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或る捕虜の話   西岡昌紀
http://www.asyura2.com/0601/war84/msg/921.html
投稿者 西岡昌紀 日時 2006 年 9 月 25 日 23:57:50: of0poCGGoydL.
 

 今年生誕100年を迎えた旧ソ連(ロシア)の作曲家ショスタコーヴィチ
(1906−1975)に関する『わが父ショスタコーヴィチ』と言ふ本
が有ります。この本は、ショスタコーヴィチの子ども達が、彼らの父ショス
タコーヴィチの知られざる逸話を語った本ですが、彼らが子どもだった頃、
戦争直後の1946年の夏に、ソ連の或る避暑地でこんな事が有ったそうで
す。(以下引用)


    僕たちの別荘の近くのベンチに、洗いざらしの着古した
   軍服を着た男性が座っていました。彼は情けない顔つきで、
   あたりを見回しながら、両手に抱えていた厚切りのパンを、
   むさぼるように食べていました。僕はといえば、おっかな
   びっくりの好奇心から、時々彼の方を盗み見ていました。
   なにしろ彼はドイツ人で、ファシスト。悪名高きドイツ軍
   の捕虜なんですから。
    これは、1946年夏のカマローヴァの思い出です。そ
   の頃、プリモルスキ街道が建設中で、その仕事にドイツ人
   捕虜が駆り出されていたのです。その中の捕虜のひとりが
   僕たちの別荘の近くへ時々やって来て、とてもきまり悪そ
   うに施しを受けていました。
    そんなある日、僕がベンチに座っている例の捕虜をなが
   めていると、父がやってきました。父は僕の頭をなでて、
   静かな口調で言いました。「怖がっちゃいけないよ。あの
   人は、戦争の犠牲者なんだ。戦争というのは、何百万人も
   の不幸な人を生む。別に悪いことをしたわけではないんだ。
   あの人は軍隊にとられ、戦うために地獄のようなロシア戦
   線に送られ、今度はここに運ばれてきた。それで生き残っ
   て捕虜になったんだ。故郷のドイツには、彼の奥さんが待
   っていて、たぶんお前やガーリャのような子どもがいるに
   違いないよ。」
    父は、あらゆる暴力を憎んでいました。ですから、戦争
   などはとても許せませんでした。(後略)


   (語り)
   ガリーナ&マキシム・ショスタコーヴィチ
   (編)
   ミハイル・アールドフ
   (監修)
   田中泰子
   (訳)
   「カスチョールの会」

   『わが父ショスタコーヴィチ』(音楽之友社・2003年)
    42〜43ページより

    ショスタコーヴィチは、優しい人だったのですね。


西暦2006年9月25日(火)

ショスタコーヴィチ生誕100年目の日に

                     西岡昌紀(にしおかまさのり)

http://blogs.yahoo.co.jp/nishiokamasanori/


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