★阿修羅♪ > 戦争83 > 714.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
2006年8月12日発行
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
JMM [Japan Mail Media] No.387 Extra-Edition3
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
http://ryumurakami.jmm.co.jp/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼INDEX▼
■ 『レバノン:揺れるモザイク社会』 第26回
「戦争の風景4:開いた重い扉」
■ 安武塔馬 :ジャーナリスト、レバノン在住
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 『レバノン:揺れるモザイク社会』 第26回
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「戦争の風景4:開いた重い扉」
新たな隣人
現在、レバノン時間で8月11日午後9時。間もなくニューヨークの国連安保理で
は修正に修正を加えた停戦決議案の協議が始まる。
ここブシャッレは闇に包まれている。もともと停電が多い地域だが、1カ月前の開
戦以来、ガソリンや軽油などが極端に足りなくなったせいで、発電機もなかなか稼動
出来ない(ただし、私の居るアパートはカディーシャ渓谷の水力発電所に送電線が直
接つながっているため、滅多なことでは停電しない。そのおかげで、こうやってニュ
ースを24時間モニターし、コンピューターを作動出来る)。
闇と星空と言えば、静寂もセットになっていそうなものだ。事実、ブシャッレの町
からも車で15分以上も離れた辺鄙な場所にある我が家の周りは、普段は夜になれば
不気味なほどの静寂に包まれる。
しかし今夜は違う。近所の若者や子供たちが戸外で焚き火を囲んでパーティーを
やっているせいだ。20人くらいは居るだろうか。大多数は年頃の女の子たちだ。太
鼓や拍手の音、それに歌声が間近に聞こえて騒々しい。
この瞬間も山の裏側では空爆で人が殺されている(と、ここまで書いたところで、
マルジュアイユーンからベカー北部に逃れようとした避難民の乗った車が、ワイン醸
造で著名なケフライヤ村で爆撃され3名が死亡、15名が負傷したというニュースが
飛び込んできた)のに、不謹慎と言えば不謹慎な話である。しかし同情すべき部分も
ある。ここで騒いでいる若者たちの中には避難民も混じっているからだ。我が家の新
たな隣人、マルタとゼイナの姉妹がそうである。
姉妹の一家は南部サイダ市から東南方向の山岳地帯、イクリーム・トゥッファーハ
の出身。お父さんは定年で退職する前は地元の小学校の校長先生だという。シーア派
居住区に隣接する一家の村も開戦以来激しい空爆にさらされ、いったんベイルートの
キリスト教徒地区アシュラフィーヤに逃れた。しかしここも連日連夜イスラエルの猛
攻にさらされるダーヒヤ(ベイルート南郊外)からは目と鼻の先だ。夜間の爆撃の轟
音と振動におちおち眠っていられない。結局人づてにはるばるここブシャッレに逃れ
てきた。
一家は姉妹に加え兄、両親の5人。我々のアパートがあるビルの屋上に設けられた
二部屋のスペースに寝泊りしている。
レバノン国民の4人に1人がホームレスになるというこの未曾有の惨事の中、私た
ち一家が被災民や避難民のために出来ることは限られている。せめてもの奉仕を、と
いうつもりで、妻は私の不在中から、我が家の電話をフランスとカナダに居る一家の
親戚からの連絡先にしたり、食事や寝具を貸すなど、なるだけ一家に親切にしてきた。
校長先生として地元では名士だった老人(姉妹の父親)と一家は、いつも他人の面
倒を見る側だった。だから自分たちが他人の世話になることに馴れていないらしく、
我々に対する遠慮ぶりは見ているこちらが気の毒になってくるくらいだ。我々が何を
提供しても、必ずお返しとして手製の石鹸など、貴重な身の回りの品を譲ってくれた
りする。
姉妹はブシャッレについてからも暫くは空爆を恐れて、散歩にさえ出たがらなかっ
たらしい。羊や山羊の群れが悠然と草を食んでいるようなのどかな場所だと言うのに。
こんなストレスのたまる生活をしていれば、たまには今夜のように破目を外したくな
るのも仕方ないだろう。
公園に寝泊りする人々
言うまでも無く、この隣人一家のケースはそれでも避難民としては例外的に恵まれ
ている。はるか遠くのブシャッレへの交通費が支払えて、家族の誰も怪我をせず、快
適な避暑地でアパートを借りるだけの経済力もあるのだから。
大多数の避難民はそうはいかない。突然の攻撃と警告に驚いて、家の中の荷物をほ
とんど何も持ち出せず、命からがら村を逃れてきた。シヤーハ地区のように、親戚や
知り合いを頼って逃れた先で不幸にも再び攻撃を受けて命を落した人も少なくない。
身近に頼れる人が居ない場合は、学校や公園のような公共スペースに設けられた避
難所で過ごすしかない。ベイルートの中心部、内務省や中央銀行に囲まれた一角にあ
るサナーイア公園もそんな緊急避難所のひとつだ。ここでもテントも無しに、多くの
避難民が暮らしている。夏のベイルートは乾季のため雨こそ降らないものの、日没ま
で暑さは厳しく、夜になると蚊の襲撃に悩まされる。
そんな場所で、何十世帯もの人々が、炊き出しで空腹をいやし、洗面所で洗濯をす
る生活を余儀なくされている。この人たちの場合、たとえ停戦が成立したとしても、
帰るべき家は破壊されており、仕事も失っている。本当に苦しいのは平和が戻ってか
らかもしれない。
私の身の回りで言えば、私本人はベイルートの某研究機関の仕事を失ったし、メ
ディアの仕事も失った。いずれの機関も戦火を逃れてはいるのだが当面閉鎖されてい
る。もともとが時給制・歩合制なので、出勤して働くことが出来ないのなら、一円の
収入にもならないのである。
一番上の義兄夫妻は揃って国立高等音楽院のピアノ講師をやっている。やはり非常
勤なので、仕事が無い現在はまったくの無収入だ。別の義兄はジュニエで写真スタジ
オをやっていて、真夏の結婚式シーズンは一番の稼ぎ時なのだが、ぎっしり詰まって
いた予約は開戦直後、ものの見事にすべてキャンセルされてしまった。キリスト教徒
地区でも南部やベカーで親戚が犠牲になったと言う人は少なくないから、自粛ムード
に張り詰めている。とてもとても結婚式を祝う雰囲気ではないのである。
義弟一家はカナダ国籍を持っていて、夏休みにカナダへ行っていたので難を逃れた。
やはりプロの写真家である義弟本人は、途中で家族と別れて結婚式撮影の仕事のため
に単身帰国する予定だったが、戻れなくなってしまった。戻ってもどうせ仕事はない
から、今も家族とカナダに居る。この際移民してしまおうか、とさえ真剣に考えてい
るようだ。
以上、私の妻の一族は収入を絶たれて、貯金を切り崩すか、借金をする以外に当面
の生活が成り立たないという点で、みんな似たりよったりなのである。幸い、誰も家
を破壊されずにすんでいるので、何とかやっていけるというのが実情だ。
停戦への渇望
こんな状況だから、誰も彼も一刻も早い停戦成立を祈っている。反シリア・反ヒズ
ボッラーの立場の人たちは「そりゃあ人道的な面ではシーア派の犠牲者や被災者たち
にも同情するし、出来る限りの救援はする。でも、大きな声では言えないが、シーア
派以外の国民のほとんどはヒズボッラーがこの戦争で負けて、武装解除してくれた方
がレバノンの未来のためには良い」、そう言う。
しかし戦局は依然としてヒズボッラーに有利に推移しているようだ。10日、イス
ラエル軍はレバノン南東部の重要都市マルジュアイユーンに侵攻したが、激しいゲリ
ラの抵抗にあって一旦撤退、態勢を立て直して再度占領したが、ゲリラの攻撃は止ん
でいない。海上では11日夕方、ヒズボッラーが二隻目のイスラエル海軍艦艇撃沈を
発表し、アル・ジャジーラ・テレビも認めている(ただしイスラエル側は夜11時現
在でも認めていない)。
イスラエル紙ハ・アレツの世論調査でもオルメルト首相の支持率は開戦前の73%
から48%まで急降下。「この戦争にイスラエルが勝てると思うか」という問いに対
して、「思う」と答える人がわずかに20%と、相次ぐ苦戦の情報と、一向におさま
らないカチューシャ・ロケット攻撃を前に、国民の士気の低下はもはや隠しようがな
くなってきた。
流石のアメリカも、イスラエル軍にヒズボッラーを潰す能力が無いのであれば、も
はやこれ以上庇いきれない。そんなことをしていれば中東全体で反米感情に火を注ぎ、
エジプトやヨルダン、サウジなど同盟国の政権を危険にさらすことになる。
10日から11日にかけて、米国が停戦決議案の文案修正に柔軟になり始めたのは、
おそらくそんな判断があったのであろう。結局、ベイルート時間で11日午後10時
に安保理に提案された米仏共同提案は
・イスラエル軍がレバノン国軍の南部展開と同時に南部から撤退するよう求める
・イスラエルが拘束するレバノン人政治犯の問題やシェバア農地の問題を両国間の
問題として認知した
・多国籍軍ではなく既存のUNIFIL部隊を拡張して南部の停戦維持にあたらせる
・UNIFIL部隊に対ヒズボッラー強制力を与える国連憲章第7章ではなく、第6
章に基づいていること
など、レバノン政府・ヒズボッラーの側にとってかなり有利な内容になった。
決議採択
レバノン時間で12日午前2時過ぎ、安保理はイスラエルとヒズボッラーに対して
戦闘行為の全面停止を求める決議第1701号をメンバー諸国15ヶ国の全会一致で採択
した。レバノン政府は12日、イスラエル政府は安息日明けの13日の閣議で、それ
ぞれ決議案に若干の保留事項をつけつつもこの決議案を承認するとみられる。
しかし、決議採択に先立ちオルメルト・イスラエル首相は地上作戦拡大にゴーサイ
ンを出している。ヒズボッラーのゲリラがすんなりとリタニ川以北への撤退に応じる
かどうかもわからない。
開戦以来12日でちょうど1ヶ月。
ようやく国際社会は停戦に向けて最初の重い扉を開いた。しかし決議を実際の停戦
に移せるかどうかは依然として予断を許さない。
----------------------------------------------------------------------------
安武塔馬(やすたけとうま)
レバノン在住。日本NGOのパレスチナ現地駐在員、テルアビブとベイルートで日本
大使館専門調査員を歴任。現在は中東情報ウェブサイト「ベイルート通信」編集人と
してレバノン、パレスチナ情勢を中心に日本語で情報を発信。
<http://www.geocities.jp/beirutreport/> 著作に『間近で見たオスロ合意』『アラ
ファトのパレスチナ』(上記ウェブサイトで公開中)がある。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
JMM [Japan Mail Media] No.387 Extra-Edition3
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【発行】 有限会社 村上龍事務所
【編集】 村上龍
【発行部数】128,653部(2005年8月1日現在)
【WEB】 <http://ryumurakami.jmm.co.jp/>
----------------------------------------------------------------------------