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(回答先: 日米間において、真珠湾攻撃や原爆投下、東京大空襲、東京裁判などの歴史問題があるが、ギャップは埋まらない。 投稿者 TORA 日時 2006 年 9 月 05 日 14:38:27)
私見として真珠湾攻撃についてはまだ評価できない。
東京裁判については一方的な戦勝国による裁判である。「A級戦犯」とは一方的な判決・名称ではあるが、日本を敗戦に導いた指導者については、結果責任としても断罪しなければならないだろう。しかし、彼らの断罪は結果としてすでに終わっている。言わば禊ぎはすみ、政治戦争責任は死で贖っている。
大半の普通の日本人であれば善男善女として、道々に仏閣があれば手を併せて拝むであろうし、神社があれば柏手をうち賽銭をあげるだろう。ましてや、郷土や国のために殉じた人が祀られている祠に参拝することは何ら後ろめたいことではない。
時の首長が慰霊のために靖国に参拝することは、何ら国家・国民、ましてや諸外国に対してやましいことをしているのではない。小泉首相は「二度と戦争を起こしてはならないと言う気持ちで参拝した」と言っている。しかし、参拝に際しては余計なことは語らず、ひたすら慰霊のために一途に参拝するべきだ。
余計なことを言えば、即座にその参拝は一途でなく、慰霊の意味は消失する。
「日本国憲法」は戦勝国米国によってあてがわれた憲法である。悪さをした小学生または中学生のガキ坊主が先生(米国)からサンプルの文章を示されそれをなぞって書かされた醜悪な文章である―特に前文。
「日本国憲法」前文
「・・・ 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
この様なおめでたい文の憲法であっても、時が経つと苔むして米国の意図は忘れ去られ、「日本国憲法」教として一部勢力のありがたい教典となっているのが現状である。かの国も、あの国もこの教典を奉じる勢力が日本に在ることは大助かりであろう。
かっての鳩山首相は、内閣の課題として日ソ国交回復を成し遂げ、自主憲法制定をも志したが達成し得なかった。 党利党略、対米追従に汲々としている今の自民政治家には、このような構想や志は見あたらない。