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http://0000000000.net/p-navi/info/column/200609060318.htm から転載。
少し前のことになるけれど、イスラエルのレバノンとガザ攻撃に抗議をして、米国のユダヤ人たちが、NYで、サンフランシスコで、フィラデルフィアでダイインなどを行った。
サンフランシスコにて
サンフランシスコでは、イスラエルへの政治的、資金的サポートをしているSan Francisco Jewish Community Relations Council (JCRC)と the Jewish Community Federation (JCF)のオフィスの前で、30人くらいの人がダイインをしている。
この写真ではわかりにくいが、足下に置かれているグリーンのカードには、レバノンで、ガザで犠牲になった人の名前や年が1枚にひとりずつ書かれている。カナ(レバノン)で犠牲になった子どもの名前もあった。それを見たときに、どうしてか私は目頭が熱くなった。
イスラエルの政策への批判だけではなく、そこには「ひとりずつの死」への悲しみと怒りがあったからだと思う。
圧倒的にイスラエルのやることを支持している米国のユダヤ社会のなかで、こういう行動をとるのは生やさしいものではないだろう。思っていても行動にでることもできない人も多いのだろう。だけれど、ほんの一握りの人たちでも、イスラエルによる殺りくを認められないとはっきり表明することは、どんなに大事なことか。パレスチナ人、レバノン人のひとりずつの死を悼むひとりのユダヤ人、イスラエル人を私は見て、感じることができる。ユダヤ人、イスラエル人と一括りにする落とし穴から逃げ出すことができる。
サンフランシスコのこのダイインのビデオ映像も見たが、「フリー、フリー、パレスタイン、エンド、ジ、オキュペーション(占領)」のチャントの合間に(私の聞き間違いでなければ)「自分は西岸に行ってきた。どういうものか、私は自分で知っている」と叫ぶ声があり、その切実な響きに聞き入ってしまった。
「ユダヤ人である」ことから自分の意思と関係なく背負わされているものへの誠実さゆえの拒絶。「裏切り者」「自虐的ユダヤ人」とレッテルを貼られようがそういうことにはおかまいなしの真っ直ぐな力をこの人たちの抗議に感じた。
3カ所での抗議行動をまとめたレポートは Jews in NY, San Francisco, Philadelphia stage coordinated protest (Micah Bazant, The Electronic Intifada, 1 September 2006)で(数枚の写真あり)。
動画も含んだレポートの数々(写真多数)は http://jewishconscience.blogspot.com/ に。
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イスラエルの作る隔離壁(分離壁)と闘っている西岸のビリーン村を撮ったドキュメントフィルムがエルサレム映画祭でベストドキュメンタリー賞を受賞した。その名も「Bil'in, my love」で、監督はイスラエル人のシャイ・カルメリーポラック(Shai Carmeli-Pollak)さん。ビリーン村に密着し、村人とともにイスラエル軍の暴力を受けながらの取材で、パレスチナ人とイスラエル人、そしてインターナショナルズがともに闘い、人間としてつきあっている様子を撮したものだという。現在、イスラエルの中で公開されている。アラビア語版ができたら、パレスチナの中でも巡回する予定らしい。
これについては The Prize-winning `Bil`in, my love` on Israeli Cinemateques に、監督自身による紹介文が載っている。
[見てみたいなぁ。英語字幕入りも作ってくれないかなぁ]