★阿修羅♪ > 戦争84 > 888.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
□解放のゆくえ −−イラクは今 [イラク情勢ニュース]
http://www.freeml.com/message/organizer-news@freeml.com/0001375;jsessionid=c9tirdo7t1
URUKNEWSイラク情勢ニュース (転送・紹介歓迎)
□□□□□ □■ □□□□□ □■ □□□□□ □■ □□□□□ □■
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
2006/09/24(日)
[飛耳長目録 today'snewslist]
☆解放のゆくえ −−イラクは今 連載・第1回/山本史郎
☆米兵死者:同時テロ犠牲者超す アフガン、イラクで
☆石器時代に戻すぞ…元米国務副長官がパキスタン脅迫?
-----------------------------------------------------------------------
☆★解放のゆくえ −−イラクは今 第1回 2006/09/24
山本史郎
-----------------------------------------------------------------------
http://www.geocities.jp/tomesannew/uruknews_Shiro_Yamamoto.html
ブッシュ大統領は「テロとの戦い」としてイラク戦争を開始したが、9・11
テロ事件から5年後の今、アメリカ国民はその関係をどのように受けとめている
だろうか?
9月はじめにAP通信が報道したアメリカ国内の世論調査によると、実に回答
者の60%が、米国はイラク戦争を遂行しているので米国内でテロは増えるだろ
うと考えていた。そして大統領支持率に関する最近の世論調査では、いずれも、
大統領を支持しない割合は6割を超えている。
また、ブッシュ大統領はテロとイラクとの関係を証明できなかったことから、
イラクへの軍事力行使が近づくと、やにわに「サダム・フセインの圧制からの解
放」を強調したが、イラクでは今、治安情勢の悪化などサダム時代の方が良かっ
たという声が以前にもまして増えつつある。
本稿のタイトル『解放のゆくえ』は、ブッシュ大統領の掲げた「イラク解放」
が実際にどのような結果になっているかという意味と、では本当にイラクが解放
される道はどのように切り開かれるのかという意味を重ねている。その2つの「
解放のゆくえ」を現在のイラクの状況から確かめていきたい。まずは序説・・・
・・・(略)
※全文は上に紹介したURLでどうぞ
※イラク情勢ニュースのトップページからも入れます
http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/index.html
-----------------------------------------------------------------------
☆★米兵死者:同時テロ犠牲者超す アフガン、イラクで
毎日新聞 2006年9月23日
-----------------------------------------------------------------------
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20060924k0000m030033000c.html
AP通信は22日、米同時多発テロ後にブッシュ米政権が攻撃したイラク、ア
フガニスタンでの米兵の死者数が計2974人となり、同時テロの犠牲者数の2
973人を超えたと報じた。独自集計の結果として伝えた。
米兵死者の内訳はイラクで2696人、アフガンで278人。一方、イラク人
の民間人死者数は国連の発表を引用して、7月と8月の2カ月間で6599人に
上ったとした。
また米兵死者のうち34%が貧困層の出身者で、極めて高い所得を得ている世
帯の出身者は17%と指摘した。(共同)
-----------------------------------------------------------------------
☆★石器時代に戻すぞ…元米国務副長官がパキスタン脅迫?
読売新聞 2006年9月22日10時52分
-----------------------------------------------------------------------
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060922it03.htm
【ワシントン=五十嵐文】パキスタンのムシャラフ大統領は22日、米CBS
テレビとのインタビューで、2001年の米同時テロの直後、当時のアーミテー
ジ米国務副長官から、米国によるアフガニスタン・タリバン政権の掃討作戦に協
力しなければパキスタンを爆撃すると脅された、と述べた。
大統領によると、アーミテージ氏はパキスタンの情報機関高官に対し、「爆撃
を覚悟しろ。石器時代に戻ることを覚悟しろ」と述べ、米同時テロの首謀者で国
際テロ組織アル・カーイダの指導者ウサマ・ビンラーディンをかくまっていたタ
リバン政権との関係を裁ち切り、米国を支援するよう求めたという。
・・・ (略)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
□□□□□ □■ □□□□□ □■ □□□□□ □■ □□□□□ □■
※URUKNEWS イラク情勢ニュース(webサイト)
http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/index.html
メーリング・リストへの参加・退会手続きはここでもできます
※イラク・レジスタンス・レポート
http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/Iraqi_resistance.html
□□□□□ □■ □□□□□ □■ □□□□□ □■ □□□□□ □■
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
▽関連記事
□解放のゆくえ −−イラクは今 [イラク情勢ニュース]
http://www.geocities.jp/tomesannew/uruknews_Shiro_Yamamoto.html
第1回 2006年9月24日
ブッシュ大統領は「テロとの戦い」としてイラク戦争を開始したが、9・11テロ事件から5年後の今、アメリカ国民はその関係をどのように受けとめているだろうか?
9月はじめにAP通信が報道したアメリカ国内の世論調査によると、実に回答者の60%が、米国はイラク戦争を遂行しているので米国内でテロは増えるだろうと考えていた。そして大統領支持率に関する最近の世論調査では、いずれも、大統領を支持しない割合は6割を超えている。
また、ブッシュ大統領はテロとイラクとの関係を証明できなかったことから、イラクへの軍事力行使が近づくと、やにわに「サダム・フセインの圧制からの解放」を強調したが、イラクでは今、治安情勢の悪化などサダム時代の方が良かったという声が以前にもまして増えつつある。
本稿のタイトル『解放のゆくえ』は、ブッシュ大統領の掲げた「イラク解放」が実際にどのような結果になっているかという意味と、では本当にイラクが解放される道はどのように切り開かれるのかという意味を重ねている。その2つの「解放のゆくえ」を現在のイラクの状況から確かめていきたい。まずは序説・・・
■9・11の記憶とアメリカの孤立
2001年9月11日、夕食を済ませたあと、疲れていたのか、横になってそのまま眠っていた。ふと、テレビから聞こえるアナウンサーのうわずったような声に目が覚めると、ハイジャックされたとおぼしき飛行機が米ニューヨークの貿易センタービルにむかって飛んでいた。そしてそのままあの高層ビルに突入した。
にわかに信じられない光景にであうと、「まるで映画を見てたみたいだった」と語られることがよくあるが、眠りから覚めたばかりだったこともあり、私も「これはニュースなのか? 映画番組の一場面なのか?」としばらく考えた。他のチャンネルに切り替えてみたりして、やっと、リアルタイムでの映像なのだと判ったが、衝撃的だった。
あれから5年がすぎた。
この事件が起こってすぐ、「イラクへの報復」という声がブッシュ政権内部からあがり始めた。しかしイラク攻撃がこのときから計画されたという意味ではない。かねてからアメリカがイラクへの制裁強化を主張もし、頻繁にイラク南部の飛行禁止地域を爆撃していたことから、またブッシュ大統領、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官という政権の主要な顔ぶれから、イラク攻撃の口実に何を持ちだしてくるか判らないという危惧は9・11事件の前からあったのである。
アメリカ政府のイラク攻撃の野心は、世界からはすぐに受入れられるものではなかった。かえって経済制裁の解除を求めるイラク側の主張に、アラブ諸国はもとより欧州諸国、ロシア、中国も賛意を示しつつあり、経済制裁の強化を求めるアメリカとイギリスは孤立を深めつつあったのが実際だった。ブッシュ政権発足直後から、国際的には、その単独行動主義に強い非難が出されてもいた。
日本におけるマスコミ報道の多くは、そのような実情を伝えることは少なかった。その替わりに、特に9・11事件のあとでは、ブッシュ政府の要人たちの意図的なブリーフィングを半ば既定方針のように報道することが増えた。そこからの印象として、当時、9・11からイラク戦争へと真っすぐに突き進んでいったように感じた人が多かったとしても不思議ではない。
ほどなく「テロとの戦い」を掲げてアフガニスタンに侵攻したアメリカは、その後、ますますイラク侵攻の野心をむき出しにした。「国連査察を拒否している」(実はアメリカのスパイを排除した査察を求めて国連・事務総長と査察再開への条件を交渉中だった)と最後通告まがいに要求をつきつけたり、アル・カイダとの関連をデッチあげようとするなど、2002年はイラク攻撃の口実捜しで明け暮れた。
だがアメリカはイラクが国連決議に「明確な違反」をしていることを立証できず、2003年に入ると、逆に国連査察によってイラクに大量破壊兵器がないことが明らかになりそうな気配が強まってきたことから、武力行使を認める国連決議も採択できないまま、最後の機会を逃すなとばかりにイラク侵攻に踏み切った。
つまり、イラク攻撃の方針をうちだしたときも、実行に踏み切ったときも、アメリカとイギリスは孤立を深めるなかで、侵略後の適切な戦略も見通しも持てずにいたのが実際だった。それは今、イラク戦争の泥沼にはまってしまった米軍の姿に見てとることができる。今年初めにはイラク駐留米軍の大規模削減が米軍司令官の口から語られたこともあったが、他の有志連合国が刃こぼれ状に撤退していくなか、米軍は9月には14万7000人へと昨年末以降では最大規模の兵力をイラクに張りつかせる事態になっているのだから。
(つづく)