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これは、第二次大戦における住民居住区域がインフラに対する爆撃を始まりとするものであろうが、その後の戦争の形態変化に応じて大きく発展・変化したものと考えられる。
その切っ掛けは、ゲリラ戦への対応・対策を講じなければならなくなった事であろう。
ゲリラ戦士は、一般住民と区別がつき難く、住民区域からも攻撃を行ってくる。
また彼らは、住民の支持の下で軍事行動を行う。
その様なゲリラ戦士の攻撃に対して有効な反撃が難しくなった事により、
それに対して勝利する為に、
「密かに編み出された戦術」が確定しているようである。
それは、
「ゲリラ戦士、民兵ではない無防備な一般住民をもはっきりと『敵』と看做して殲滅する事」
である。
さらに、
「ジャーナリストも『敵』と看做して攻撃する事」
にも発展した。
勿論これらは、公には出来ない戦術である。
それで言い訳を伴いつつ行われるのが通例となる。
いわく「誤爆でした」「指令が十分でなかった」等等。
しかし、今やはっきりとした戦術として確定して内部では認められているものであろうと推測する。
この様な戦術が採用されるのは、効果が期待できると考えられそうだからである。
その効果とはなにか?
1.住民そのものを殲滅する事により、住民に恐怖感を植え付け、抵抗意欲の喪失を招かせることができる。
2.ゲリラ戦士、民兵の血縁者、親族に攻撃を行うことにより、彼らの戦意を弱体化させ喪失に至らしめことができる。
3.住民そのものがゲリラ戦士、民兵となるのであり、支援するのであるからこれを敵と看做して殲滅すれば、敵の戦力は大いに弱体化できる。
4.ゲリラ戦士、民兵の補給、治療などの後方活動を破壊できる。
この様なわけで今や一般住民は、
ゲリラ戦士、民兵と同じく『敵』として看做され扱われているのである。
戦場にいるジャーナリストも味方の者でなければ、『敵』として看做され扱われているのである。
今回のレバノン侵攻戦争においては、
レバノンの一般住民は、イスラエル軍にとってはヒズボラと同じく『敵』として看做され、攻撃の対象であった筈である。
同様に、アフガニスタン住民は米・英軍の敵であり、イラク住民も米・英軍の敵であるはずなのだ。
だから彼らは容易に住民を大量に殺害できるのである。
しかし、この戦術は効果は無く戦争の拡大を招くだけであり勝利をもたらすものではない。
今や戦争に反対する人々は、相手がこの様な戦術を採用しているものとして認識し、
容易な相手ではない事を知りつつ運動を行うべきであろう。
つまり相手は、
「凶悪犯罪者」と同じ心情の持ち主であると言う事だ。
その様な者達を相手にするにはそれなりの心構えが必要であると言う事だ。
私は日本人であるから、第二次大戦の経験を踏まえており、彼らに対しても武力を以って抵抗する事は無い。他の方法を採る訳である。
この戦術の悪しき変化・発展は、それに止まる事は無く対抗策を生み出してしまうのである。
その事について彼らは思い至る余裕は無いであろう。
しかしその対抗策の姿については予測する事は控えたい。
考える事は出来る。だが、私は人々の心に余計な恐怖感を呼び起こす趣味を持ってはいない。従ってこれについて語るつもりはない。
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