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「みんな抱き合うようにして死んでいた」──カナの虐殺ふたたび
避難していた建物がイスラエルに空爆され、34人の子供を含む60人以上が殺された
'They found them huddled together'
ガイス・アブドゥル・アハド、ジョナサン・スティール他
Ghaith Abdul-Ahad, Jonathan Steele and Clancy Chassay in Qana; Rory McCarthy at the Israel-Lebanon border; Wendell Steavenson in Beirut and Julian Borger in Washington
2006年7月31日
─ナブルス通信2006.8.5号より─
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「みんな抱き合うようにして死んでいた」
今回は7月30日にレバノン南部のカナで起きた虐殺事件を報じるガーディアン紙(英国)の記事を届けます。犠牲者60名ほどと言われ、レバノンの悲劇の象徴となったこの事件は、その後ヒューマンライツ・ウォッチの調査で犠牲者はもっと少なかったという話も出ていますが、今のところ確たることがわかっていません。人数が少なければそれにこしたことはなく、だからといって虐殺がなかったと言えるわけでもないのです。
インディペンデント紙のベテラン中東特派員、ロバート・フィスク記者はこの虐殺について「昨日、これを目撃した私達と同じ憤りを感じないとしたら、それは石でできた心だろう。」と書いています*1。
イスラエル軍はレバノン全土への攻撃を激化させ、ベイルートもまた新たに爆撃にさらされました。先ほどはベカー高原で果実をトラックに運んでいた人々が空爆に遭い、シリア人など33人が殺されたというニュースが入ってきています。
3日にはパレスチナのガザでも連続的なミサイル攻撃で8人が殺されています。*2
果てしなく続くような民間人の殺りく。心に留めることもできないほどの悲劇の多さ。そのなかで、イスラエルの態度もロジックも一貫しています。
ひとつの悲劇を心に留め、他の悲劇も感じ取るために、この文章を訳出することにしました。[ナブルス通信]
「みんな抱き合うようにして死んでいた」──カナの虐殺ふたたび
避難していた建物がイスラエルに空爆され、34人の子供を含む60人以上が殺された
ガイス・アブドゥル・アハド、ジョナサン・スティール他
ガーディアン紙
2006年7月 31日
'They found them huddled together'
Ghaith Abdul-Ahad, Jonathan Steele and Clancy Chassay in Qana; Rory McCarthy at the Israel-Lebanon border; Wendell Steavenson in Beirut and Julian Borger in Washington
Monday July 31, 2006
The Guardian
それは、町のはずれにある、これといって目立たない3階立ての建物だった。しかし、シャルフーブ家とハシェム家の2つの大家族にとっては、最後の避難場所だった。ティールまでの法外なタクシー料金が払えず,2つの家族は、その建物の一階にみんなで一緒に身をかがめていれば安全だろうと思ったのだ。
それは間違いだった。深夜1時ころ、男たちが夜更けのお茶を入れているとき、建物でイスラエルの爆弾が炸裂した。目撃者によれば、2つ目の爆発は最初の爆撃から2、3分後で、1つ目の爆撃を生き延びたものたちは、建物の端から端へ、必死で逃げようとしているところを攻撃されたのだ。昨晩までに、60人以上の遺体が瓦礫の間から見つかり、そのうち34人が子供であるとレバノン当局は発表した。これまでに8人の生存が確認されている。
昨日の朝、遺体がまたひとつ、残骸のなかから引き出されるのを見て、捜索にあたる民間防衛隊のリーダー、ナイム・ラカは悲しみに頭を振りながら言った。「遺体は部屋のすみで、みんな、抱き合うようにして見つかった...かわいそうな人たちったら、壁が守ってくれると思ったんだ」。
18日にわたるイスラエルの対ヒズボッラー攻撃のなかでも、最もおぞましいこの空爆には世界中から非難の声が上がっている。昨夜遅く、イスラエルはレバノン南部における空爆を48時間停止すると発表し、居住者がレバノン南部から避難するのを望むなら、国連と連動し、24時間にわたり、避難民の安全を保証すると発表した。
この爆撃に怒った人々はベイルートの国連事務所に詰めかけ,凄まじい抗議を行った。ファウド・シニオラ首相は、イスラエルが「戦争犯罪」を犯したと糾弾し、予定されていたコンドリーザ・ライス米国務長官との会談をキャンセルした。イスラエルは犠牲について謝罪したものの、攻撃は村からロケットが発射されたことに対する報復だと言った。
38才のやせた建設労働者、ムハンマド・カッシム・シャルフーブは、腕の骨折とかすり傷だけですんだが、妻と5人の子どもたち、そして45人の親類縁者を失くした。「1時前後に大きな爆発音が聞こえたんだ」と言う。「それからあとのことは何も覚えていないが、気がついたとき、私は頭を壁でうち,床に倒れていた。なにも音はしなかった。しばらくの間、何も聞こえなかったが、それから、悲鳴が聞こえてきたんだ」
「私は『アッラー・アクバル(神は偉大なり)。もう大丈夫、今,助けにいくからね』と声を出した。私の顔は血で覆われていた。私はそれをふき、息子を探そうとしたが、見つけることはできなかった。私は、子どもたちを3人、助け出した。4才になる私の甥とふたりの姉妹だ。私は外へでると,助けを求め、声をあげた。駆けつけた3人の男と一緒に私は取って返した。砲撃がいたる所で行われていた。飛行機の音も聞こえた。私は疲れきっていて,ふたたび、中へ戻ることはできなかった」
イブラヒム・シャルフーブは、爆撃のあと,いとこと一緒に助けを求めにいった様子をこう説明する。「真っ暗で,しかも、あたり一面煙だらけだった。夜が明けるまでは何もできなかった」イブラヒムはいまだに、神経質そうな目で、あたりを見回しながら言う。「泣くしかできなくて,だれも助けられなかった」
爆撃があったとき、サイード・ラバーブ・ユーセフは息子をひざの上にのせていた。「10分というもの、何も見えませんでした。それから、息子が瓦礫のなか、自分のひざのうえに座っているのに気がついたのです」と彼女は振り返る。「私はほこりや瓦礫をはらい,息子を掘り出し、助けにきた人たちに手渡しました。
「手が自由だったので,自分ではい出し、それから助けにきていた2人の男と一緒に夫を探しにいきました。瓦礫のなかから夫を引きずり出しました。私は小さな娘,ザイナーブを探しましたが,とても暗いし、瓦礫に深く埋まっているようで,しかも、また攻撃されるかもしれないと思うと恐ろしくて,私は娘を残したまま外へでたのです」。サイードは息子や夫と病院に入院したが,夫は麻痺して昏睡状態が続いている。娘の安否はわからないままだ。
救助にあたる人間たちは午前中、ずっと、瓦礫の中から遺体を引き上げ続けた。一番小さな遺体は最後に出てきた。爆風により肺が押しつぶされているほか,その遺体にほとんど外傷はなかった。
「偉大な神よ」、10歳にもならない小さな男の子の身体が担架で運び出される傍らで、警官がつぶやいた。男の子の遺体は横に寝かされ,体中がほこりに覆われ,鼻と耳の回り血がこびりついていなければ,まるで眠っているかのようだった。
建物はカナの村はずれ、丘の上に立っていたが、内部をえぐり出された残骸は斜面に散らばっている。遺体は地面の上に一列に並べられている──赤ん坊が1人,2人の少女と2人の女性。硬直した青年の遺体がそのそばにある。腕が毛布の下から垂直に伸び,人さし指が天を突いていた。
「担架はどこだ、担架はないのか」、救助の人間が声を張り上げる頭上をイスラエル軍機がうなりをあげる。ティールの赤十字のリーダー、サミ・ヤズブークは、午前7時に呼び出しを受けたが,カナへの道が砲撃されていたため、回り道をしなければならなかったと言う。
近くに停まる救急車のなかは、これからまだまだ収容されるもののスペースを確保するため、小さな犠牲者の遺体は積み重ねられている。男の子と女の子、どちらも4つになるかならないかの2つの遺体は頭と足をくっつけるように並べられていた。まだ、パジャマのままだ。
家族の写真が瓦礫のあいだに散らばっている。ひとつには、小さな子どもが2人写っている。モフセン・ハシェムは、その写真をじっと見つめた。「奴ら、ここに子どもたちがいたって,承知していたはずだ」と言う。「無人偵察機はいつだって頭上を飛び回っていて、子どもたちは、30人以上いたかな,一日中、外で遊んでいたんだから」
攻撃に対する怒りはベイルートで爆発し、国連事務所の建物は窓が割られ、ロビーには、増えるばかりの犠牲者に激怒するデモ隊が侵入した。建物の残骸から遺体が回収される模様はレバノンのテレビで大きく報道され、市内の広場は激怒した数千人の群衆で埋め尽くされた。同じように、ガザでは群衆がユネスコの建物にデモをかけたあと、パレスチナ警察と衝突した。
国境の向こう側、イスラエルでは、指導者が一般市民の死に対する悲しみを表明したが、軍は、ヒズボッラーがカナをロケット発射基地として使っていたので、カナが攻撃目標となったのだと発言した。「空爆の前にも、カナからの攻撃があった。我々は、その建物のなかに一般市民がいるということを知らなかった」と、イスラエル軍スポークスマンのひとりは言った。スポークスマンは、空襲の「数時間前に」カナからロケットが発射されたと付け加えた。
建物を破壊したのは、航空機から落とされた精密誘導弾で、先週、ヒアムの国連施設を破壊し,国連オブザーバー4人の命を奪ったのと同じ種類の爆弾だった。爆発を引き起こしたと思われる爆弾のオリーブグリーンの破片には,こう書かれている:GUIDED BOMB BSU 37/B (誘導弾 BSU 37/B)*3。
「人々が地下で何をやっていたのか、我々にはわかりません。人間の盾として使われていたか、皮肉にもヒズボッラーの宣伝目的に使われていた可能性はあります」と軍のスポークスマンは言う。「謝罪はします。一般市民の生命が失われることは、残念で仕方がありません」
2人の兵士が捕捉されたことをきっかけに始まったイスラエルの報復攻撃で750人以上のレバノン人が殺されたが,そのほとんどは一般市民だ。イスラエル人は合計51人が殺され、そのうち一般市民は18人だ。
カナでは、歴史が繰り返された。10年前、カナの国連施設に避難していた一般市民、100人以上がイスラエルの爆撃で殺された。
新たな惨事の現場では、次々と小さな遺体が掘り出されるのに耐えきれず,ひとりの男が泣き崩れている。民間防衛隊の救助者は、ちいさな遺体を抱きかかえてから、はでなオレンジ色の担架にやさしくそっと置いた。
「あれはアブ・ハシェムの息子だ」と、家の外に集まったの群衆のなかから、青年が言う。「アリとムハンマド、兄と弟だ」と、隣人が叫ぶ。
ティール病院のサルマン・ゼイナディーン博士は、犠牲者は、自分や同僚が経験した中でも最悪のものだと言う。死体置場として使われる冷蔵トラックの中には遺体が22体収容され、そのうち12人は子供だ。「さらに,少なくとも、20は予想されています。犠牲者の年齢は上が75歳まで様々です。犠牲者は粉砕されたのです」とゼイナディーン博士は言う。
外の庭には男子の遺体が5つ並んでいる。身元確認のため、軍の人間が写真を撮っている。
一番ちいさいアッバス・マフムード・ハシェムは頭を垂れ,右足を上げ、あおむけに寝かされている。おしゃぶりが首のまわりの青いプラスチックのチェーンからぶら下がり、顔と髪はコンクリートの粉塵にまみれていた。せいぜい、1歳半くらいだろう。
病院のベッドの上で生存者のひとり、13才のヌール・ハシェムはシーツをもてあそびながら、横になっていた。目は涙であふれている。彼女は、家族のほとんどが殺された建物の中にいたが,奇跡的に,軽い怪我だけで助かった。
「私は友だち、妹、いとこと一緒に、一つの部屋で眠っていました」とハシェムは声を震わせながら語る。「お母さんの瓦礫をはらってやると,お母さんは私を別な家に連れて行き,兄弟姉妹を探しに戻りました。でも、兄弟も姉妹も出てこなかったばかりか,お母さんも帰ってきませんでした」
[ 背景]
ティールの南東にあるカナは、昨日の空爆以前にも,レバノンの悲劇を象徴する小村だった。10年前、イスラエルは、おどろくほど類似した状況で、国連施設に砲撃を加え,100人以上の一般市民を殺害した。爆撃は、「怒りの葡萄(Grapes of Wrath)」と呼ばれた作戦の一 環で,(今と同じように)国境を越えて攻撃をしかけるヒズボッラーを懲らしめ,国境地帯から排除することが目的だった。
イスラエルは謝罪し、それが古い地図と計算間違いによる事故であったと釈明した。米国が後ろに控えるイスラエルは、一般市民を人間の盾として利用しているとして、ヒズボッラーなどに非難の矛先を向けた。しかし、国連の報告はイスラエルの言い分に多くの矛盾を指摘し、殺人が技術的なミスによることは「ありそうもない」と結論した。*4
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原文:
http://www.guardian.co.uk/israel/Story/0,,1833884,00.html
(cash)http://symy.jp/?L__qana
翻訳:リック・タナカ [http://www.the-commons.jp/rick]
[編集者註]
*1……「7月31日(月)「56の遺体が病院へ運び込まれた。34体は子供だった」」ashさん訳 http://heartland.geocities.jp/fisktranslation/textbn/310706.html より
*2……「銃撃戦ではなく、爆撃で8人殺される 病院も標的に ガザ」
(こちらも読まれることをお勧めします)
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200608041952.htm
*3……この弾は米国製のバンカーバスター弾だとトルコのZaman紙がガーディアンを引く形で報じている(ガーディアンの元記事はみつけられず)。
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200608030438.htm
*4……今回のカナの虐殺のフォトギャラリーへのリンク、および10年前のカナ虐殺での無人偵察機の役割などについて書いた文章
「カナ、再び……虐殺 ─テクノロジーによる殺りく」
http://0000000000.net/p-navi/info/column/200607312140.htm
*カナの事件については、「カナ:再びの虐殺」(ラフール・マハジャン、益岡賢訳)も参照のこと。
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/mahajan060731.html
☆イスラエル政府にたいして、声を届けてください。日本政府や米国政府にイスラエルの攻撃を止めるように伝えてください。
イスラエルには「Stop killing people!」の一言でも。
届け先は:http://palestine-heiwa.org/misc/kougi.html
(編集責任:ナブルス通信 ― http://www.onweb.to/palestine/siryo/otoros/contact.html)