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2006.07.22
http://0000000000.net/p-navi/info/column/200607220730.htm
英米の軍艦がレバノンから自国民を退避させている映像を見た。それまでの数日間がいかに恐怖に満ちていたかを英国女性がうわずった声で語り、桟橋のほうへ歩いていった。
私の頭には映画『ホテル・ルワンダ』で、ルワンダの孤児たちが孤児院の修道女と共にホテルに逃げてくるが、内戦の地から逃げるためのバスには西洋人の修道女だけしか乗せてもらえなかったシーンが浮かんでいた。
去っていくバスをただじっと見つめる子どもたち。
その姿を思い出し、レバノンの人々のことを思う。爆撃されている街から逃げ出せても、レバノンから離れることはかなわない人々。国として自国民を退避させるということは、その地はこれからどうなるかわからないほど危険だと宣言しているのと同じことだ。残された人々は、ただ運頼みで、恐怖の中に取り残される。
レバノン首相も懇願し、アナン国連事務総長も停戦を呼びかけたが、米国は「時期尚早だ」とそれを一蹴した。
人がどんどん殺され、街が破壊されていくのに、何が時期尚早?
米国政府にとっては、ヒッズボラー(ヒズボラ)を弱体化させるには時期尚早ということらしい。つまり、イスラエルにとっての時期尚早を代弁しているだけ。
レバノンの人々はこれをどんな気持ちで聞いただろう?もうすでに爆弾が雨のように降っている場所で、こんな言葉を聴かされるとは……。
レバノン人の犠牲者は300人を超え、イスラエル側も兵士を含めて30人ほどの犠牲者が出ている。(「ヒッズボラーが攻撃をしかける」「自衛の権利はある」とイスラエルは言うものの、イスラエルからのレバノン攻撃が始まってから、イスラエル側の犠牲者も出ていることを忘れないでいたい)。結局はレバノン人もイスラエル人も、その命は「作戦」より価値がないということだ。
ドキュメンタリー映画『ルート181』では、82年のレバノン侵攻で息子が戦死したイスラエルの女性が
「息子の命は将軍たちのおもちゃじゃないのよ」
と20年過ぎた今なお、涙ぐみながら語っていた。
(1982年のレバノン侵攻で、イスラエル人は学んだはずなのに、もう忘れてしまったのだろうか。武力の優勢さだけでは、解決がほとんどつかないことを。その間に犠牲者だけが増えていくことを)
イスラエルは地上戦の拡大をはかろうと、レバノン南部に大部隊を集結させているという。もっともっと血が流れるのが誰にでもわかる。
それを止められない国際社会。軍艦で自国民だけを引き上げていく国々。イタリアのダレーマ外相のようにこの攻撃を
「レバノンの政治的危機を作り出し、イスラエルの治安を強化することにはならない」(18日)
と非難する声がもっと上がらないといけない。残された人々を守ることを考えていかないといけない。
土曜(今日)にはテルアビブでイスラエルの平和団体が、反戦のデモを行う。
「今が戦争犯罪と民間人の故意の殺害に向かい合うときだ。今が銃を黙らせ、話し合いを始めるときだ。軍事的な解決方法はない。」
(グッシュ・シャロームの21日付メールより)
これはイスラエルの中では小さな声でしかないが、その声をもっと世界中に響かせていかないと、惨禍はさらに広がっていく。
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報道は人間の身の上に起こっていることを伝えていくことで、流血を止める手段にもなるはずだが、ここ日本ではまだこのことが遠い世界のことのような扱いを受けている。この注目の薄さには愕然。(まして、ガザのことは忘れられている……)
[個人的に怖く思っているのは、カリスマ性のないオルメルト・イスラエル首相、軍歴がほとんどないペレツ国防相らが、82年のシャロンのイメージを追って、「強いイスラエル」を誇示することだけに夢中になり、実際には深く考えていないことだ。お仲間のブッシュJr.も同じなだけに、ないとは言えない……]