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□停戦の喜びの先に国家不信 ベイルート市民の複雑な表情 [アルジャジーラ]
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2324223/detail
停戦の喜びの先に国家不信 ベイルート市民の複雑な表情
【アルジャジーラ特約15日】レバノン国民は14日からの停戦に対して、警戒心を保ちながらも安堵(ど)の反応を示し、多くの人たちがほぼ5週間続いた戦乱の後、暮らしが正常化されることを期待している。
ベイルートでは経済活動が再開され、ここ数週間で初めて市内の通りは車の混雑が起きた。南部から逃げていた数千人の避難民は避難所にしていた学校や公園を離れた。
西ベイルートのサナイエ公園では、多くの家を追われた人々が出て行き、残った人たちも、向こう数日のうちに家へ帰るつもりだと話していた。
この公園で救援活動に従事していたボランティアのサージュン・カンタルさんは「人々は普通の暮らしに戻りたいとはやる気持ちでいます」と話した。
しかし、中には自分たちの家が残っているかどうかわからないという人もいた。
ハッサン・イエヒアさんは、クファール・キラ村の、イスラエルとの国境線から5メートルしか離れていない家から逃げてきた。「我が家に何が起きたか、わかりせん。いろんな情報が届いていますが、イスラエルの砲弾が当たったという人もいるんです」。
しかし、彼は家、財産が失われることについて心配はしていない。先のイスラエルによるレバノン攻撃に関連して、「こんなことには馴れています。1978年と82年、96年にも起きたことですから。今度が最初だったらショックでしょうが、今は馴れてしまってますよ」と言う。
イエヒアさんの自制的な態度は他の人とも同じである。
ベイルート南郊、ハレト・フレイク地域では、住民たちはイスラエルの激しい爆撃があたり一帯を襲い続けたのに対し、自分たちの家が助かっているかどうか見に、戻って来ていた。
この地域はヒズボラの司令部があったところで、黒服に身を包んだ武装要員がいたるところで見られた。建物のあちこちから今も立ち昇る有毒ガスを避けるため、多くの男たちは外科手術用のマスクをしていた。
ある場所では、街の通りが完全に消え、山のような瓦礫に変わっていたし、破壊から無傷のものは何もなかった。
悪臭があたりに広がっていたが、ヒズボラの戦闘員たちは、瓦礫の中に遺体が残っているようなことはないと言っていた。
破壊にもかかわらず、地域住民の多くは浮き浮きした気分で、若者たちはヒズボラの最高指導者、ハッサン・ナスララー師の写真を持ち回っていた。
ハレト・フレイクに住むカレド・バラカットさんは「イスラエルが勝てなかったのだから、こっちが勝ったんだ」と話した。彼は爆撃の間、地域を離れなかったという。
他の人たちはそう強気にはなり切れなかった。ある人は「私のビルは壊されてしまったのだから、戦争の勝者はいない」と語った。
戦乱がどうやら終わったという安堵の思いとは別して、レバノンの多くの人たちは、この国の将来に対して心配している。イスラエルとの停戦は弱体で、この国への封鎖態勢は依然、残っている。
レバノン政治の均衡はますます弱くなっており、ヒズボラがイスラエルとの戦争を勝手に起こしたと非難する人たちと、ヒズボラはイスラエルの侵攻に抵抗する権利があると言う人たちの間にギャップがある。
ナスララー師のテレビ演説が14日夕、あり、同師が自分の党がイスラエルを打ち負かしたと言うと、祝賀の発砲が起こり、花火が上がった。ヒズボラ支持者は、これまでアラブに対して完勝し続けてきた国に対して、ヒズボラが対抗していけることを証明したと主張している。
片や、それほど確信を持てずに、1100人以上のレバノン民間人が死に、この国が総額50億ドルの犠牲を支払ったと指摘する人もいる。
英語のビジネス誌「エグゼクティヴ」のマイケル・カラム編集長は「今回の衝撃は時代を画するものだ。1カ月で、この国は組織的に解体されてしまった」と語る。
「信用という面でいうと、この国のさまざまな部門の多くに大きな影響を与えた。観光産業を例に挙げれば、今、この国に休暇で来ようという人がいるだろうか」。(クリスチャン・ヘンダーソン記者:翻訳・ベリタ通信=日比野 孟)
2006年08月15日16時36分