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□北ベトナムへの核攻撃を1969年に検討、米ニクソン元大統領=公開公文書 [ライブドア・ニュース]
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北ベトナムへの核攻撃を1969年に検討、米ニクソン元大統領=公開公文書
【ライブドア・ニュース 08月01日】− AP通信によると、米国のリチャード・ニクソン元大統領(故人)が、1969年に当時、南ベトナム(ベトナム共和国)と分裂していた北ベトナム(ベトナム民主共和国)に対し、核兵器の使用を検討していたことがこのほど分かった。これはジョージワシントン大学の研究グループが、米国家安全保障公文書館によって開示された政府高官メモの2種の資料を基に、状況を分析した結果導かれたもの。
ニクソン大統領と国家安全保障を担当していたヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官(後に国務長官)は、北ベトナムに対し核の脅威を利用した外交戦略の方針を1969年の半ばころまでに固めていたという。暗号名を「ダック・フック」とする有事の軍事計画を策定するためキッシンジャー補佐官は国家安全保障会議内に計画内容を評価する委員会を設置。秘密計画の立案には国防総省の統合参謀本部と南ベトナム駐留米軍が参加した。
公開された資料の1つは、キッシンジャー補佐官の部下だったロジャー・モリス氏とアンソニー・レイク氏からレンブラント・ロビンソン海軍大佐へ提出された1969年9月29日付のメモ。ロビンソン大佐は、統合参謀本部が北ベトナム攻撃計画を国家安全保障会議に説明する書類の作成担当者で、ダック・フックでも中心的な役割を担ったとされている。
このメモのなかでモリス氏とレイク氏はロビンソン大佐の計画に満足せず、「大統領が実行を決断するように(ダック・フック)計画が持つ意味を十分かつ明瞭に提示する」ために見直しを迫ったという。両氏は計画の中では、大統領がどの程度の軍事行動をとるかという重要な問題についてあらかじめ決断しておく必要があると考えていたが、ロビソン大佐は作戦実行中に戦術核を使用する問題などへは言及していなかった。
キッシンジャー補佐官がニクソン大統領に宛てた1969年10月2日付のメモが第2の資料で、ダック・フック策定の進行状況を伝えている。ここでは、計画の基本的な目標が、北ベトナム政府を「一連の軍事的な打撃を通じて和解案の受け入れに追い込む」と指摘されている。軍事的な打撃については、「国や政権の全面的な破壊」には至らないほどでも「北ベトナム社会に受け入れがたい損害」以上の効果が必要としていた。
これに対しニクソン大統領はほどなく、計画の実施をあきらめた。メルビン・ライアード国防長官とウィリアム・ロジャー国務長官が計画に反対したことや、計画で必要とされていた国民の支持が3カ月から6カ月程度の間持続するか大統領自身が疑問を持ち始めたためという。大統領は結局、軍事的な脅しが北ベトナムには効果がないと判断した。
米軍のベトナム撤退は1969年から徐々に始まったが、第1次ニクソン政権の下では完了しなかった。1972年に再選を果たしたニクソン大統領は翌年に戦争終結のため北ベトナムとパリ和平協定を結んだが、その後も戦闘は継続。1975年になって北ベトナムは南ベトナムを攻め落とし、ようやく戦争が終結した。【了】
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ライブドア・ニュース 戸塚雅美記者/NK (参照:http://blog.livedoor.jp/emasutani/)
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2006年08月01日18時50分