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イスラエルは何を望むのか ──イスラエル人歴史家が考えるレバノン攻撃の裏側
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投稿者 Kotetu 日時 2006 年 8 月 22 日 00:07:30: yWKbgBUfNLcrc
 

──イスラエル人歴史家が考えるレバノン攻撃の裏側
What Does Israel Want?
イラン・パペ / Ilan Pappe
2006年7月14日
─ナブルス通信2006.8.19号による─


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「イスラエルは何を望むのか」
停戦は14日に発効しました。イスラエル軍はレバノン南部から、ゆっくりと兵を引き上げているようです。しかし、この停戦がどこまで持つのかというと、それを危ぶむ声のほうが大きく聞こえてきます。「もし停戦が崩れた場合、恐らくそうなる見込みだが、イスラエル、アメリカ共に、この現状を脱するためのいかなる計画も有していないように見える。」(ロバート・フィスク、インディペンデント特派員、8月14日付※より)
この停戦のちょうど1ヶ月前、イスラエルのレバノン攻撃開始から2日目にイスラエルのハイファ大で教鞭をとり、シオニズムに異議を唱えてきた数少ない歴史家であるイラン・パペ教授が書いた文章を送ります。今のところ、パペ氏が危惧したほどひどい展開にはなっていませんが、しかし、安心しきれない状態です。また、ガザは封鎖されたなか、兵糧攻めに近い状態で攻撃を相変わらず受けていることも忘れてはいけないでしょう。[ナブルス通信]

 

「イスラエルは何を望むのか 」

イラン・パペ
2006年7月14日

What Does Israel Want?
Ilan Pappe, The Electronic Intifada, 14 July 2006


 

軍の高官たちが、何年も何年も、第三次世界大戦のシナリオをシュミレーションしているところを想像してみてください。コンピュータ化された作戦本部でぬくぬくと、大規模な軍事力を手に,最新鋭の武器を思う存分に駆使し,机上演習を心行くまでやっているところを。ところが、第三次世界大戦はとりやめになり、いくつか、近くのスラムをなだめたり,貧困に喘ぐ住宅地で増加する犯罪に対処するために、これまでの経験を活かしてくれ,そう言われたところを想像してください。さらに──私の空想の危機の最終幕ですが──社会的不平等や貧困、長年の差別の生み出したストリートにおける暴力に対し、これまで練り上げてきた計画が意味がなく、武器も役に立たないことがわかったときのことを想像してください。軍の高官たちは失敗を認めるか、それでもやはり、自分の自由にできる巨大な破壊力を持つ兵器を使うか、どちらかを選択することになります。私たちが目にするのは,イスラエル軍の高官たちが後者を選択したため、生み出された惨事の極みなのです。

私はイスラエルの大学で25年間教えてきました。学生のなかには、軍の高官も何人かいました。1987年の第1次インティファーダの発生以来、彼らのあいだには欲求不満が募っていくのがわかりました。アメリカ式の国際関係学では婉曲的に「低烈度紛争/低強度紛争」と呼ばれるこの種の衝突が、彼らには耐えられなかったのです。軽すぎて、口に合わないのです。軍は、長いあいだ、アメリカの税金で、最新鋭、最も洗練された巨大な軍備を蓄積していましたが、戦場や交戦で実戦能力を試す機会は全くありませんでした。そして,やっと実戦の機会がきたと思えば、手にする兵器がほとんど要らないような、投石や火炎瓶などの原始的な武器相手だったのです。戦車やF-16戦闘機を動員してはみたものの、自分たちがマトカル(イスラエル大本営)でやった模擬戦とはほど違いのものだったのでした。

第1次インティファーダは鎮圧されたものの、パレスチナ人の占領終結を求める行動はやみませんでした。2000年になると、より宗教的なリーダーたちや活動家の影響のもとで、パレスチナ人は再び蜂起しました。しかし、それはまだ低烈度紛争であり、それ以外の何ものでもありませんでした。軍にとっては期待はずれでした。軍は「ほんものの」戦争をやりたくてうずうずしていたのです。イスラエル軍に近いイスラエル人ジャーナリスト、ラビブ・ドゥルーカーとオフェール・シェラーの2人による近刊『Boomerang(ブーメラン)』によれば(50ページ)、第2次インティファーダが始まる前,軍事演習のほとんどは全面戦争を想定したシナリオに基づいて行われました。この次、パレスチナ人が反乱した時、占領地での「暴動」は3日もすると、近隣のアラブ諸国(特にシリア)との全面衝突に発展するだろうと予想されていたのです。イスラエルの[軍事的]抑止力を維持し、通常兵器による戦争遂行能力を軍のリーダーが確信するためにも、そのような衝突が不可欠である,そう思われていたのです。

演習では3日のはずが6年になってしまい、欲求不満は耐えがたくなっていました。にもかかわらず、イスラエル軍の戦闘に関する基本的な考え方は、今日でも「衝撃と畏怖」*1に根ざすもので,狙撃手や自爆犯、政治活動家を追うことではありません。「低烈度/低強度」戦争は、無敵を誇る軍の能力に疑問を差し挟むだけでなく,「ほんものの」の戦争の遂行能力を侵食するからです。もっと重要なことは、そんなことをすれば、パレスチナの土地を非アラブ化し、イスラエルの手におさめようとする構想を、一方的に押しつけられなくなるからです。シリアとレバノンのヒズボラをのぞき,ほとんどのアラブ諸国は現状に満足し,力もないので,イスラエルが自らの政策を続行するのを容認しています。イスラエルが単独主義を成功させるためには,シリアとレバノンを無力化しなければならないのです。

2000年10月、第2次インティファーダが始まって以来,軍は1,000キロ爆弾をガザの家屋に落としたり,2002年の「防衛の盾」作戦の時には、ジェニンの難民キャンプをブルドーザーで押し壊し,欲求不満のいくらかのはけ口を見つけてきました。しかし、これも中東最強の軍隊の能力からすれば、赤子の腕をひねるようなものです。第2次インティファーダでパレスチナ人が選択した抵抗の方法─自爆攻撃─は、極悪非道のように言われますが、パレスチナ人の人間的、経済的、社会的なインフラをことごとく破壊し、集団に対する懲罰を加えるためには,F-16戦闘機が2、3機と戦車が数台あれば事足りてしまいます。

私は、これらの軍人たちについて、普通に知られる限りのことは知り及んでいます。先週は、まさにやりたい放題でした。1キロ爆弾や戦艦、ヘリコプターや大型火砲は、時々使われるものではなくなりました。弱くて取るに足らない新国防相のアミール・ペレツは、ガザの破壊やレバノンの粉砕を求める軍の要求を躊躇することなく、受け入れました。しかし、それでもまだ、足らないかもしれません。あわれなシリア軍との全面的な衝突へと悪化することも考えられ、かつての私の学生たちは、その実現に向け,挑発的な動きを押し進めるかもしれません。そして、もし、イスラエルの新聞が言うことを信ずるなら、それは圧倒的なアメリカの傘に後押しされ,イランとの長距離戦争に拡大するかもしれません。

これからとりうる行動について、軍がエフード・オルメルト政権に行った提案をマスコミは報道していますが,最も政府よりのマスコミの報道からですら,イスラエルの軍人を熱狂させているものが見て取れます。レバノン、シリアとテヘランの徹底的な壊滅、です。

トップの政治家は、これに比べて,まだおとなしい方です。政治家たちは「高烈度紛争」を求める軍の渇望を、これまで十分に満たしてきませんでした。しかし、彼らの日常的な政治観は、軍の宣伝と論理によって染められています。そうでなければ、もともと知的な人物である外務大臣のツィピ・リヴニが、今夜(2006年7月13日)、イスラエルのテレビで、2人の捕虜兵士を奪還するため、最善の方法は「ベイルートの国際空港を徹底的に破壊する」ことだなどと本気で言うはずがありません。もちろん、2人を捕虜にする者たち,または武装グループは、すぐさま、国際空港にでかけ、捕虜と自分たちの座席を次のフライトに確保したことでしょう。「しかし、彼らは車で逃亡することができますよね」とインタビュアー。「そのとおり」とイスラエルの外相は答えました。「だから、我々はレバノンから国外につながる道路をすべて破壊するのです」。空港を破壊し、ガソリンタンクに火をつけ、橋を爆破して、道路を破壊し、民間人を巻き添えにできる、これは軍にとって吉報です。最強で最大の破壊力を持つイスラエル空軍は、「低烈度紛争」でナブルスやヘブロンのストリートに少年や少女を追いかけることで、たまりにたまった鬱憤をはらし,「真の」実力を示すことができるのです。空軍がガザでそのような攻撃を行ったのは、これまでの6年間にたった一度*2でしたが,ここ数週で,すでに5度、そういう攻撃を行っています。

しかし、これでもまだ、将軍たちには十分ではありません。将軍たちは、すでにテレビで「我々,ここイスラエルに暮らすものは、ダマスカスとテヘランを忘れてはならない」とはっきり言っています。将軍たちは、私たちに忘れてはならないというものの,この訴えの意味するところは,過去の経験からわたしたちには明らかです。

ガザとレバノンで捕虜になっている兵士たちは、すでに重要事項ではなくなっています。これを機会にヒズボラとハマスを完膚なきまでに粉砕することができれば,捕虜を奪還することはもうどうでもよいのです。1982年の夏にも、イスラエル国民は、似たような形で,ベギン政権がレバノン侵略の口実にした犠牲者のことも全く忘れてしまいました。犠牲者の名前はシュロモ・アラゴヴ、パレスチナ人の分派グループ*3により、命を狙われたロンドン駐在大使です。アリエル・シャロンはアラゴヴへの攻撃をレバノン侵略の口実にし,18年間も駐留したのです。

紛争解決の別な道筋を求める声は,イスラエル国内で聞かれることはなく,シオニスト左翼からさえもあがりません。捕虜交換だとか、すくなくとも長期の停戦について、ハマスなどのパレスチナ人グループとの対話を始め、将来、より有意義な政治折衝を行うための地ならしをする、そういった常識的な策を求める声はどこからもあがりません。このような別な道筋はアラブ諸国すべての支持を受けていますが、残念なことに,支持するのはアラブ諸国だけです。ワシントンのドナルド・ラムズフェルドは、何人か,省内の腹心の部下を失ったかもしれませんが、いまだに国防長官であることに変わりはありません。ラムズフェルドにとって、ハマスとヒズボラの壊滅は──それがどれだけ高くつこうが、アメリカ人の犠牲をともなわない限り──2001年初めに発表した第三世界説の正しさを「証明」する存在理由になるからです。現在起きている危機は、ラムズフェルドにとり、ミニ悪の枢軸との正義の戦いであり、イラクの泥沼から離れ、「対テロ戦」において、これまで達成できなかった目的──シリアとイラン──への前哨戦なのです。

もし、ある意味、イラクでは帝国が傀儡を助けているとしたら,イスラエルのガザとレバノンにおける攻勢にブッシュ大統領が全面的な支持を与えたことは、借りを返す時間が来たことを示しているのかもしれないのです。苦境に立つ帝国を、今度は傀儡が救出する番だと。

ヒズボラは、イスラエルが占領し続ける南レバノン地域の一片の土地の返還を要求しています。ヒズボラは、国内の政治においても主要な役割を果たすことを望んでおり、イランとパレスチナにおける闘い全般、そして、特にイスラーム[教徒]の闘争に思想的な連帯を示しています。この3つの目的は必ずしもそれぞれを補完しあうとは限らず,この6年間、イスラエルに対しては、非常に限られたる戦争行動しかしてきませんでした。イスラエルのレバノン国境付近における観光業の完全な復活は、ヒズボラはイスラエル軍の将軍たちとは異なり,自らの事情で、紛争が低烈度にとどまることに満足していることをまざまざと証明しています。もしパレスチナ問題の包括的な解決が達成されれば、その問題から生ずる衝動もなくなってしまうのです。イスラエル領に100ヤード踏み込むというのは、そういう行動の一つです。そんなとるに足らない行動に対し,総力戦による徹底的な破壊で報復することは、イスラエルにとっては口実ではどうでもよく,肝心なのは自身の壮大な計画であることを示しています。

これは何も新しいことではありません。1948年に、国連が祖国の半分*4をもぎ取り、ほとんどは1945年以後にやってきた新参者と移民たちに与える取引を強要したとき、パレスチナ人が選択したのは,まさしく低烈度の紛争でした。その機会が訪れるのをずっと待ち続けたシオニストの指導者たちは,民族浄化を開始し、そこに暮らしていた人間の半分を追いやり,村の半数を破壊し*5、植民地主義の終焉ですでにかげりの見えていた西側とのあいだの不必要な争いに、アラブ世界を引きずり込みました。[現在のレバノン攻撃と48年のパレスチナ人追放の]2つのことは相互につながっており、イスラエルの軍事力が増大すればするほど、パレスチナの非アラブ化の徹底という、1948年にやり残した仕事を終わらせるのが楽になります。

おぞましい現実を新たに作り出そうとするイスラエルの企図はまだ,阻むことができます。しかし、その可能性はとても小さく,世界は手遅れになる前に、行動を起こさなければなりません。

 


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原文:http://electronicintifada.net/v2/article5003.shtml
翻訳:リック・タナカ [http://www.the-commons.jp/rick]
[編集者註]
*1…「衝撃と畏怖」(shock and awe)は、米国がイラク侵攻時に使った作戦名。

*2……「6年間にたった一度」は1トン(1000キロ)爆弾を使った回数だと思われる

*3……アラファト率いるPLOと敵対する立場にあった「アブニダル・グループ」がイスラエル駐英大使を襲った。その直後から、イスラエル軍はベイルートのPLO本部周辺への空爆を開始し、後に侵攻した。アリエル・シャロンは当時の国防大臣。イスラエルがレバノンより完全撤退したのは2000年。

*4……1947年の国連分割決議案のこと。約55%の土地がユダヤ人の国家に、45%がアラブ人の国家になるはずだった。

*5……その結果、歴史的パレスチナの約78%がイスラエルとなった。破壊された村は400以上に及び、100万人近い人々が土地を追われて難民となった。

※ashさん訳「8月14日(月)『午前6時停戦発効…真の戦争が始まる』」
http://heartland.geocities.jp/readingfisk06/textbn/140806.html


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(編集責任:ナブルス通信)
http://www.onweb.to/palestine/siryo/pappe-what14jul06.html

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