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アメリカン・エスタブリッシュの深い闇
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2002/ronbun/10-r1.html
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−−9・11テロにまでつながるヒトラーをはじめとする独裁者たちとコネクション
ジャーナリスト 菅原 出
ジョン・オニールFBI元副長官の遺言
「全ての答え、オサマ・ビン・ラディンの組織を解体させるのに必要な全てのものが、サウジアラビアで見つけられるはずだ…」
アルカイダを追い続け、アメリカでもっともビン・ラディンに詳しい人物でありながら、昨年九月十一日のテロ事件直前にFBIを辞任、世界貿易センタービル(WTC)の警備責任者に就任し、件のテロにより非業の死を遂げたジョン・オニールFBI元副長官が、生前フランスのジャーナリストに対して語っていた言葉である。オニールはまた、「米国務省とその背後に控えブッシュ大統領の取り巻きになっている石油ロビーが、ビン・ラディンの罪状を証明する試みを邪魔したのだ」と述べていたという。
ビン・ラディンを追い続けた男が、最後に遺言のように残したキーワードが「サウジアラビア」と「石油」だった。
もしアメリカのエスタブリッシュメントの活動記録を収めたファイルが存在し、この二つのキーワードで検索をしたとすると、もっともヒット件数の多い政治家は、おそらくジョージ・ブッシュ(現大統領の父)ではないだろうか。父ブッシュは石油業界から政治の世界に転身しただけでなく、CIA長官を務めた頃からサウジアラビアとの関係を深め、密かに「サウジアラビアの副大統領」の異名をとるほど、サウジ情勢に精通していた。9・11の謎を解く鍵が「サウジアラビア」と「石油」という二つのキーワードに隠されているとするならば、この二つの世界ともっとも太いパイプを有する父ブッシュ、そして彼を取り巻く共和党エスタブリッシュメントの深い闇に光をあてなくてはならないだろう。9・11テロの裏には一体何があったのだろうか?
ビン・ラディン一族の捜査を断念していたFBI
9・11の数日後、ボストン空港を一機のチャーター便がサウジアラビアに向けて飛び立っていた。この飛行機に乗って慌ててアメリカを脱出した一行は、オサマ・ビン・ラディンを生んだビン・ラディン家の十一人のメンバーたちだった。オサマとはとうの昔に絶縁した彼らだったが、アメリカ国民からの誤った「復讐」を避けるため、後ろ髪を引かれる思いでアメリカを後にした、と伝えられた。
ところがこのファミリーメンバーのうちの少なくとも二人は、イスラム系テロ組織との関連を疑われ、かつてFBIの捜査対象になっていたことがあった。昨年十一月六日に放映された英BBCの報道番組「ニュースナイト」が伝えたところによると、ビン・ラディン一族のアブドラとオマルは、世界イスラム青年協会(WAMY)というサウジ系慈善団体と深く関わり、特にアブドラはWAMYの会長兼金庫番として会の運営に携わっていた。WAMYはサウジアラビアに本部を置く、世界的規模でイスラム教徒向けの慈善事業を行う団体だが、FBIはこの団体がアメリカにおいてイスラム系テロリストを支援する隠れ蓑になっているとみて捜査を進めていたのである。
実際9・11後に、パキスタン政府はWAMYの活動を中止に追い込み、インドやフィリピンもWAMYが国内のイスラム・テロリストを資金援助しているとして批難していた。FBIは九六年頃からWAMYをテロリストとの関連から捜査していたが、ブッシュ政権が誕生してまもなく、アブドラ・ビン・ラディンやWAMYに対する捜査を打ち切るように政府上層部から圧力がかかり、結局捜査は中止に追いこまれていた。またWAMYは9・11以降も米当局の資産凍結措置を受けずに活動を続けていたという。
ブッシュ政権はなぜビン・ラディン一族に対するFBIの捜査に横槍を入れたのか?
ブッシュ一族とビン・ラディン一族の意外なつながり
ブッシュ政権がFBIに対し、ビン・ラディン一族の捜査を断念するよう圧力をかけた背景として、ブッシュ一族とビン・ラディン一族のビジネス上のつながりが指摘されている。ブッシュ大統領はかつて、ビン・ラディン一族ときわめて近い関係にあった。ジョージ・W・ブッシュは一九七七年に最初の石油会社アルブスト・エネルギー社を興した時、ヒューストンのビジネスマン、ジェームズ・バースの出資を受けていた。バースは五万ドルを出資し、アルブスト社の五%の株を保有したが、彼はこの頃ビン・ラディン財閥の当主で、オサマの兄にあたるサレム・M・ビン・ラディンのアメリカにおける代理人を務めていた。バースはサレムの北米全域における全ての投資を扱っており、一九七八年にはサレムのために南テキサスの飛行場を購入したという記録が残っている。
バースはサウジの富豪たちの間に広範なビジネス関係を築いていた人物で、当時サレム・ビン・ラディンの代理人を務めるかたわら、サウジアラビアに本店を置き中東最大の商業銀行と言われた国立商業銀行の頭取ハリド・ビン・マフフーズの代理人も務めていた。マフフーズはサウジ国王の経済顧問も務め、米誌で世界六位にランクされたこともある大富豪だ。この富豪はしかし、オサマ・ビン・ラディンと連携して動いていると言われ、一九九四年四月以来、オサマと関係の深い慈善団体に対して国立商業銀行を通じて資金を流していた。その慈善団体のいくつかはマフフーズの実の家族によって管理されていた。
またCIAのジャームズ・ウルジー元長官によると、マフフーズはオサマと縁戚関係にあり、イスラム・テロリストのスポンサーの一人として米情報機関にマークされていたという。ジョージ・W・ブッシュのかつてのビジネス・パートナーは、このような「怪しい」サウジの富豪たちのアメリカにおける代理人だったのである。
実はブッシュ家とこのサウジ富豪の隠れ蓑ジェームズ・バースの関係は、たんなるビジネス・パートナー以上のものだった。ジョージ・Wはバースと州空軍に所属して以来の友人で、バースはブッシュ家のすぐそばに住んでいた。父ブッシュがCIA長官を務めていた一九七六年頃、バースは父ブッシュ長官本人からCIAに入るよう誘われ、「アラブ人と関わり、航空機産業に乗り出して欲しい」と頼まれたという。つまりバースは父ブッシュの意向を受けてサウジ財界の代理人になっていた可能性が高いのだ。
父ブッシュはCIA長官時代にサウジアラビアとの諜報分野における関係を強化し、サウジ情報機関の近代化に手を貸したことで知られている。彼はCIAの秘密工作の資金源としてサウジ・マネーに目をつけており、サウジ財界に取り入ろうとしていたのだった。バースやジョージ・Wはこうした背景から父ブッシュの意向を受けて、サウジ資本との関係を強めていた可能性が高い(拙著『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』草思社)。
他にもブッシュ一族とビン・ラディン一族をつなぐラインがある。米投資会社カーライル・グループである。カーライルはフランク・カールーチ元国防長官が会長を務める大手の投資グループで、ジェームズ・ベーカー元国務長官を含む共和党の元閣僚がズラリと役員に収まっている。父ブッシュ元大統領も同社アジア部門のシニア・アドバイザーを務めており、カーライルの資金集めのために世界中を飛び回っている。
去る六月には東京を訪れて日本政策投資銀行の小村武総裁と会談し、企業再生ファンド作りを推進している政策投資銀行に対し、共同出資による新ファンドの創設を呼びかけたと報じられた(二〇〇二年八月六日付「毎日新聞」)。
このカーライルにはジョージ・W・ブッシュ大統領自身もかつて世話になったことがある。一九九〇年、当時職探しに奮闘していたジョージ・Wを、カーライルの子会社で機内食を扱うケーターエア社の役員として迎え入れたことがあったのである。
ブッシュ一族や共和党エスタブリッシュメントと直結するこの投資会社は、なんとサウジのビン・ラディン・グループからも資金を集めていた。二〇〇一年九月二十七日付「ウォールストリート・ジャーナル」紙が報じたところによれば、ビン・ラディン一族は一九九五年にカーライルのファンドに二百万ドルの投資をしたという。この額はカーライル自身が公表した数字であり、同紙の調べでは「二百万ドルは単なる初期投資に過ぎず、一族の投資額はこの数字をはるかに上回る規模のものだった」という。父ブッシュ元大統領はカーライルを代表して、顧客であるビン・ラディン一族と、少なくとも一九九八年十一月と二〇〇〇年一月に二度会ったことが確認されている。
このようにサウジのビン・ラディン一族は、ブッシュ一族や米エスタブリッシュメントと良好な関係を築いていたために、FBIの捜査から逃れることが出来たのではないか、と見られている。
アフガン・パイプラインと米・タリバン秘密和平交渉
ジョン・オニール元FBI副長官が遺したもう一つのキーワードは「石油」であった。アフガニスタンと石油パイプライン利権については、すでに多く書かれているので詳述は避けるが、アメリカのエスタブリッシュメントはかねて中央アジア油田地帯へのアクセス、すなわち原油の輸送ルートとしてアフガニスタンに目をつけていた。特にブッシュ政権内には石油ビジネスに関係の深い高官が数多くおり、この辺の事情に通じているものが多かったので、アフガニスタンのタリバン政権は、二〇〇一年二月にブッシュ政権が出来ると、積極的に同政権にアプローチ、和平のための枠組みを作ろうと画策したのである。こうしてブッシュ政権誕生と同時に、ブッシュ・タリバン両政府の間で秘密交渉が開始された。
特に昨年四月一日から五日までは、タリバン政権のサイード・ラハマトッラー・ハーシミー特使がワシントンを訪問し、国務省をはじめCIAや国家安全保障会議(NSC)の高官と秘密会談を重ねていった。タリバン側はこの交渉で、オサマ・ビン・ラディン引き渡しとアフガニスタンを通過する石油パイプライン利権を餌にちらつかせて、国連経済制裁の解除やタリバン政権の承認を取りつけようとした(二〇〇二年四月「選択」、拙稿『テロで潰えた米・タリバン秘密和平交渉』「正論」平成十三年十二月号を参照されたい)。
アメリカではカリフォルニアの石油企業ユノカル社が、九〇年代後半サウジの石油会社と共同でトルクメニスタンの天然ガスをアフガニスタン経由でパキスタンに運ぶパイプラインの建設計画を立て、タリバン政権と交渉を進めたことがあった。この交渉は結局九八年十二月に当時のクリントン政権がアフガンに巡航ミサイルを撃ちこんだことで中断に追いこまれたが、ブッシュ政権とタリバンの秘密交渉では、このユノカル・プロジェクトと同様の構想が話し合われていたと見て間違いなさそうだ。
国防総省国家安全保障局(NSA)の元情報部員で現在は情報関係のアナリストをしているウェイン・マドセン氏は、「アフガンのパイプラインはブッシュ政権にとって、優先順位ナンバーワンの国際プロジェクトだった」と述べている。ブッシュ政権は相当この交渉に乗り気だったようだ。こうして見てくると、同政権がパイプライン問題に関するタリバンとの秘密交渉を成功させるために、FBIの捜査に非協力的だったという見方は充分に説得力がある。
しかしアメリカにはこの他にも、FBIの捜査に干渉し、ビン・ラディンとの関わりについて隠蔽しなければならない理由が存在した。それは冷戦時代にCIAがアフガニスタンで行った秘密工作についてである。この八〇年代のアフガン戦争では、9・11を引き起こすことになる国際テロリズムの種が、アメリカのエスタブリッシュメント自身の手で蒔かれていたからである。
CIAのアフガン秘密工作と麻薬銀行BCCI
アメリカがアフガニスタンに介入する契機となったのは、一九七九年末に当時のソ連が約八万人の軍隊を投入して行ったアフガニスタン侵攻だった。ソ連軍がアフガンに襲いかかった時、彼等を待ち構えていたのは、「ムジャヒディン」と呼ばれるイスラム教徒のゲリラたちだった。アフガニスタンはもともと部族社会であるが、各部族の指導者たちはそれぞれゲリラ組織を結成し、侵略者であるソ連に対して聖戦を開始した。このムジャヒディン各派に武器や戦費を調達するために全力投球したのが、アメリカのとりわけCIAだった。それ以前にベトナムで酷い目にあっていたアメリカのエスタブリッシュメントは、今度はアフガンでソ連を痛めつけるために手段を選ばぬ秘密工作を展開する。
CIAはパキスタンのISI(軍統合情報局)やサウジアラビア情報機関(GID)と組んで兵器や弾薬をアフガンのムジャヒディンに送り続けたが、この秘密工作であの悪名高い犯罪銀行BCCI(Bank of Credit and Commerce International)とも手を組んだ。BCCIは一九七二年に野心的なパキスタン人の銀行家アガ・ハサン・アベディにより興された銀行だが、同行は通常の銀行業務を越え、麻薬資金のロンダリング、テロリストへの資金供給、武器取引、金融市場の不正操作などを大規模に行い、一九九一年に営業停止に追い込まれた銀行である。
当時パキスタンのカラチ港を牛耳っていたBCCIは、CIAの進める秘密工作でパキスタン国内の兵站部門を担当し、兵器をムジャヒディンのもとに運搬した。そしてアフガン戦争の前線では、ムジャヒディン各派が、戦費をまかなうために競うようにして麻薬生産に励んでいた。アフガンでは戦争勃発と共にアヘンの生産高が急増し、一九七九年から八一年にかけて生産は三倍に増加、八一年までに国連の調べではアフガン産ヘロインが西ヨーロッパやアメリカのヘロイン市場の実に六〇パーセントを占めるまでに増加したという。
兵器をムジャヒディンに運搬したBCCIは、帰りはムジャヒディンが生産した麻薬を積んで戻ってきて、それを世界市場で売りさばいて大儲けした。CIAは、パキスタンの陸軍将校やアフガン抵抗勢力の指導者に支払う給料を、こうしたBCCIの不正資金で支払っていたため、当然BCCIの麻薬や武器の密貿易には目をつぶった。それどころか、ソ連と戦うムジャヒディンを支援するために、こうした麻薬貿易を奨励さえしたのである。こうしてアフガン戦争におけるCIAの秘密作戦は、世界最大の麻薬産地を作りあげ、BCCIという巨大な無国籍銀行の誕生を助けたのであった(二〇〇二年二月「選択」)。
イスラム過激派を作りあげた
アメリカン・エスタブリッシュメント
このアメリカのムジャヒディン支援は、カーター政権下ではじめられたが、一九八一年一月に誕生したレーガン政権は、ソ連軍をアフガニスタンから追い出すことを目指して、さらに大がかりな支援活動をはじめた。ここで主役を演じたのは、レーガン政権で秘密工作の中心にいた父ブッシュ副大統領(当時)とウィリアム・ケーシーCIA長官(当時)だった。ケーシーの指揮のもとでCIAは、ムジャヒディンにソ連の航空機を撃ち落とすためにアメリカ製のスティンガー対空ミサイルを供与し、彼等を訓練するために米軍特殊部隊を軍事顧問として派遣することを決定した。
さらにCIAは世界中から急進派のイスラム教徒たちをパキスタンに呼び集め、アフガンのムジャヒディンと共にソ連にぶつけるという秘密作戦にも手を染めた。CIAがこの工作の総合的なマネージメントを行い、サウジアラビアがスポンサーとなった。サウジはこの工作に喜んで手を貸した。戦う同胞を助けるのはイスラム教徒の務めだし、中央アジアから共産主義を一掃し、イスラムを復活させたいという目論見もあったからである。サウジは八〇年代の十年間に公式援助四十億ドルをムジャヒディンに注ぎこみ、この他にもイスラム慈善金、王族の私的基金、モスクで集めた寄付金などの非公式援助を送っていた。これらの送金にはBCCIが頻繁に利用されたが、サウジ情報機関の初代長官カマル・アドハムや、ブッシュ大統領とも関係のあったサウジの富豪ハリド・ビン・マフフーズは共に、BCCIの大株主を務めていたので、この犯罪銀行とサウジ・エスタブリッシュメントの関係も泥沼の深みにどっぷりとはまっていた。
この米・サウジ・パキスタン共同プロジェクトにより、世界各地で「聖戦」に参加する義勇兵たちの徴募活動が展開され、八二年から九二年にかけて、中東、北アフリカ、アジアなどから約三万五千人ものイスラム急進派がパキスタンに集まり、軍事訓練を受けてアフガンに送りこまれ、ソ連軍と戦火を交えたのである。
このCIAの秘密工作に参加したのが、若き日のオサマ・ビン・ラディンであった。ビン・ラディンはサウジの上流階級を代表する存在としてアフガン「聖戦」に参加し、サウジ情報機関のトゥルキ・ビン・ファイサル王子の全面的な支援を受け、本格的な義勇兵徴募のための機関を作り、エジプトやサウジで兵士を募っては渡航費や活動費を世話してパキスタンに送り込んだ。また後にはペシャワル近郊やアフガン領内に、イスラム義勇兵用の軍事訓練キャンプを建設し、兵士の養成にも力を入れたという。
これと同時にアメリカは、イスラム急進派をアメリカ国内に連れていき、特殊な軍事訓練を施してアフガンに送るという工作も密かに行っていた。この秘密工作はこれまでほとんど知られることはなかったが、前述した英BBCの番組で、当時サウジアラビアのジッタにあるアメリカ総領事館でビザ発行業務の責任者をしていたマイケル・スプリングマンが暴露している。スプリングマンは、「サウジアラビアにいた頃、私は国務省の高官からビザ取得の資格のない申請者に対してビザを出し続けるよう繰り返し命じられました」と証言したのである。スプリングマンはこの時国務省に激しく抗議したが聞き入れられず、やがてこれがCIAの大がかりな秘密工作だったことを知るようになる。CIAはつまり、サウジ経由でイスラム急進派をアメリカに入国させ、軍事訓練を施してアフガンに送り込むという秘密工作を行っていたのである。
そしてこの工作に全面的に協力したのがサウジアラビアであり、その代理人としてのオサマ・ビン・ラディンであった。サウジ人を中心に大量のイスラム急進派が、ビン・ラディンの徴募ネットワークを通じてアメリカに送られ、CIAや米陸軍の特殊訓練を受けてアフガンに送りこまれた。中にはそのままアメリカに居ついてしまったものもいたかもしれない。おそらくは前述したアブドラ・ビン・ラディンの慈善組織WAMYも、アメリカ側の受け皿としてこの秘密工作に一枚噛んでいたのであろう。
こうしてアメリカ国内で破壊と殺人の技術を習得したイスラム急進派たちが、アフガン戦争後にアメリカに舞い戻り、今度はアメリカに対する「聖戦」をはじめていたのだとしたら、CIAをはじめとするアメリカのエスタブリッシュメントが、この冷戦時代の秘密工作やビン・ラディン一族との関係をひた隠しにしようとしているのも頷ける。
イスラム原理主義のスポンサーになったサウジ
八九年にソ連軍がアフガニスタンから撤退すると、アメリカは急速にアフガン秘密工作から手を引いていった。九二年には「聖戦」の拠点であったパキスタンに対し、六億ドルの年間援助を停止すると唐突に通告し、同国を「テロリスト輸出国」と指定した。自分たちが作りあげた「聖戦の戦士たち」を、今度は「テロリスト」として危険視するようになったのである。また自分たちが利用するだけ利用して肥大化した犯罪銀行BCCIも破綻に追いこみ、後は知らぬ存ぜぬを決め込もうとした。
このBCCIのダーティー・ネットワークを継承したのがオサマ・ビン・ラディンであった。同時多発テロから一ヶ月後の十月十日に、フランス下院の専門委員会が発表した報告書は、「ビン・ラディンの金融網は、BCCIによって不正操作のために作られたネットワークと対応する。同一の人物と組織がかかわり、明らかに不正資金づくりが生き延びていた」と述べている(二〇〇一年十二月三日付「毎日新聞」)。CIAやアメリカのエスタブリッシュメントが作りあげたイスラム過激派のネットワークと肥大化した犯罪銀行の資金調達構造は、そっくりビン・ラディンに引き継がれていったわけである。
アメリカはアフガン秘密工作から手を引いたが、そのパートナーだったサウジは違った。サウジはCIAがアフガンから撤退した後もカブールに資金と燃料を送り続け、BCCIとの腐れ縁も引きずったままだったのだ。アフガン聖戦から9・11テロの直前までサウジ情報機関長官のポストに一貫してあったトゥルキ・ビン・ファイサル王子は、このサウジの立場を象徴するような存在である。こうしてサウジは、九四年から台頭しアフガン制圧を開始したタリバンへも資金援助をするようになり、やがてこのサウジの資金はビン・ラディンの訓練するイスラム・テロリストへと流れるようになる。「サウジアラビアはアメリカの敵国でテロ支援国である」
二〇〇二年七月初頭、アメリカの国防政策について米国防総省に助言を行う国防政策委員会で、このような議論がなされていたことが判明し、ワシントン・リヤド間に緊張が走った。ブッシュ政権は「これは政府の見解を代弁するものではない」と慌てて否定したが、米政権内とりわけ国防総省にはサウジアラビアを「敵」と見なし、同国との同盟関係断絶を求める勢力が存在することが公になった。9・11テロを仕掛けた十九人の実行犯のうち十五人がサウジ出身だったこともあり、昨年の同時多発テロ以降、米政権内では反サウジ感情が強まっている。
八〇年代のアフガン「聖戦」以来継続してアフガンに金を注ぎこみ、イスラム・テロリストの最大のスポンサーになってしまったサウジアラビアの現実に、アメリカは今遅れ馳せながらようやく直面し始めている。しかし9・11以前にサウジを「テロリスト支援国家」として突き放すことなど到底出来なかった。アメリカは戦後六十年間にわたり「アメリカは安全保障を、サウジは石油を与える」というギブ・アンド・テイクの上に成り立つ同盟関係を維持してきたし、何よりもブッシュ一族を中心とするアメリカのエスタブリッシュメントは、サウジとさまざまな利害関係で結ばれていた。
アメリカとサウジは冷戦時代にあまりに多くのダーティーな秘密工作に手を染め、お互いの恥部を知り尽くす仲になっていた。サウジがイスラム過激派のスポンサーになったとはいえ、それは元々アメリカと共同で行っていた工作に過ぎず、アメリカが勝手に手を引いてしまった工作をサウジが継続していただけのことである。サウジを追及しようとしたFBIを、アメリカのエスタブリッシュメントが止めようとしたのは、こうした背景から考えると納得がいく。
オニールの捜査を妨害したもの
こうして見てくると、オニール元FBI副長官のビン・ラディン捜査は、いくつかの複雑な要素が重なり合ってブッシュ政権上層部からブロックを受けていた可能性が高い。
一つ目はブッシュ政権がタリバン政権と秘密和平交渉を進めていたということ。オニールが「石油」のキーワードで言い表したのはこのことだろう。ブッシュ政権は、タリバンとの間でアフガニスタンを経由する石油パイプライン建設計画を中心議題とする和平交渉を行っており、この交渉が進んでいる間は、しばらくFBIにはおとなしくしていて欲しかったのだろう。
二つ目は、「サウジアラビア」ファクターである。八〇年代のアフガン「聖戦」を契機に、サウジはイスラム系テロリストの最大のスポンサーになっていくが、六十年にわたる同盟関係を維持していたアメリカとしては、その同盟国を易々と非難することは出来なかった。しかもブッシュ一族をはじめアメリカのエスタブリッシュメントは、さまざまなビジネス関係でビン・ラディン一族らサウジ上層部と利害関係を有していたので、自分たちのビジネスパートナーに対するFBIの捜査を認めるわけにはいかなかったのだろう。
そして最後に、アメリカが冷戦時代に仕掛けた秘密工作の実態を隠蔽しようとしたことが挙げられるだろう。とりわけアフガン「聖戦」の際に、CIAがビン・ラディンと組んで世界中のイスラム急進派をわざわざアメリカ国内に連れてきて軍事訓練を施していたこと。この工作のためにビザ発給が杜撰になり、多くのテロリストの入国を可能にしていたとしたら…、こんな危険極まりない工作をしていたことをアメリカ国民に知らせるわけにはいかなかったのだろう。もしFBIがビン・ラディン捜査を進めていたとすれば、名捜査官オニールは、いつかこの秘密のヴェールに辿りついたに違いなかっただろうから。
こうしたいくつかの要素が複雑に絡み合って、アメリカのエスタブリッシュメントは、オニールの捜査に「待った」をかけたのではないだろうか。そしてその状況をテロリストに見事に突かれたのではないか。同盟国との腐れ縁を保ち、自分たちの利権を守り、自分たちが過去に犯した悪行を隠蔽しようとしたために、数千人の命が奪われたのだとしたら…、アメリカのエスタブリッシュメントの罪はあまりに深いと言わざるを得ない。
カルザイ大統領はアメリカ石油資本の手先か
ブッシュ政権が敢行したアフガン攻撃により、タリバン政権は崩壊し、現在ハミド・カルザイ大統領指導下の新政権で新たな国造りが始まっている。ブッシュ政権の強力な後押しのもとで誕生したカルザイ大統領が親米派なのは当然だとしても、もし同大統領が米系石油企業と関係の深い人物だったとしたら、アメリカの意図はあまりに露骨過ぎると言えないだろうか。
前述した元NSAの情報部員ウェイン・マドセン氏が驚くべき情報を発信している。カルザイ氏は、トルクメニスタンからアフガン経由でパキスタンに天然ガスを輸送するパイプライン建設を計画していたカリフォルニアの石油企業ユノカル社の最高顧問を務めていたというのである。カルザイ氏は八〇年代にムジャヒディンの一員としてソ連軍と戦ったが、その時からCIAの上級連絡員として働いており、当時CIA長官だったウィリアム・ケーシー、それに副大統領だった父ブッシュと緊密な関係を築いていたというのだ。
後にカルザイ氏は兄弟たちと共にアメリカへ移住し、CIAの保護の下で暮らしていたが、その間カルザイ氏は継続してCIAの利益のために働き、またブッシュ一族や米系石油企業と中央アジアの石油に関して頻繁に情報交換をしていたというのだ(二〇〇二年一月十日付「スパイズ・マガジン」誌)。アメリカは和平交渉でなし得なかった当初の目標を、武力を使って達成していたのだろうか。この情報の真偽のほどは、いまだにアメリカン・エスタブリッシュメントの深い闇の中に隠されたままである。
菅原 出氏 昭和四十四年(一九六九年)東京都生まれ。中央大学法学部政治学科卒。平成六年よりオランダ留学。同九年アムステルダム大学政治社会学部国際関係学科卒。国際関係学修士。在蘭日系企業勤務を経て、現在フリー・ジャーナリスト。『選択』や『フォーサイト』等の情報誌を中心にバルカン政治、国際諜報、第二次大戦の裏面史等幅広い分野で執筆。日本クロアチア協会事務局長。