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□イスラエル帰属意識を迫られるアラブ人 ジャファ住民の緊張と不安をルポ [アルジャジーラ]
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2300237/detail
イスラエル帰属意識を迫られるアラブ人 ジャファ住民の緊張と不安をルポ
【アルジャジーラ特約9日】テルアヴィヴの中央バス発着所では、ミニバス2台がどちらが先に車線に出るかで対立していた。よくある光景だが、イスラエル・レバノン戦役の余波で、異常な事態になっていた。
ユダヤ人の運転手がパレスチナ人の運転手に向かって、「ここは俺(おれ)の国だ。お前の国じゃないぞ」とやっていたのだ。
イスラエルのパレスチナ人にとって、ユダヤ人国家の市民であることが特別、大変な時期になっている。
タイバから来た教師のオマイマさんは「いつもは表面に出てこないような、すべての人種的な緊張と憎しみが今や合法的になり、公然と出現している」と話した。
戦争賛成のムードに巻き込まれていないイスラエル人が裏切り者とみなされる中、パレスチナ人にとっても、戦争反対の立場をとるのは新たな負担になっている。
「サダカ=ルート」共存プロジェクトのファディ・シュバタ理事は、アラブ系イスラエル人も今次の紛争ではイスラエル側に立つように、というイスラエル人多数派の要求があるとして、「言わんとするところは、お前はアラブ人で、アラビア語を話し、アラブ文化を保持しても構わないが、イスラエルに住む限り、国の側に立つ必要があるという事です」と語った。
彼によると、ユダヤ人の主流派の「良いアラブ人」「悪いアラブ人」という認識が、容易に前者から後者に変わっていく動きがあるという。
テルアヴィヴッ近郊のジャッファはアラブ人が圧倒的に多い地区だが、住民の多くはユダヤ人の顧客との関係を不安に思い、友だちがレバノンでの紛争に影響を受けていると言っている。
あるジャッファの住民は「私は同じアパートに15年も住んでいて、ユダヤ人の隣人たちはいつも良いお隣さんでした。しかし今は、すっかり変わったと感じます。自分たちのアパートにテロリストが住んでいるって顔をされるんですから」と話した。
住民の中には、直接はヒズボラやその指導者ナスララー師に向かっている侮蔑が自分たちにも向けられていると言う人もいる。住民の一人は「私はアラブ人だろう。連中はレバノン人を呪うとき、私も呪うんだよ」と言った。
他の住民は、自分はレバノンでの死と破壊に大いに心を痛めているが、イスラエルのユダヤ人とはこの問題を話し合わないとして、「アラブ人でこの問題をユダヤ人と話ができる人はいない。それだけの気力はないね。私は誰とも事を起こしたくない。なぜなら、何が起きるかわからない。4人の子どもを心に掛けていなければならない」と語った。
ジャッファのユダヤ人住民もこの問題では複雑だ。ハザム・アムランさんは「戦争はここの住民全員に影響を与えてますよ。アラブ人にもユダヤ人にも。違いは感じませんよ。そんなこと重要じゃない。みんな殺される時は同じだ」と言った。
ジャッファの目抜き通りで店番をしていたユダヤ人は「何も変わらないよ。今でも友だちだよ」と言い、アラブの国との戦争でアラブ人の隣人たちの緊張が高まっているという見方を打ち消した。「もしそう感じるなら、それはその人たちの心理状態から来るんじゃないか。私はそんな気持ちは認めないよ。ここにいて一緒に住んでいるじゃないか。彼らもイスラエル国民だ」。
しかしアラブの隣人について、こう言う人もいた。「心の底では、あの人たちはヒズボラの攻撃があると、気分がいいんだと思いますよ。ハッピーなのと違いますか」。
シュバタ理事は。パレスチナ系イスラエル人の社会で、戦争を支持する人は少数いるが、それを口に出したり、反戦運動に積極的になるにはためらいがある。攻撃されるのが怖いからね」と語った。「インターネットのフォーラムや街での議論を見れば、こうした空気が簡単にファシスト的になり、そうなるとパレスチナ人住民はイスラエル国内の第5列(スパイ)ということにされてしまう」。
ジャッファのパレスチナ住民の幾人かは、戦闘には強く反対しているが、もし口に出したら報復が恐ろしいとし、「もし私が人のいる所で、この問題で口を開いたら、警察か治安機関が私について捜査していることに気がつくことになるだけです」と言った。
その晩、テルアヴィヴの米国大使館の外側で反戦デモがあったが、そうした恐怖は表面に出て来なかった。数百人の抗議のデモ隊の多くはパレスチナ人や北部のハイファ、アクレ、クファル・ユシフから来た人たちだったが、米国に後押しされた戦争だと主張して反対を唱え、「ユダヤ人もアラブ人も仇敵同士にならないぞ」と叫んでいた。
デモに加わっていたクファル・ユシフに住むパレスチナ人のラドカニ・ヤンニさんは反対派から投げられる卵をよけ、自分に裏切り者のレッテルを張る声に肩をすくめながら、「私がここにいるのはイスラエルのためで、この国の政府の中にいる犯罪者たちが戦争に引きずり込むのに反対するからです。この国の多くの人たちが真実を見ずに、プロパガンダのために死ぬ気になっているのには心が痛みます」と話した。
好戦的な気分を逃れて、ヤファ・カフェや本屋に集まって来る多くのジャッファ住民たちもいて、一人のパレスチナ人と一人のユダヤ人が共存プロジェクトを立ち上げていた。カフェの共同開業者であるミケル・アルラヘブさんは「この店に来る人たちはレバノンでの殺戮(りく)を心に懸け、他の人たひと語り合いたいのです」と話す。
ヤファ・カフェはたまたま、レバノンのカナでの虐殺の起きた日が開店3周年だった。いつもの歌と踊りのお祝いの代わりに、アラブで伝統的な語らいの場、ディワンを設けたという。
このカフェの共存の試みは戦争によって痛めつけられずに存続するかも知れない。それにしても、いつも変わらぬ事とはいえ、こうした試みは本当に数少ないのだ。(ラケル・シャビ記者・翻訳・ベリタ通信=日比野 孟)
2006年08月09日17時09分