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http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2006/10/225__8c4e.html から転載。
第225号 朝鮮の核実験予告
日々通信 いまを生きる 第225号 2006年10月5日
発行者 伊豆利彦
ホームページ http://homepage2.nifty.com/tizu/
朝鮮の核実験予告
朝鮮(北)は核実験をおこなうと予告した。
韓国の聯合ニュース通信は次のように伝えている。
http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=142006100302000
>北朝鮮外務省は3日、「朝鮮民主主義人民共和国は今後、安全性が徹底して担保された核実験を行うだろう」と明らかにした。ただし、絶対に核兵器を先に使用することはなく、核兵器を通じた脅威と核の移転は徹底して認めないとしている。
中国・韓国もこれには強く反対し、アメリカで会談中だった日米外務次官は「強い態度で臨む」方針を確認、北朝鮮が核実験に踏み切った場合は経済的、軍事的制裁に道を開く国連憲章7章に基づく国連安保理制裁決議が必要になるとの見解で一致した。
(毎日新聞) - 10月5日13時3分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061005-00000047-mai-int
<朝鮮は朝鮮半島の非核化を実現し、世界的な核軍縮と終局的な核兵器撤廃を進めるために努力をしていく>と北朝鮮外務省は述べている。
(聯合ニュース)
朝鮮がもとめるものは明らかだ。朝鮮半島の非核化と自国の安全、国際的な援助による国民生活の救済である。なんとかしてその保障を得たい。そのために米朝の直接交渉を求め、経済制裁の解除を求めている。さらには国交回復を実現し、経済援助を得たいのだ。
アメリカとすれば一も二もなくアメリカの言いなりになって、原子力開発を放棄すればいいようにしてやるというのだろうが、朝鮮は94年の米朝枠組み合意が破棄され、ともに<悪の枢軸>呼ばわりされたイラクが、大量殺戮兵器を破棄したにもかかわらず攻撃され、国土を蹂躙されたこともあって、強圧的に屈伏を要求するアメリカを信頼することができない。
麻薬だの贋ドルだの大韓航空機事件だの拉致事件だの、過去の朝鮮はテロリスト国家といわれても仕方がない。しかし、いま、朝鮮は中国、韓国の支援を得て、新しい改革開放路線を歩こうとしている。この方向を助け、自立の道を歩かせることが必要なのではないか。金正日政権が崩壊して、いっそうひどい混乱に陥り、難民が殺到することを中韓はおそれている。
いたずらに朝鮮を追い詰めては<窮鼠猫をかむ>という事態を招くことになる。中国・韓国は米朝交渉によって事態が平和的に打開されることを望んでいる。
これは、事あるごとに制裁を強調する日本に対してもいえることだ。<対話と圧力>というが、単なる<対話>は事態を打開することができない。対話の名のもとに非難を繰り返すのでは事態を悪化させるばかりだ。<拉致問題の解決>のためには何が必要なのか。必要なのは<妥協>であり、相互の<譲歩>である。
<平壌宣言><6カ国協議の共同宣言>の実行だけが日朝関係とアジアの平和と安定を実現する。
日本は拉致問題に対する朝鮮の態度を不誠実だと思い、その真の解決を願っている。しかし、それは<経済制裁>や<軍事制裁>で実現できるか。金正日政権を打倒すればそれは解決するか。むしろ、それは事態を絶望的にするばかりではないか。
<拉致問題の解決なくして国交回復なし>というが、<国交回復なくして拉致問題の解決なし>という方が現実的ではないか。すくなくとも両者は並行的にすすめられ、包括的に解決されるべきだ。すべての根柢に日朝国交回復、米朝国交回復のの問題がある。そのとき、平壌宣言や6カ国協議共同宣言がいう核兵器のない平和地域の形成が可能になるのだろう。いま、やっていることは順序が逆なように思われてならない。
今度、安倍さんが新首相に就任したことによって、小泉さんの時代に断絶していた日中、日韓の首脳会談がおこなわれることになった。靖国問題、歴史認識問題等、なお多くの問題を残しているが、それらをあいまいなまま残して、現実の必要を優先させようというのである。イデオロギー的差異を強調して、相互に対立を深め、関係を断絶するのでなく、差異は差異としてみとめ、相異なる相互の立場を理解し合って、現実の諸問題を解決していくことが必要だ。
そして、いま、朝鮮問題についても、そのような立場で話し合いが進むことを私は願う。金正日は悪の権化だ、これを倒せというところからは、戦争があるばかりだ。アメリカもこのようなイデオロギー主義、<悪の枢軸>論から離脱して、現実論にすこし傾いてきているように思う。もちろん、楽観できることではないが、日本もまた奇妙な自国を絶対化する傾向を脱して、現実主義を学ぶことを願う。
長い間、世界を支配してきたのは軍事力に依拠する覇権主義だった。しかし、いま、最大最強の米軍がイラクで失敗して、新しい世界秩序への模索が始まろうとしている。明治以来ただ戦争に勝つことが外交であり、国家の発展だと思い込んで来た日本人にとって、あの敗戦の意味は大きい。世界は二度の大戦を経て、新しい平和の体制を求め、国連をつくった。戦後の新憲法は、国連とともにその可能性を目指すものだったが、戦争に明け暮れて近代国家を確立した日本にとって、このような新しい世界と日本のの可能性を身についた自身のものとするのは難しかったのかも知れない。いまはそれを戦争に負けたために押しつけられたみじめな憲法だとする考えが次第に強まっている。
たしかに、それは敗戦によって押しつけられたという側面があり、それを屈辱だと思う勢力が出てもおかしくない。しかし、いまの現実を見つめるとき、戦後の日本を守り、発展させてきたこの憲法は、いまを日本が生き延びるためにも必要な、もっとも先進的で現実的な憲法なのではないだろうか。
安倍さんは教育基本法と憲法の改定によって<美しい国>日本をつくるのだというが、私にはそれがひどく危なっかしくて、観念的で非現実的なものに思われる。いまは、戦争について、観念的にではなく、現実的に、根柢から考え直す必要に迫られている。いま、戦争と平和について声高に論じている人たちの議論は、いかにも観念的で危なっかしものに思われてならない。
今号では、中国革命のことや神奈川の平和運動のことなどを書きかけていたのだが、思わずも朝鮮の核実験予告などがあり、予定を変更した。蕪雑な議論を展開して申し訳ない。
秋の雨がつづき、しみじみとものを思う季節だ。平家物語の冒頭の言葉がしきりに思われる。
祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。
私が横浜市大を退職したときの最終講義もはこの言葉で始めた。いま、この言葉は当時よりさらに身に沁みて思われる。いまよみがえこの言葉は私たちに、一つの世界の滅亡の彼方に立ち現れる新しい世界を想望させる。
人間世界のこれからはとにかく、やがて秋晴れのつづくいい季節がやってくる。皆さん、お元気でお過ごしください。
興味のある方は私の最終講義、「漱石と現代」を見ていただければ幸いです。
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/souseki1.htm