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http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08f02.html
【回答】
重慶に対する「無差別」爆撃だとして,日本に抗議した.
「重慶駐在のアメリカ大使ネルソン T. ジョンソンは,1939年夏までに66回の空襲を体験していた」そうだ.
以下引用.
この抗議に対し,日本側は「攻撃は敵の軍事目標に限定されている」と回答.
憤慨したアメリカ政府は,1939年後半,報復措置として航空機関係製品の輸出を禁止.さらに,1940/1/26で期限の切れる通商航海条約を更新しないと発表する.
条約失効翌日,国務長官コーデル・ハルは,駐米日本大使に,日本軍によって爆撃された35以上の中国の都市の名と,一部には日時まで明記してあるリストを渡した.
このリストには,
「中国にある米国資産で,日本軍の爆撃によって損害を受け,しかも,その位置は事前に日本に日本当局側に通告され,米国国旗を掲げていたもの」
の事例,約200も引用されていた.
日本側が,「中国側の軍事機関や施設以外のものを爆撃した事はない」と否定するのに対し,ハル長官はこう述べた.
「公的機関から,あるいは私的な情報や新聞などから,中国にある日本軍が,全く軍事的機関や施設のない場所で,住民を爆撃して銃撃を加えた多数の事例についての詳細な報告が,我が国に来ている.
さらに,焼夷弾の使用は(必然的に戦闘員でない市民や,その財産に,無惨な損害を与えて)住民に大損害を与えてきた.
多くの場合,日本軍の航空攻撃は,武装していない住民達を恐怖に陥れようと意図しているとしか考えられない」
しかし日本軍は,重慶爆撃を続けたばかりでなく,1940/6/14には,日本政府は駐日アメリカ大使に対し,
「これらの攻撃を強化しようと意図している」事,
「中国内に残留しているアメリカ官憲あるいはアメリカ市民の受ける損害には責任を負えない」
と通告してきた.
(Carl Berger 「B29」,サンケイ新聞社出版局,1971/3/5, P.50-51,抜粋要約)
国際法的には重慶は防守都市ではなかったのか?とか,色々議論はあるが,まあ,満州事変の件で国際的信用が地に落ちていた日本(事変直後は,ドイツにおいてさえ最悪であったそうな)が,自説を強固に主張したいなら,とてつもない宣伝努力が必要だっただろうね…….