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ガザで取材中 照準はわれわれに―「東京新聞」特報
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投稿者 天木ファン 日時 2006 年 7 月 25 日 15:07:23: 2nLReFHhGZ7P6
 

ガザで取材中 照準はわれわれに

 イスラエルによるレバノン攻撃が拡大する中、イスラエル南部のパレスチナ自治区ガザでもイスラム原理主義組織ハマスなどによるイスラエル軍兵士拉致をきっかけに市民を巻き添えにした攻撃が展開されている。現地で取材中のジャーナリスト大月啓介さん(32)は市街地で銃撃され助手とともに負傷した。普通の人々の中で起きている“戦争”の今をお伝えする。

 今月十六日、私は人口約三万二千人のガザ北部の町ベイトハヌーンで、サマーハという少女の家族を訪ねていた。サマーハは中学一年生の十二歳。二年前にイスラエル軍がこの町へ“侵攻”した際に狙撃兵に頭部を撃たれ、脳を損傷し瀕死(ひんし)の重傷を負った。しかし彼女は驚くべき回復力で今では歩くことも、少し複雑な会話もできるようになっていた。

 私たちは再会をよろこび合ったが、この日、街は再びイスラエル軍の侵攻にさらされていた。上空からは無人攻撃機が、街の中心部では戦車と軍用ブルドーザーが住民ににらみをきかせている。私と助手のパレスチナ人アブハリール(32)は侵攻の状況を取材しようと彼女らの家を後にし、二キロ北東の戦車が展開する地域へ向かった。

 私たちは慎重に身を隠しつつ、三階建ての民家の屋上からイスラエル軍の視界にさらされないよう撮影を始めた。しかし、周囲の状況から判断して、すぐにこれ以上は危険だと感じ、撤退することにした。

■助手に威嚇攻撃自分も腕を負傷

 一階へ下り、玄関外の壁の陰で、どのように身を隠しつつここを離れるかと考えた、その時だった。「パーン」という銃声が響くと同時に、右手にチリリと痛みが走った。とっさに家の中に身を隠したがアブハリールが、「足が! 足が!」と叫んだ。見ると、彼の左足から大量の血が流れている。一体、どこから撃たれたのか。

 「どこか」に身を潜めた狙撃兵がわれわれに照準を合わせているかと思うと背筋が寒くなった。優秀なイスラエル軍のスナイパーがわれわれのような静止していた標的を撃ち損じることはまずない。そしてわれわれが明らかに東洋人のジャーナリストとその助手だということはスコープを通して確認しているはずだ。彼らはジャーナリストへの威嚇としてアブハリールを狙い撃ったのだ。

 私は撃たれた助手のひざを縛り、一刻も早く彼を病院へと運ばなくてはいけなかった。しかし、ベイトハヌーンでは救急車も攻撃の対象になっていた。

 「外国人ジャーナリストが、白旗を掲げて負傷者を運ぶ」という常識的には攻撃の対象とはなり得ない方法でも、ここではあまりにリスクが高すぎる。実際、かつてガザで白旗を掲げていた英BBC放送のイギリス人カメラマンが、狙撃により命を落としている。

 私と居合わせた住民で負傷したアブハリールをかつぎ、身を隠しながら密集した家々を伝い、壁をよじ登り、フェンスをこじあけ、彼を救急車に乗せられる安全な場所までたどりついた。周囲の民家の住人に手を貸すよう求めたが、彼らも狙撃を恐れてか家の外に出ることはなかった。

 ベイトハヌーン内の病院にたどりつき医者の「命に別条はない」という言葉を聞くと、一気に力が抜け、私は自分の腕の痛みと出血に気がついた。小さな傷口に似合わぬ量の出血だった。アブハリールに当たった銃弾の破片によるものだ。

 そこに新たな救急車が到着した。犠牲者を乗せた二つの担架が、狂ったように泣き叫ぶ人々とともに運ばれてきた。体を覆っているシーツが一瞬めくられると、そこには、原形をとどめた「胴体」と呼べるようなものがなかった。われわれが狙われた地域からそう遠くない場所での、戦車の砲弾による犠牲だった。

 “軍事侵攻”を受けるというのはこういうことだ。いつ何時、どこから銃弾が、砲弾が、ミサイルが飛んできて、命を奪われるか分からない。ただ、それが自分の身に降りかからないよう祈るだけであるということを、これほどまでに思い知ったことはなかった。

 この街は、二年前の大規模な侵攻の際にも多くの犠牲者を出している。その後、昨年八月、ガザからの撤退後、命を狙われないという意味での最低限の「自由」を得たのもつかの間、再びイスラエル軍の戦車の、戦闘機の、スナイパーの標的となっている。

 同じ日、イスラエル軍はこの街でアラブ系テレビ局アルジャジーラのクルーも襲った。危険を察知したスタッフが撮影現場を離れたその直後、イスラエル軍の戦車から、クルーが撮影していた民家が砲撃を受けた。とっさの機転で彼らは九死に一生を得た。

 十七日、同じ街でパレスチナの通信社ラマタンのオフィスがイスラエル軍により占拠され、スタッフとその家族が拘束された。取材車は破壊され、スタッフの家族は人間の盾として使われた。

 メディアはイスラエル軍の対応に危機感を強めている。ラマタンのスタッフはこう語る。「イスラエル軍は一般市民の犠牲を隠すためメディアに対して攻撃を仕掛けている。ゲームのルールが変わったのだ。新しいルールの下で、何が起こるかはわれわれには予想できない」

■「安全な暮らし子供たちに…」

 十八日、イスラエル軍が街から後退すると、サマーハの家族を再び訪ねた。戦車も兵士も見えないが、時折、迫撃砲と無人攻撃機からのミサイルが撃ち込まれ、爆音を響かせる。人々は「この程度は何でもない」と侵攻で命を落とした人々の葬儀を行った。サマーハの父親は言った。「どうせすぐにイスラエル軍は戻ってくるだろう。できる時に葬儀をしなくてはな」

 サマーハの母は語った。

 「ほしいのは、子供たちが身の危険を感ぜずに生きていける当たり前の暮らしです。パレスチナ人がそれを望むのは、ぜいたくなんですか?」

 外国人の私は、今回のことに懲りればガザを離れればいいだけのことだ。しかし彼らには、逃げる場所はない。彼女の言葉をどう受け止めればいいのか。「あなたたちの子供が大切で、私たちの子供が大切ではないと言うんですか? 私たちにとっても、子供は大切なんですよ」

■ガザ全体の犠牲3週間で120人に

 三日間の侵攻で、小さなこのベイトハヌーンで十四人が命を奪われた。ガザ全体では、約三週間で約百二十人が犠牲になっている。

 二十四日もイスラエル軍のアパッチヘリがガザ市の住宅にミサイルを撃ち込んだ。これが、イスラエルの歴史的な偉業、和平への偉大な一歩と喧伝(けんでん)された「ガザからの撤退」からわずか一年後の現実だ。

◆ジャーナリスト・大月啓介氏

 おおつき・けいすけ 東京都中野区出身。早稲田大学商学部卒業。テレビ番組制作会社日本電波ニュース社に入社しアフガニスタン、パキスタンの紛争地域、インドネシア・スマトラ島の震災地域などを取材。現在、中東を拠点に活動する。

<デスクメモ> 大月さんとスマトラ島沖地震の取材の際、バンダアチェで出会い、車のチャーターや仮設宿で助け合った。地元の人々にふっととけ込み、鋭い映像を切り取る自然体の災害・紛争ジャーナリストだ。ガザでも徹底して市民の目線からイスラエル軍の動きを追っている。いつか帰ってきたら酒を酌み交わしたい。(蒲)


http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060725/mng_____tokuho__000.shtml

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