★阿修羅♪ > 戦争83 > 326.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: ネオコンのクラウトハマーがイスラエルの不甲斐ない戦いを激しく批判、「滅亡したくないならば独力でヒズボラを殲滅せよ」と脅迫 投稿者 愛国心を主張する者ほど売国奴 日時 2006 年 8 月 04 日 22:49:33)
http://home-9.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/post_9637.html
2005/09/08
イスラエル国家と「マサダコンプレックス」
「マサダコンプレックス」という言葉があるのを、今回のイスラエル旅行で、初めて知りました。イスラエル国民の精神を知る上で、ユダヤ教は欠かせないものでしょうが、私のような無神論者には、イマイチ理解できない。しかし、この「マサダコンプレックス」の説明を聞いた時に、ああそういうことなのかと、胸にストンと落ちました。
この言葉の由来は、死海の南西部にあるマサダ要塞にあります。紀元70年、ローマ軍によってエルサレムは陥落し、エルアザル・ベン・ヤイルに率いられた、967人の熱心党員がこの要塞に立てこもり、10倍以上の兵員のローマ軍の攻撃を凌いで、マサダで戦いつづけました。
しかし西暦73年、最後は砦が攻め落とされることが確実となって、自分や自分の家族が奴隷としてローマに連れて行かれるよりは、集団自決を選びます。その方法も、家長はその家族を殺し、そして10人のグループをつくり、1人が9人を殺し、又、10人グループのうち1人が9人を殺し、最後の一人は自害するという凄惨なものでした。
この内、7人だけが逃げ延びてローマ軍に捕えられ、彼らから聞いた話を、その後ユダヤ人の歴史家ヨセフス・フラビウスが、「ユダヤ戦記」に記述しました。ところが、このヨセフスがローマに寝返った人物であったため、ユダヤ人の間では、この史実が全く無視され続けたのです。
近年のイスラエル建国以後に見直され、遺跡の発掘によって、ヨセフスの記録が正確なものである事が、分かりました。イスラエル政府が、自らの政策遂行に、この史実を積極的に活用したと、考えるべきでしょう。
現在マサダでは、イスラエル軍の入隊式が行われるそうです。「マサダは、再び陥落させることはない」と、誓うわけです。イスラエルの人々は、再び国を失い、 離散させられるぐらいなら、死ぬまで進んで戦おうという精神を保持しています。更にこの事から、敵の攻撃に任せていては、結局マサダの悲劇をまた繰り返す。もし攻撃される恐れがあるならば、先に相手を倒すことでしか、身を守ることが出来ない、という理論に帰結してゆきます。
つまり、先制攻撃論ですね。
1981年、イスラエルはイラクに対して、イスラエル攻撃用の核兵器をつくっているとし、バグダッド付近の工場を爆破しました。
翌年12月には、シリアのゴラン高原を占領、併合しました。
2004年3月、イスラエル軍がハマス創設以来の指導者アハメド・ヤシン師を、武装ヘリコプターからのミサイル攻撃によって暗殺し、さらに4月には、ヤシン師のあとをついだハマスの新指導者、アブドルアジズ・ランティシ師をも、同様の攻撃で暗殺したのは、未だ記憶に新しいところです。
これらの軍事行動の背景に、私は「マサダコンプレックス」があると思います。
しかし、個人の問題に置き換えて考えてみれば、自分を殺そうとする人間がいたら、先に殺してもよいのか。犯罪を起こす可能性が高い人間は、予め捕まえて刑務所に入れておけば、安心なのか。
やはり社会的なルール違反と、いわざるを得ません。
こうしたイスラエルという国の行動原理と、大国、特にアメリカの思惑が絡んで、中東問題を深刻化させていると考えます。