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(回答先: [AML 9245] 【911】米国は中世のガリレオ以前まで退化してしまうのか 投稿者 gataro 日時 2006 年 9 月 13 日 15:28:10)
『ガリレオ以前状態』は9・11だけでもないし米国だけでもない
9・11に関して迫害に遭っているのは、スティーヴン・ジョーンズ教授ばかりではなく、この夏クレムゾン大学を去ったジュディ・ウッド、地方議会から解雇の圧力をかけられたケヴィン・バレットなどがいます。また「911真実を求める学者たち」の代表格であるジム・フェッツァーにも多くの圧力がかけられています。
(参照)
http://www.thetruthseeker.co.uk/article.asp?ID=5129
Scholars For 9/11 Truth Assailed:The Truth Seeker
彼らは、もちろん後援する勢力があるとは思われますが、自らの頭脳と勇気で9・11に疑問を発している人たちです。だから特にその理論面での代表者であるジョーンズ教授への不当な処置には注目が集まるのですが、しかし現代社会の問題はもっと根が深いように思われます。
米国でも欧州でも日本でも、世界中で本心では「あれはおかしい」と思いながら言い出せない、『自主規制』して表向きはとりあえず「公式見解」に「恭順の意」を示す、あるいは無関心を装っている研究者・知識人が案外と大勢いるのではないでしょうか。つまり、9・11に疑問を発することがタブーとされている、もっと言えば、有形無形の圧力を作ってタブーにしている力が厳然として存在する、ということです。つまりその圧力を作る者達がいる、ということです。
研究者・知識人も人間ですから、自分や家族の生活を考えた場合に『自主規制』せざるを得ないし、「公式見解」を何の確たる根拠も無く積極的に広めその地位を確保する者達の姿に驚愕し恐怖感すら感じている現状もあるのではないのか、という気がします。
AMLの傍観者D氏にしても、AMLの中で発言するのは非常に大変でしょうが、《WTCの制御爆破解体説(あまり認識されてはいませんが、論文の性格としては、すべての証拠を公開させた上での公正な再調査を提起するプロポーザルのようなもの)を唱えて調査していたブリガムヤング大学のスティーブン・ジョーンズ教授》という非常に『穏やかな』表現にならざるを得ないのかもしれません。
「思想取締り」は何も官憲だけが行うのではありません。極めてたちの悪い「思想取締り」は研究者・知識人の中から、民間の人間の中から現れてきます。そしてそれにどうしても『自主規制』してしまい、『自主規制の輪』を広げてしまう民間の人間たちの中でも「思想取締り」が行われているのです。
こんな話を聞いたことがあります。太平洋戦争の以前には、日本の考古学者は1万年以上の地層に出くわすと自主的に発掘作業をやめた・・・。皇国史観に触れる研究結果が出てくるのを恐れたのです。証拠があるかもしれないことをしっていても、自主的にそれを《見ないようにした》わけです。
このような「自主規制の圧力」はむしろ日本などの社会の方が伝統的に強いのではないでしょうか。(日本の大学の研究室の体質をご存知の人ならうなずけるでしょう)
では欧州ではどうか。個人の活動としてはいくつかあるのですが、大学の研究員として大学の中で9・11真相解明を目指している人はやはりいないように思えます。欧州の研究者は「タブーの恐怖」を知っています。「暗黙のおきて」に触れることはすべてを失うことにつながります。
もちろん私は「ホロコースト」に関する自由な研究のことを言っています。なぜアウシュヴィッツとビルケナウの「ガス室」や周辺の土地の科学的調査がいままで許されていないのか。なぜ「ホロコースト犠牲者」の数がきちんと調査されないのか。それが強大な力によって「タブー」とされ、研究者と「民間の人間」の間に「思想監視役」が配置され、「自主規制の輪」から逃れることができないからです。
そこにまた9・11という新たなタブーが覆いかぶされ、しかもその「思想取締り」を行う者達が「ホロコースト」と重なっているわけです。内心、個人的にどう思っていても、表に出ていくことは非常に難しいのでしょう。(これは日本でも同様でしょうが。)
実際に「9・11を疑う」ことが、即刻、『陰謀論者=ネオナチ=アンチ・セミティスト=・・・』とされる狂気じみた論法が通用しているのです。(米国ではもっと巧みにこれが繰り広げられていますが。)このようなデタラメが堂々と通用することが、すでに最初から『ガリレオ以前』だと思います。
『ガリレオ以前』状態は何もブリガム・ヤング大学だけではありません。ジョーンズやウッドたちへの不当な処置を撤回させるためには、何よりも各大学や研究所で「自主規制の輪」を無くし、もっと大勢の学者や研究者たちが、当局者の手に負えないほど声をあげていく必要があるでしょう。世界の大学でそういった「タブーを解く」行為が具体的に広がることが『ガリレオ以後』にしていく行為だと信じます。