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http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20061018/p1 から転載。
2006-10-18
■[東中野メソッド]「『戦争とは何か』は国民党が書かせた」説の破綻…東中野氏、亜細亜大学での質疑応答で有効な反論できず
3ヶ月前のことですが、「南京事件資料集」のK-Kさんが、7月15日の亜細亜大公開講座を聴講し、東中野修道氏と直接質疑応答されました。
8月の時点でK-Kさんが「史実を守る会」会報にて報告しているのですが、あまり知られていないと思われるので転載します。
ちなみに論点は、H.J.ティンパーリ著『戦争とは何か』をめぐって。
・東中野氏は「『戦争とは何か』は中央宣伝部の製作した「宣伝本」だったことが確認された」と主張。
・これに対し、井上久士氏(駿河台大学教授)は『戦争とは何か』は、国民党国際宣伝処が資金を出して企画制作したものではなく、既に書かれたものの版権を買い取って翻訳・印刷したものだと反論(『現代歴史学と南京事件』所収、東中野氏の著書より前に刊行)。
その根拠は、国民党国際宣伝処の『中央宣伝部国際宣伝処民国二十七年工作報告』の「われわれはティンパリー本人および彼を通じてスマイスの書いた二冊の日本軍の南京大虐殺目撃実録を買い取り、印刷出版した」という記述である。(この項、アマゾンのKaji-Kazuoさんのレビューを基に構成)
K-Kさんは上記の論点について東中野氏に質問を向けたのですが、なんと氏は井上久士氏の論文を知らなかった!
以下、詳細を転載します。
http://jijitu.gaou.net/wiki/wiki.cgi?page=%BB%CB%BC%C2%A4%F2%BC%E9%A4...
七月一五日、亜細亜大学における東中野修道氏の公開講座での質疑応答の模様を紹介したいと思います。
私の質問の主旨は、H・J・ティンパレー編『戦争とは何か』が国民党の資金によって書かれた宣伝本であったという主張は間違っているのではないか、というものでした。
東中野氏の見解では、『戦争とは何か』は、第三者的な立場から戦争の被害を訴えるために書かれたものではなく、国民党が資金を提供して書かれた宣伝本であった、ということです。今回の講義ではその根拠として、東中野氏が発見した「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概況 一九三八年〜一九四一年四月」を挙げていました。この史料では「本処が編集印刷した対敵宣伝書籍は次の二種類である」としてその一つに『戦争とは何か』が挙げられています(東中野修道『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』(草思社、二〇〇六年五月、一九ページ)。
また、講義では触れられていませんが、『戦争とは何か』が国民党からの資金によって書かれた宣伝本であることの根拠として、同書の英語版と漢訳版が同時に出版されていること、国際宣伝処長であった曽虚白の自伝『曽虚白自伝』において「お金を使って頼んで、本を書いてもらい、それを印刷して出版した」という記述があることの二点を指摘しています(東中野、前掲書二〇ページ)。
ところが、この東中野氏の見解に対しては、井上久士「南京大虐殺と中国国民党国際宣伝処」(『現代歴史学と南京事件』柏書房、二〇〇六年三月)において反論がなされています。井上氏の反論において重要な点は、「中央宣伝部国際宣伝処民国二十七年工作報告」という史料が紹介されていることです。
この史料では「われわれはティンパリー本人および彼を通じてスマイスの書いた二冊の日本軍の南京大虐殺目撃実録を買い取り、印刷出版した」(同書二四九ページ)と書かれています。つまり『戦争とは何か』は、東中野氏が主張するように国際宣伝処から資金提供を受けて書かれたのではなく、すでに書かれていた原稿を国際宣伝処が買い取り、翻訳し出版したということです。もちろん、この報告の記述は『曽虚白自伝』と一致しませんが、同報告は当時書かれた公文書であり、史料的価値が高く、信憑性が高いことは一目瞭然だといえるでしょう。
私は質疑応答の際、以上のような史料があり反論がなされているということを指摘し、この史料に対する東中野氏の見解を伺いました。ところが驚いたことに、東中野氏は、井上氏の反論も「民国二十七年工作報告」も知らないと答えました。私は、やむをえず、その史料を読みあげ、再度見解を伺ったのですが、東中野氏は予備知識がなく、また私の説明にも足りない点があったこともあり、なかなか論点が理解できないようでした。その後、いくつかやり取りをへて、東中野氏も論点が理解出来たようでしたので、私は、この史料の存在により見解を修正すべきではないかと問い質しました。これに対し東中野氏は、『曽虚白自伝』の記述を根拠として、見解を修正する必要はないと主張しました。もちろん、『曽虚白自伝』と「民国二十七年工作報告」の史料的価値の違いは明白です。その点を指摘すると、東中野氏はその反論が適当ではないと気付いたようです。
しかし、それでも東中野氏は自身の主張を修正しようとはせず、講義で述べていた「ベイツが不法殺害を五度も否定した」という「事実」をどう思うかと私に質問をした上で、そのことが根拠となるかのような主張しました。これは本来の論点とは関係ないことであり、反論にはなっていないのですが、とりあえず私としても一応反論しようと思った矢先、時間が長すぎるという理由で質疑を打ち切られてしまいました。
以上のような質疑応答でしたが、まとめると、東中野氏はこの問題に対し意味のある反論は出来なかったと言えると思います。中途半端な質疑で終ってしまいましたが、ある一定の成果は出せたのではないかと思っています。
(文責:事務局員K‐K)