議を行なった。しかし、こうした与党の動きは、スリランカ自由党や与党内部の保守派の反発を買う。また、県開発会議はタミル側の要求を満足させるものではなかった。
ジャヤワルダナの解放経済政策の結果、起業家の競合関係は激しさを増し、また最良の水準に達していた福祉政策が見直されることになる。この結果、シンハラ人の内部で貧富の差が拡大した。自由化によって電気製品などの外国製品が街にあふれ、人々の購買欲をそそった。人々の欲望が生活水準以上のものを求めるようになったのである。こうして生まれた貧窮化、剥奪感は政府批判へと向かわず、タミル人へと向けられた。1950年代に起きた暴動と同じように、シンハラ社会の矛盾が、1981年と83年のタミル人排斥を求める暴動を生むのである。
さて、1977年夏、選挙から数週間後に、新たな虐殺の嵐がタミル人を襲った。8月13日から9月15日までの間にシンハラ人の暴徒たちが、タミル人の店や家を襲ったのである。これは直接には、ジャフナのシンハラ女子大生が強姦されたという噂に端を欲しているが、その背後には、タミル統一解放戦線の分離政策に対するシンハラ民衆の反発が存在する。この暴動で300人が死に、3万5000人が難民となった。この虐殺ではじめてインド・タミルたちも攻撃の対象となった。
略
タミル人差別を支えるイデオロギーは、シンハラ語を母語とするシンハラ民族こそがランカーとう島の主人であり、シンハラ人こそが仏教を保護する撰ばれた民族であるという意識である。これに加えて、シンハラ人は北インドから渡来したアーリア人種であり、南インドのドラヴィダ人種であるタミル人に対して有能であるという意識が加わる。この人種、宗教、言語、領土が密接に結びついたイデオロギーは、様々なメディアを通じて現代のシンハラ民衆の心をとらえている。しかし、スリランカのシンハラ仏教ナショナリズムを批判的に検討すると、こうしたイデオロギーが過去せいぜい100年の間に生まれたものに過ぎないことが理解できる。同じようにタミル・ナショナリズムも19世紀末のヒンドゥー教再興運動や南インドのドラヴィダ運動などに刺激されて形成されてきた。
さらに強調しておかなければならないのは、冒頭で述べたように、スリランカにはさまざまな民族集団やカースト、階級が存在することである。つまり、シンハラもタミルも集団として均質な構造を持っていない。シンハラとタミルという現代スリランカをまさに二分する対立は、「内部」を形成する諸集団の葛藤のダイナミズム、悪くいえば矛盾の転嫁が生んだものだという視点が必要である。
以上のような歴史的及び社会学的な視点から、ナショナリズムの強固なイデオロギーに惑わされずに、紛争の原因を分析することこそ、スリランカの民族紛争にアプローチする妥当な方途であると思われる。
しかし、あらゆる紛争や民族のイデオロギーを歴史的な産物であるとみなし、更にその背景を経済的な矛盾に還元して説明するという手続きに問題がないわけではない。そこには西欧社会における経済中心的な偏見が認められる。さらに政策を変更し、経済発展を押し進めれば、民族紛争も解消するという楽観主義が潜んでいる。ここに文化的要因を強調する文化人類学的な研究に耳を傾ける意義がある。だが、果たして歴史的分析と文化的な解釈とは矛盾しないのであろうか。
例えば、ニッサンとスティラットは、シンハラとタミルとの民族対立を古代から継承されてきた「人種」的対立としてとらえるのは誤りであると主張し、それが中央集権的な主張も含まれている。というのも、仏教徒にとってタミル人は悪魔のような存在で、彼らを祓除することではじめて仏陀を頂点とする秩序ある協同世界が創造、維持されると考えていると主張しているからである。それが、タミル人への暴力的な態度となって表明されるというのである。
同じ主張は1983年のタミル人の大虐殺を「大規模な悪魔払い(gigantic exorcism)」と表現するカッフェラーにも認めることができる。
しかし、ニッサンらの議論は、たとえある程度の真実を含んでいるものにせよ、シンハラ民族の世界観が普遍的で、非歴史的であるということを前提としていることを見のがすべきではあるまい。彼らの文化的な解釈が正しいとすれば、民族問題は悪鬼についての仏教コスモロジーをシンハラ人が受け入れた瞬間に生まれたことになる。とするなら、1000年以上昔からタミル人は悪鬼として排除の対象となっていたということになろう。これは彼らの基本的主張と矛盾することになる。スリランカの民族紛争とタミル人抑圧を正当化するイデオロギーを歴史的なものとしてとらえておきながら、その文化的解釈の歴史的な性格を問おうとしていないのである。以上の批判的考察から民衆世界の一見、非歴史的に見える言説(文化的解釈の対象となる意味の世界)を歴史的に構築された言説として分析していくことこそ今後の課題と思われる。
紅茶の部屋
http://f1.aaa.livedoor.jp/~home/kikou2.html
「イラク三分解関連サイト」 政治
次のようなものがあります。↓
第21回:イラクから撤退すべきか、否か、それが問題だ
読者コメント
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200611061637531
140652 米政権
イラク打倒後、三分割を計画
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H14/1406/140652usa.html
イラク北部クルド人、独立求め国連に署名提出
http://musume80.exblog.jp/1479322
太田述正コラム#1497(2006.11.9)
<米中間選挙で民主党大勝利(続)(その2)>
http://www.ohtan.net/column/200611/20061109.htmlより抜粋転載
中東 TODAY
No. 40 「イラクの風見鶏シスター二師の発言」 2004年01月14日
http://www.tkfd.or.jp/news/today/1_20040116_1.shtmlより抜粋転載
No.441 「イラク連邦制可決の及ぼす影響」 2006年10月13日
http://www.tkfd.or.jp/news/today/1_20061016_1.shtmlより抜粋転載
世界大戦の予感
2003年11月27日 田中 宇
http://tanakanews.com/d1127iraq.htmより抜粋転載