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(回答先: NHKスペシャル:ドキュメント北朝鮮 第2集 隠された「世襲」。キム・ジョンイルは拉致の張本人だす。 投稿者 竹中半兵衛 日時 2006 年 11 月 10 日 15:48:42)
どうも、北朝鮮という国には社会主義国という割に、アメリカや日本やドイツ第三帝国の真似をしているように見受けられる点が幾つもある。
拉致はブッシュやフジモリがやっているし、マスゲームのようなことは学会がやっている。全体主義では日本やドイツが先である。彼らに独創性はあるのだろうか。規模が違うということか。
>ドキュメントでは、キム・ジョンイルがなすて、「社会主義国」では前例のない、
↑本当か?資本主義なら東京都を含め前例だらけだが。
>権力の世襲が成ったのか考察するもんで、キム・イルソンの陰謀によってキム・ヨン>ジュ(イルソンの弟、党序列6位、後継者として東側では最有力視されていた)ば排>除すて息子ば後釜さすえたっつてたす。んだから、1980年の第6回党大会ではす>でにキム・ジョンイルが後継者とすて政権基盤ば確立すてたのに、中国の妨害で発表>でけねがっただけ。やがて「書記」とすて肩書きばもったんだすがや、NHKスペシ>ャルの報道では。
影響力を与えているのは、やはり中国か。
>さて、証言さよると、キム・ジョンイルは毎日おやずが「党」さゆぐときは家で靴ば>履かせて車さ乗せて見送り、帰ってくると出迎えた、っつな話だす。能力のないもん>がよぐやる手だすな、会社でもおんだす。あんます頭はよぐねえが、下さ厳しく(こ>の点は超一流だ)上さやさすい性分ば恥ずかしげもねぐ晒す人がおんでねの。ふんで>おやずは、気配りのうまい(まわr4いから見ればごますりだべ)わが息子さ満足す>た。
日本で言えば石原とかね。
(前略)
>絶対的な権力を誰がひきつぐのか。これが東側諸国の関心事であった。
>東欧諸国では朝鮮労働党序列6位のキム・ヨンジュを最有力の後継者と見ていた。キ>ム・イルソンは「朝鮮労働党」という「自分の作品」を誰が継ぐのか?彼は信頼でき>る家族しか後継なし、と決めていた。
日本の皇室みたいなもんだな。東京都はそうなって欲しくないな。
>元東ドイツ国際関係部朝鮮担当課長ホルスト・ジーベックの証言
>「社会主義国では親子の権力継承はあるまじき行為と考えていた。社会主義におい>>て、後継者とは国家にとって、政治的にもっとも能力のある人物が選ばれるべきと考>えていた。」
スターリン主義国の方が資本主義国の日本やアメリカ、イタリアよりモラルが高いように見える。
>(ナレーション)前例のない権力の世襲。しかしその準備はすでに始まっていた。>(60年代前半、軍を視察するイルソン、ジョンイル親子の写真)キム・イルソンはジ>ョンイルが20代の頃から軍や党の視察に頻繁に同行させていたが、このことは常に>秘密にしていた。
ここが石原と違うとこだわな。
>キム・ジョンイルを知る人物がアメリカに居た。一家の家庭教師をしていたピョンヤ>ンの大学教授であったキム・ヒョンスクである。彼は亡命後2003年にアメリカへ>移住している。
>キム・ヒョンスクの証言
>「キム・ジョンイルは大学に入学したときからキム・イルソンの後継者は自分だと考え、父親に熱心に尽くしていた。キム・イルソンが朝出勤するときは靴を履かせて車に乗せ、夜帰宅すると必ず出迎えた。外国にゆくときも同行し、随行員が十分に父を世話していないと強く叱っていた。キム・イルソンもそうした息子に満足していた。」
北朝鮮は西武グループかよ?
>宣伝・扇動部は国民の思想統制を担う重要な部署である。(70年代、韓国で傍受さ>れた北朝鮮の映像)宣伝・扇動部が進めた思想教育が記録されている。忠誠心を養う>ため、子供たちは10日以上かけてキム・イルソンが少年時代に歩んだとされる道を>たどらねばならない。
>(子供が宣誓している映像)
>「敬愛するお父さん、キム・イルソン様を敬い、私達は忠誠の心をこめて、最大の栄>光と感謝を捧げます。」
>(思想統制運動で強化されたのがマスゲーム。1958年のマスゲームの映像あり)>ソビエトのカメラマンが撮影したもの。キム・イルソンが取り入れた。
>当時の子供たちの動きは単純で機敏な動きはない。全体の統制も取れていない。しか>し70年代大きな変化が見られる。マスゲームはキム・イルソンへの忠誠の証と位置>づけられ、数万人の子供が一糸乱れず動くようめいじられた。(映像はキム・イルソ>ンと両脇に子供)
恐らく創価学会の真似だろう。70年代なら学会の方が先だな。多分。
>当時マスゲームに参加した人の証言(2000年韓国に亡命した人」
>「当時のマスゲームの訓練は本当に厳しいものでした。私は背景板を担当していまし>た。訓練中はトイレに一切行けません。ビンに用を足さねばなりませんでした。半年>間勉強はまったくできませんでした。
北朝鮮の文部省は責任を取れ!
>キム・ヒョンシク(家庭教師)の証言(画像背景は1933.3.11というマスゲーム)
>「背景版で最も難しいのは、キム・イルソンの顔の部分です。担当する子供たちは死ぬ思いで訓練しました。失敗してキム・イルソンの顔を汚すと、家族全員が処罰されるからです。キム・ジョンイルが思想統制を担当してから、国家全体、人民の全てがキム・イルソンに対する崇拝を強化しました。国家体制はこのようにして作られて行ったのです。」
戦時中の軍事教練みたいだな。
>(ナレーション)70年代中ごろに撮影されたと見られる親子の映像です。キム・イルソンは宣伝・扇動部の息子の実績を認め、さらに重要なポスト「組織指導部」の責任者に抜擢します。親子間の権力の継承はこのときから本格化してゆきます。
>(ナレーション)朝鮮労働党の機関紙「労働新聞」です。74年2月14日これまで使われたことのない表記が登場しました。「党中央」。キム・イルソンを指す「首領様」と並べて用いられました。その後「党中央」の名で党の重要な指示が出されるようになります。
この辺り小泉政権の頃を思い出す。
>ピヒトの証言
>「党中央」とは不思議な表現でした。私達は当時問うの中心部という意味ではない>か、または党中央委員会の省略した呼び方ではないのかと考えました。それが一人の人間を指すとは夢にも及びませんでした。」
>(ナレーション)なぜ「党中央」という表現を使い、後継者の決定を明らかにしなかったのか。キム・イルソンの側近だったファン・ジャンヨプは「他の社会主義国の目を気にしていたからだ」と言います。
統一のオトーサマと学会の目ではないのか?
>ファン・ジャンヨプの証言
>「社会主義・共産主義を掲げる指導者が世襲で権力を息子に譲る。これでは完全に封建制のやりかたです。だから公にすることはできなかったのです。息子への後景は、既成事実として着々と進めていました。どうしてそうしたことを表に出せるでしょうか。
日本は封建社会かよ。
>(ナレーション)この頃のキム・ジョンイルの発言をまとめた資料を入手することができました。労働党の幹部にだけ配布されていた内部資料です。(画面にテロップ「キム・ジョンイル 主体革命偉業の完成のために」)そこには組織指導部を率いる立場から、党の幹部に行った講演が記されていました。
>(資料の朗読「党中央の意思は、すなわち首領様の意思である。そして、党中央の私道は、首領様の指導を実現するためのものだ」)
>(ナレーション)首領であるキム・イルソンと同じ権威を持ち、後継者としての活動を始めると宣言したのです。キム・イルソンは息子のライバルであったキム・ヨンジャを政治の表舞台から追放します。とうの実権を掌握した息子は父とともにその支配を国の隅々にまで広げてゆきます。(キム親子の1975年12月撮影の写真が画面に出る)当時北朝鮮では新たなスローガンが掲げられました。キム・ジョンイルは生産性を上げるため思想や技術などの発信を図るよう指示しました。
>大学を出た20代を中心に「算代革命小組員」と呼ばれる若者が全国の現場に配置されました。しかし彼らには別の使命が与えられていました。国内全ての生産現場で、党や警察とは異なる独自の監視網を作ることでした。およそ20万人の若者たちが、事実上キム・ジョンイル親衛隊として活動しました。
>(ナレーション)地方の集団農場で活動していた親衛隊の一人です)画面は2002年韓国に亡命したものの映像)
元三大革命小組員(しょうそいん)の証言
>「体制に不満を持つ人間を排除することが任務でした。われわれは巨大な蜘蛛の巣のような存在でした。全国の農村や過程にまで入り込み、人々が考えていることを全て洗い出し、ささいなできごとまで中央へ報告しました。党中央の意見に反したり疑問を持つ人間を見つけ出し、直ちに粛清しました。キム・ジョンイルは国内での権力を高める上で、われわれの力を大きく利用したのです。
またそうやって戦時中の日本やドイツの真似をする。
>韓国で革命を起こし、政府転覆を図る対南工作。70年代、北朝鮮では頻繁に工作活動を繰り返していました。私達は対南工作を実行していた工作員のメモを入手しました。メモが書かれたのは76年です。対南工作が誰の指示で行われていたのかが記されていました。
>「キム・ジョンイルの指導にこれっぽっちの疑問も持たない。(私道は)すなわち法律で、すなわち身を賭しても成し遂げる。これが原則です。無条件貫徹する。日本人を拉致することは当たり前。革命のためにはなでもする。」
>(ナレーション)(2002年9月の日朝首脳会議の映像)キム・ジョンイル総書記は、拉致は盲動主義、英雄主義の工作員が行ったとして、自らの関与を否定しています。
それが陛下の心だということです。
>発言の朗読「キム・ジョンイルはすぐれた指導力を備え、党を指揮する才能を持つ。彼はこれまでに中央と地方の党機構を指揮・管理し、大きな実績を積んでいる。労働党と人民はこの指導に納得し、運命をともにした」
>(ナレーション)すぐれた能力を理由に党と人民が指導者として選んだという説明でした。
>(画面れ六腑「わが党が決定すればできないことは何もない。党が作戦を立てっ命令を下した。もはや勝利も同然だ」)
聖教新聞の見出しかよ。
>(ナレーション)生産現場では短期間でノルマを達成する200日戦争が始まりました。
>外国に依拠せず、自力で全てを達成するというイデオロギー主体思想が強調され、大量の労働力が投入されました。完成した施設は積極的に海外へ航海されます。キューバのテレビ局に公開されました。市民向けの健康施設です(キューバ国営テレビの映像)、当時西側で流行していた健康危惧が設置されていました。およそ2万人の勤労奉仕で作られたとされる巨大な娯楽施設(マンギョンデ遊技場の映像)。高さが20メートルもある滑り台など、西側と同じつくりだと強調されました。
北の政策は論表に値せず。田中角栄の出来の悪い焼き直しでしかない。
>83年、北朝鮮は経済成長のデータの発表を突然とりやめました
データ自体が信頼できないもんね。(^p^)
>ケルンへのイナタビュー。
>「北朝鮮の経済政策は非生産的でした。自己の力で全てをやり遂げられるというイデオロギー・主体思想にもとづいて運営されていたのです。その結果、経済の発展が阻害されました。全ての国民がが自力で目標を達成できると錯覚していたのです。(主体思想塔の映像)
教育の力です。
>ホルスト・ローマン「ある朝鮮人が私にこんな発言をしました。「よき朝鮮人は4時間の睡眠で20時間働くことができる。それがわれわれが目指すべき理想の朝鮮人である。」思想教育にお結果だと考えました。当時この国では人口の8割が40歳以下でしたが、生まれてからずっと思想教育を受けてきたのです。そのためキム・ジョンイルがん命令する党の指示に不平不満を持たないのは当然でした。」
単なる地獄の特訓・企業戦士養成講座じゃないか。どこが社会主義なのか?
>(国際オリンピック委員会総会の映像)
>(「1981年9月、1988年のオリンピックの開催地はソウルにきまりました」との発表の映像)
決めるなよ。光州事件と金大中死刑判決のすぐ後で!
>(映像「大韓航空機爆破事件。1987年11月のテロップ」)
またキューバやイランの民間航空機にテロったアメリカの真似をする。
>朝鮮人民軍元幹部の証言「東ヨーロッパに留学していた軍人たちが突然粛清されました。キム・ジョンイルは、自分がルーマニアのチャウシェスクと同様、軍により処刑されるのではないか、と恐怖心を抱いていたのどだと思います。キム・ジョンイルはこんな言葉を使うようになりました。「あなたたちはw私の新任がないと肉の塊のようなものだ」。忠誠を尽くさない幹部は無慈悲に粛清されました。新たな狂犬政治のはじまりでした。」
これもヒトラーとスターリンの真似ね。愛国心は悪党の隠れ蓑であるw