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「新親日派」の呉善花氏は日本人
2006.9.18
メーリングリスト[AML 9375]
半月城です。
呉善花氏は、デビュー作『スカートの風』を出版して以来、わずか十年あまりで驚異的にも数十冊もの本を出版し、すっかり売れっ子のニューカマー「韓国人」になった感があります。
彼女の本がこうもヒットした秘密はどこにあるのか、韓国のテレビ局MBCが徹底取材し、番組PD手帳「新親日派の正体を明らかにする」(8/15)で解き明かしたので、その内容をかいつまんで紹介します。
PD手帳の性格ですが、この番組は、かつて韓国で国民的英雄とされた生命科学者・黄ウソク教授の論文捏造を鋭く告発するなど、逆風にも屈せず真実を追求しましたが、その姿勢は社会の木鐸として高く評価されています。
それらの番組は下記で登録すればいつでも無料でみることができます。最近では、こ
こでも話題になった9.11事件にちなんで、番組「9.11陰謀論、米国の自作劇なのか?」
(韓国語)が放送されました。
http://www.imbc.com/broad/tv/culture/pd/vod/index.html
主題の番組ですが、それは「新しい歴史教科書をつくる会」の集会シーンから始まりました。2005年4月の集いでは、呉善花氏はパネラーとして登場するはずだったのですが、直前に取りやめになりました。
司会者である藤岡信勝氏の説明によれば、彼女は身の危険があるためパネラーとして参加できなくなったとのことでした。
しかし、その説明の直後に彼女は会場の観客席から立ち上がって参加者に向って一礼しました。テロの危険があるとのことなのに一体どうしたことでしょうか。客席でなく、パネラーとして登壇すると、客席から射たれかねないとでもいうのでしょうか? 「身の危険」なるものは、単に彼女の強迫観念にすぎないのではないでしょうか。
ま、彼女が強迫観念に捕らわれるのも当然かも知れません。何しろ「従軍慰安婦」は日本軍の強制によるものではなかったとか、歴史を歪曲するような発言を公然と繰り返しているだけに批判から身を潜めざるを得ないのかも知れません。
しかし、身を隠すのは強迫観念のためばかりではないようです。彼女はMBCの取材からも逃げまわりました。MBCからの電話取材の際、彼女は何とみずからを彼女の親戚であるかのように装って、呉善花氏は長期旅行で当分留守です、などとあからさまな居留守を使いました。
ところが、頭隠して尻隠さずとでもいうのでしょうか、翌日、長期留守のはずの彼女は産経新聞の黒田勝弘氏からの電話には応対しました。もちろん、MBC取材陣は黒田氏と同席していました。居留守は明白でした。
ウソも方便でしょうか。それは彼女の経歴にも言えるようです。十年前に山本七平賞を受賞した著書『攘夷の韓国、開国の日本』において彼女の経歴はこう書かれました。
<著者紹介>
1956年、韓国・済州島生れ。1983年に渡日し、大東文化大学(英語学専攻)の留学生となる。その後、東京外国語大学大学院修士課程(北米地域研究)を修了。通訳、翻訳業などを通じて日韓ビジネスの現場を体験・・・
このように日本での学歴はくわしく書かれましたが、どうしたことか韓国の学歴は記されませんでした。ところが、最近公表された著書には韓国、大邱大学卒業という経歴がつけ加わりました。
しかし、これはMBCの調査で学歴詐称と結論づけられました。MBCが同大学に行き実際に調査したところ、彼女の本名・呉スンイルはありませんでした。この報道に対し、彼女がMBCを名誉毀損で訴えた様子はないようです。
学歴詐称は拓殖大学の渡辺利夫教授(現在、同大学学長)によれば立派に犯罪とのことですが、それもさることながら、呉善花氏をめぐる疑惑で重大なのは、何といってもゴーストライターの存在です。番組は、かつて呉善花氏の内縁の夫であった清塚誠氏や出版関係者に取材し、その内幕を赤裸々に放映しました。
清塚氏が呉善花氏と同棲するようになったのは、かれが遊びにいった上野の韓国クラブ「ニュー太陽」でそこのホステスとして働いていた呉善花氏に出会ったのがきっかけでした。実業家の清塚氏は才色兼備の彼女を見込んで秘書に雇い、日本の大学へ入学させました。
かつてPD手帳は、1991年に東京の韓国人ホステスを取材し、番組「赤坂の韓国女性たち」(6/11)を放送しましたが、その番組で呉善花氏はこう語りました。
「韓国から留学で来た女子学生はホステスになり、プロホステスと同じく金持ちの愛人になる場合が多かった」
まさか呉善花氏はこれを実践したわけではないのでしょうが、やがて清塚氏と同棲するようになりました。そして大学に通うかたわら、本を出版する決意をしたようです。その目的は清塚氏によれば、日本ペンクラブの会員になって、卒業後の日本在留ビザを獲得するためだったとのことでした。
しかし、本の出版は容易ではなかったようです。何しろ、彼女は日本語がつたないので、書いた原稿は何度も出版社から返され、1年たっても校正は終りませんでした。しまいには出版社がしびれを切らしたのか、代筆ライターを世話するにいたったと清塚氏は証言しました。
そうして世に出たのが出世作『スカートの風』でした。本のネタの7割は、清塚氏が運営する韓国語学校でかれが授業中に生徒の眠気覚ましに面白おかしく語った、韓国クラブのホステスにまつわる話などが元になりました。
その本の第1章は「日本で働く韓国人ホステス、なぜ日本に永住したいと願うの
か?」という見出しですが、これは彼女の来日動機そのものでもあるようです。
原稿の代筆を請け負った韓国人は、その本が出版されるや、道義的良心からすぐ身を引きました。二人目の代筆ライターは在日韓国人三世の女性ですが、彼女は番組に顔を隠して登場しました。彼女は、代筆は彼女以外に何人もいると証言しました。
このような代筆こそが、彼女の著書の秘密を解く鍵になります。代筆者さえ確保できればいかなるテーマでも容易に文は書けるものです。呉善花氏は「神社神道の核心を考える」という一文を『日本文化』に掲載しましたが、その内容はかなり高度なものです。これについて高橋哲哉氏は控えめに「日本人が書いたようにみえる」と語りました。
また彼女の著書の中で『韓国併合への道』を読んだ歴史家の李泰鎮氏は、彼女が甲午改革に関する田保橋氏の論文を引くなど、歴史の専門家でなければ知らないような文献を引用しているのに舌を巻いていました。
もちろん、彼女がそれだけの実力の持ち主である可能性はあります。しかしながら、彼女の書く文章と彼女の語る内容の落差があまりにも大きいことは拓殖大学の学生のみならず、衆目の一致するところです。
大学の授業ですが、番組で見るかぎり、そのレベルは容易に察しがつきます。ソウル南大門市場近くのゴミの山を高層ビルに重ねて写した写真を学生に見せて、韓国は「このようにごっちゃまぜの文化」であると説くのでした。
あるいは、こうも説きました。韓国は三面が海なのに日本とは大違いである、たとえば韓国は台風が少ないが、これは日本のおかげであるとか、韓国人は海の幸をあまり食べる習慣がなかったとか、誇張して言えば、授業の内容は観光ガイドの話と五十歩百歩です。
ま、番組の性格を割り引いても、少なくとも神社神道に関する論稿を書いたような知性は、彼女の発言からはその片鱗を見いだすのはむずかしいようです。
こうした落差に産経新聞の黒田勝弘氏ですら「毎年のように本を出版するのは、一人ではむずかしい」「誰か助けている」「協力者がいる」などと代筆をほのめかすほどでした。
そうした「協力者」はなぜ自分の名前を出さずに黒子に徹するのでしょうか? その狙いを高橋哲哉氏はこう推測しました。
「日本人が日本人の名で韓国や中国を批判する、これはある意味では不思議ではない。
しかし、韓国人にもそういう人がいるとなると、それは偏見ではないということを日本人に信じさせることができる」
中国や韓国に対する批判を日本人がいくらおこなってもインパクトはないが、韓国人が批判すれば説得力が格段に増すということから、協力者たちは黒子に徹し、彼女を看板スターに仕立てているようです。この作戦はかなり功を奏しているようで、彼女の言説はいたるところで利用されました。
たとえば麻生太郎発言です。同氏は日本が植民地の朝鮮でおこなった創氏改名を「満州で仕事がしにくかったから、名字をくれと言ったのが、そもそもの始まりだ(注1)」と語りましたが、これは呉善花氏の著書がネタ元であることが番組で明らかになりました。
また彼女の本は、ヒットしたマンガ『嫌韓流』の教本にもなりました。やはり、韓国人が語る韓国史の歪曲は説得力があるので、嫌韓をあおる絶好の材料になりました。
彼女の著書はそうした効果が期待でき、かつ商業ベースに乗るだけに、彼女への協力や代筆システムは次第に確固たるものになっていったようです。毎年のように韓国批判のヒット本が生み出されました。
そうした一冊に崔吉城氏との共著『これでは困る韓国』があります。この本で崔吉城氏は<どんな戦争でも「慰安婦」はついて回る。ユーゴでもロシアでも・・・決して日本だけではない>と書いたとされますが、MBCがかれに直接取材したところ、何とかれはその内容を否定しました。
かれは、出版社から頼まれて呉善花氏と対談はしたが、自分の趣旨はその本とは違うし、自分はその本の表紙すら見たことがないと証言しました。崔吉城氏の話を出版社は否定するので、どちらがウソをついているのか定かではないのですが、代筆の疑惑はますます深まるばかりです。
いずれにせよ、彼女の本の出版に際しては強力な協力陣が暗躍していることだけは確かなようです。そのからくりはともかく、数多くのヒット作を生み出せば、それだけ彼女の名声は右派陣営でますます高まるばかりです。
その結果、彼女は拓殖大学日本文化研究所長の井尻千男氏によって推薦され、同大学の国際開発学部教授に就任しました。その時、彼女はおそらく日本人に帰化した事実を隠していたのでしょうか。
MBC取材陣は、井尻氏に面談した時に彼女が日本人に帰化した事実を告げたのですが、同氏は「私は聞いていない」「それはデマですね」といってはねのけました。しかし、相当ショックを受けたのか、かなりの周章狼狽ぶりでした。
MBC取材陣はどこで手に入れたのか、彼女の戸籍謄本を井尻氏に示しました。そこには 1998年10月29日に日本国籍を取得し、戸籍から除籍された事実が記されました。日本は帰化者の二重国籍を防ぐため、帰化者の名を韓国へ通告し、それを受けて韓国政府はその人を戸籍から除籍するようになっています。
いまや、彼女は韓国人でないことがはっきりし、その事実がウィキペディアにまで記されました(注2)。彼女が日本人になったことが知れわたると、今後どのような変化が起きるでしょうか。
一橋大学の渡辺治教授は「彼女は韓国が売りである。そのレッテルがなければ、ただの右翼にすぎない」と語りましたが、はたしてそう楽観できるでしょうか。また、彼女の学歴詐称はどう決着するでしょうか。
また、彼女はかつて著書『私はいかにして「日本信徒」となったか』を出版しましたが、今度は『私はいかにして「日本人」になったか』という本の出版が待たれます。
(注1)半月城通信<麻生太郎会長の「創氏改名」発言>
(注2)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「呉善花」
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
http://www.han.org/a/half-moon/hm122.html#No.914
<コメント>
「スカートの風」とかも、ずいぶん怪しげな中身だと思ったけど、ここまで疑惑が深いとは・・・