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〔いんさいど世界〕 レバノン戦の実相、明らかに 両足切断 イスラエル戦車兵らの証言
レバノン戦の真実の姿が、負傷したイスラエル軍戦車兵らの証言で明らかになった。
世界最強といわれるイスラエル軍の「メルカバ」戦車。
その無敵の装甲をいともかんたんに破る、ヒズボラのロケット弾。
まるでベトナム戦争を思わせる、神出鬼没のヒズボラのゲリラ戦。
イスラエルのレバノン侵攻は、ある意味でその作戦名、「正当な報酬」にふさわしい、激しい抵抗に遭っている。
ニューヨーク・タイムズ紙(電子版、8月12日付け)のハイファ(イスラエル)発特電(グレッグ・マイル記者)は、戦場から送られてくる負傷兵に取材した報告である。
レバノン国境から30数キロ南にあるラムバン医療基地。
その軍用病院に「メルカバ」の砲手、オル・バールオン軍曹がヘリで急送されたのは、7月20日のことだった。
その日、国境から1.6キロほどレバノン領内に入ったマルン・アルロスの町で、イスラエル軍の装甲ブルドーザーがヒズボラの攻撃に遭い、立ち往生した。
その救出のため、現場に向かったのが、バールオン軍曹らの「メルカバ」戦車だった。
が、戦車は途中、ロケット弾攻撃を受ける。
一発のロケット弾が分厚い装甲を貫通、軍曹の両足(膝から下)を切り裂いた。
もともと保健センターだったラムバン医療基地はいまや事実上の野戦病院と化し、バールオン軍曹のような負傷兵が数十人、収容されている。
マイル記者によれば、そんな負傷兵の誰もが、ヒズボラの重武装とその組織立った戦いぶり、現れては消える神出鬼没ぶりに驚いているようす。
ヒズボラのゲリラは、地下の壕やトンネルから現れては、対戦車ロケット弾などを発射し、姿を隠してしまうのだという。
顔面、首、脚部に負傷し、同医療基地で治療を受けている戦車中隊の隊長、ハノック・ダウブ大尉は、8月8日、ヒズボラが「抵抗の都」と呼ぶ要衝、ビント・ジバイルの戦いで悪夢を見た。
負傷して民家に逃げ込み、孤立したイスラエル兵2人の救助に、自ら戦車に乗って出動、2人を助け出すことはできたが、帰路、ヒゾボラの攻撃に遭って、砲弾を受けた。
「ヒズボラはどこにでもいた。2人か3人のグループで行動していた。民間人の服装。誰がゲリラかわからない。砲火だけが見えた」
1982年のレバノン侵攻の際、イスラエル軍は首都ベイルートの近く2週間以内に到達した。
しかし、国境を越えたところで激しい抵抗に遭っている。地上戦が激化した先週だけで45人ものイスラエル兵が戦死した。
「中東のベトナム」と化したレバノン南部の戦場。
マイル記者の病院ルポは、その真実の姿を負傷者のベッドサイドから描き出してみせた。
「イスラエルの戦車砲手、オル・バールオン軍曹にとって、レバノン戦争は結局、90分の戦いに終わった。しかし、その傷は生涯、続く」
と書き出したマイル記者の記事は、こう結ばれている。
「そしてバールオン軍曹は、ベッドの上で彼のギターをつまびいてみせた。両足を失ったぐらいで、自分のヘビメタ・バンド、ベンデッタでの演奏活動をやめてなるものか、と言いながら」
電子版の記事に添えられた軍曹の写真には、Tシャツ姿でギターを構える、「戦前」の彼の大型ポスターが掲げられていた。
戦争と平和、戦車と音楽。
読み終わり、悲しく、胸元が苦しくなる余韻が、しばらくの間、続いた。
(大沼・付記)
記事を読み終えたあと、イスラエル紙の「ハーレツ」(電子版)に、「最後の音が平和の上に響くとき(When the last note sounds on peace)」という記事が載っていたことを思い出し、プリントアウトしていたものを探し出して目を通した。
ノアム・ベン・ジーブ記者によるその記事(8月10日付け)は、「戦前」のベイルートがいかに「音楽的ルネサンス」を遂げていたか、に関する記事だった。
シーア派の男とキリスト教徒の女が踊るベイルートのジャズクラブ。性、イデオロギー、宗教の境を超えたベイルートの若者文化。
記事の冒頭に、アラブの諺が紹介されていた。
「禁じられたものはすべて意欲されたものである」
バールオン軍曹がふたたびレバノン南部を訪れ、シーア派の若者と演奏会を開けるような日が来ることを、夢想家で弱虫な平和主義者のわたしとしては、やはり祈らざるを得ない。
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http://www.nytimes.com/2006/08/12/world/middleeast/12soldiers.html
Posted by 大沼安史 at 09:42 午前 1.いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (0)
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