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(回答先: ルーズヴェルトの言葉(9・11から5年目の日に) 西岡昌紀 投稿者 西岡昌紀 日時 2006 年 9 月 11 日 23:34:36)
レス(ポンス)ないと寂しいので拾い物を少々・・・
【ヤルタ合意】1945年2月、ルーズベルト、チャーチル、スターリンという米英ソ3カ国の首脳が
現在のウクライナの黒海沿岸にある保養地、ヤルタのリバディア宮に集い、欧州を東西に分断して
戦後の勢力圏を分け合った。これがその後の東西冷戦の原点となった。(産経新聞 - 5月9日)
ソ連の対日参戦と引き換えに南樺太など北方の領土を与えるとした密約もこのときなされている。
『密漁の海で 正史に残らない北方領土』
http://www.asyura2.com/0601/revival1/msg/183.html
「よくできたウソの本 騙し騙されの心理学」
http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/703.html
http://www.asyura2.com/0601/revival1/msg/184.html
1948年 ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」からの引用
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/s_suzuki/book_mirror.html
大東亜戦争の正論7 2006.03.27
http://vaccine.sblo.jp/article/506573.html
1945年、再びヤルタ。ルーズベルト米大統領、チャーチル英大統領、スターリン・ソ連首相が会談。
旅順は再度ソ連に移譲されることになった。 このほか、ヤルタは次の諸事項をソ連に保証している。
(1)外モンゴルの現状維持。
(2)・・・南樺太の割譲。大連港の国際化。「同港におけるソ連の最大発言権・・・」を保証する。
(3)千島列島(どう見ても日本列島の一部である小島郡)のソ連への割譲。
ヤルタ協定には次のような文章が入っている。
「三大国首脳は、ソ連の主張は日本の降伏後異論なく完全に達成されることで合意した」、
「外モンゴル、港湾、鉄道に関する合意には・・・蒋介石総統の承諾を求めるものとする。
米大統領はスターリン元帥の勧告を入れ、この承諾を得るための措置を講じる」
アメリカの政治家たちはいまだにこうしたことを「合法的に」やっている。
国際問題を正しく理解するには、ヤルタ協定をもっと詳細に見る必要がある。ヤルタ協定を考える場合、
@満州の歴史、A私たちがパワーポリティクスと、「暴力と貪欲」を否定するに際して、イギリスとアメリカの
政策立案者が発した高邁な宣言、Bヤルタの取り決めにおける中国の立場、C国際関係における「合法性」の概念
の諸点から見ると、
西洋列強が「後れた」地域を「指導」する場合の教育システムの間違いが、実に鮮やかに浮かび上がってくる。
たとえば、「合法性」についての考え方である。在満鉄道の移譲を要求するソ連の法的根拠は何であろうか。
彼らは中国東部を二回にわたって「法的に」手放したのだ。一回目は、中国のために要求を放棄した。これは見事だった。
二回目は、満州国に売却した。したがって、ソ連への割譲は、対日戦争に協力する見返りであったことは、一目瞭然である。
もう一つ「合法性」にかかわる問題がある。ヤルタ会談の時点では、ソ連は日本と戦争していなかった。
そればかりでなく、日本との間で不可侵条約を結んでいたのだ。イギリスとアメリカは、具体的条件を出して、
ソ連が特定の期日をもって不可侵条約を破棄するお膳立てをしたのだが、両国代表団はそれを「違法」とは
考えていないのだ。
その結果として、アメリカは八月六日原爆を投下し、ソ連は八月八日宣戦を布告、翌九日に参戦した。
ソ連はこの行為によって、英米両国政府から日本の領土と財産、満州つまり中国の財産を贈られた。
イタリアがフランスに対し、全く同じことをした時は、両国から「裏切り行為」として激しく非難された。
アジア人は一連の出来事をパワー・ポリティクスの最もひどい見本と思っているはずだ。
アメリカ人に、それがわからないなら自己欺瞞である。
ソ連が日本などの領土と財産を得ることができたのはなぜか、政治意識を持つアジア人には、やがてはっきりするだろう。
つまり、ソ連はたまたまいいとき(強大国が敵との戦いで味方を探しているとき)に、いい国(強大国)として
友邦(つまり、いい国の側に立って戦うこと)になっただけのことなのだ。
---- いい国の側に立って戦うこと・・・・
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