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2006年7月18日発行
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JMM [Japan Mail Media] No.384 Extra-Edition
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http://ryumurakami.jmm.co.jp/
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▼INDEX▼
■ 『レバノン:揺れるモザイク社会』 第21回
「イスラエル、二正面作戦に踏み切る」
■ 安武塔馬 :ジャーナリスト、レバノン在住
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■ 『レバノン:揺れるモザイク社会』 第21回
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「イスラエル、二正面作戦に踏み切る」
「確かな約束」作戦発動
イスラエル軍がガザに猛攻を加える最中の7月12日。
今度はイスラエルの北部国境で火の手があがった。国境付近のツアリートの軍施設
にヒズボッラーのゲリラが潜入し、巡回中の装甲車両を破壊した。そして兵士二名を
拘束するとミサイル砲の猛烈な援護射撃に守られて、レバノン領内に引き返した。こ
こまではガザでパレスチナ・ゲリラが敢行した捕虜捕獲作戦の忠実な再現である。
ガザのケースと違うのはこの後の展開だ。兵士を奪還すべくゲリラの後を追いレバ
ノン領内に入り込んだイスラエル軍戦車は地雷に触れて大破。この日戦死した兵士は
計8名に及んだ。人口の少ないイスラエルにとって、これは大損害である。
ヒズボッラーは、かねてから公言していたイスラエル兵捕獲作戦(コード名「確か
な約束」作戦)を、こうやって華々しく成功させた。
逆にイスラエル軍にとっては大きな失点となった。情報機関はヒズボッラーが国境
でイスラエル兵士拉致作戦をやるという情報を掴み、たびたび警告を発していた。に
も関わらず、ゲリラに完全な不意打ちをくらい、みすみす兵士をさらわれてしまった
のである。しかも、二週間前にガザでもほとんど同じ手口でやられているのに。
果たされなかった約束
今回の兵士拉致劇の発端は2000年5月のイスラエル軍のレバノン撤退に遡る。
当時のエフド・バラク政権が1978年以来の南部レバノン占領に終止符を打った
理由はふたつあった。ひとつは泥沼化したヒズボッラーとの闘争を何とか終わらせよ
という国内世論が高まったためだ。もうひとつは、イスラエル軍が撤退してしまえば
ヒズボッラーは武装闘争継続の口実を失い、レバノン内外の世論に屈して武装解除を
強いられるという読みである。
しかしヒズボッラーの軍事力は、イスラエルと対峙するシリアやイランにとっては
貴重な戦略資産だ。そう簡単に武装解除させるわけにはいかない。
そこでヒズボッラーが持ち出した武装闘争継続の理屈がふたつあった。ひとつはシ
リアとの境界が不明確なシェバア農地はレバノン領である、イスラエル軍はまだレバ
ノン領土を占領しているという主張だ。そしてもうひとつはレバノン人やパレスチナ
人のゲリラ、政治活動家が数千人単位でイスラエルの獄中につながれている事実であ
る。「イスラエルには力の論理以外は通じない。政治犯釈放を勝ち取るには、イスラ
エル人を捕虜にして、交換交渉を行う以外にない」と言う論理だ。
2000年7月にヒズボッラーは早速この論理を実践に移した。シェバア農地近く
でイスラエル軍のパトロール車を襲い兵士3名を拘束したのである。その上で、ドイ
ツを仲介に粘り強い交渉を続け、2004年1月にレバノン人政治犯23名とパレス
チナ人400名の解放を勝ち取った。なお、交渉が妥結して初めて、この3人の兵士
は拉致作戦の際にほぼ即死していたことが判明した。ヒズボッラーは4年近くにわた
って捕虜の生死さえひた隠しにして、交渉を成功させたのだ。子弟の安否に関する情
報を一切得られなかった家族には同情するが、ヒズボッラー側の交渉術は見事であっ
た。
しかしこの時の合意は、ヒズボッラー側にとっても100%満足の行くものではな
かった。サミール・カンタールなど政治犯数名の解放にイスラエルが最後まで応じな
かったからである。「レバノン人政治犯については全員を解放させる」というナスラ
ッラー議長の約束は果たされなかった。この後も捕虜交換交渉は続いたが、ナスラッ
ラーはことあるごとに「交渉でらちが明かないのであれば、新たにイスラエル兵を捕
虜とし、イスラエルに捕虜交換を強いる」と公言してきた。捕虜を奪還するという約
束が「確かな約束」になるには、早晩新たな軍事行動が必要だった。
ヒズボッラーの計算
では何故、ヒズボッラーは7月12日に「確かな約束」作戦を敢行したのか? ナ
スラッラーは「作戦発動は前から決まっていた。イスラエル軍のガザ攻撃とは関係な
い」と言う。しかしこれを真に受ける人は少ないだろう。
盟友のパレスチナ・ゲリラが、イスラエル軍の猛烈な攻撃にも関わらず、捕虜を引
き渡さず頑張る状況をみて、側面支援したのかもしれない。闇雲に力に訴えるだけ
で、捕虜解放という基本目標を達成出来ないイスラエルに、一層の揺さぶりをかける
つもりだったかもしれない。もっとうがった見方をするなら、そもそもガザでの捕虜
獲得作戦にもヒズボッラーが関わっており、当初からガザとレバノンの両戦線でオル
メルト政権を窮地に追い込む計画だったのかもしれない。真相はわからない。
しかしおそらく作戦実施の決定は、「従来のゲームのルール内におさまる」という
状況判断から発していた。ヒズボッラーが2000年に兵士3人を拉致したときも、
あるいはシェバア農地に砲撃を加えた時にも、イスラエルの報復は数日間の局所的な
爆撃に留まり、地上軍の侵攻はなかった。もう二度とレバノンの泥沼に足を踏み入れ
たくないという世論はイスラエルに根強い。ヒズボッラーが保有する膨大な数のミサ
イルも怖い。イスラエルとヒズボッラーの間には、2000年5月以降、「恐怖の均
衡」とも言うべき抑止力が確かに存在した。今回もイスラエルが一線を超えることは
しないだろう…ナスラッラーの頭には、そんな読みがあったのではないか。
イスラエルの報復
しかしこの読みは外れた。「確かな約束」作戦が敢行された直後から、イスラエル
は戦車部隊を一部レバノン領に侵攻させるとともに、レバノン全土に猛烈な爆撃を加
え始めた。
オルメルト・イスラエル首相は来訪した小泉首相が自制を求めても取り合わず、
「これは単なるテロ攻撃ではない。主権国家による戦争行為というべきだ」と、レバ
ノン政府全体の責任を追及。ガザで兵士拉致への報復として、パレスチナ自治政府と
ガザのインフラ全体を標的にしたように、レバノンでも各地の道路や橋梁、発電所さ
らには空港、港湾までも破壊し、陸海空でレバノンを封鎖下に置いた。
空前の観光ブームを迎えていたレバノン国内はパニックに陥った。避暑に来ていた
サウジなど湾岸諸国の観光客は、13日に大挙して陸続きのシリアへ脱出。しかし間
もなくシリア領に通じる道路も爆撃で通行不能になり、16日現在、フランスや米国
は自国民を海路キプロス経由で脱出させようとしている。
逃げ場のないレバノン人の場合は悲惨だ。15日には南部のマルワヒーン村からテ
ィール市に向かって脱出を図る村人たちのバスが爆撃を受け、23名が殺された。
「開戦」後のわずか4日間で、レバノン側の死者は100名を超した。そのほとんど
が非武装の民間人である。もはや虐殺というべきであろう。
イスラエルの攻撃の重点対象は、シーア派集住地域である南部やベカー高原、そし
てダーヒヤ(ベイルート南郊外)。特に、関連施設が集中し、ヒズボッラーの心臓部
とも言えるダーヒヤは集中的な爆撃を受け、ナスラッラー議長の執務室やシューラ委
員会(ヒズボッラーの最高意思決定機関)事務所も破壊された。
一方のヒズボッラーは、連日100発近いカチューシャ・ロケットをイスラエル領
内に撃ち込んでいる。その一部はハイファ市やタイベリアス市など、国境からかなり
離れた重要都市にも着弾した。またベイルートを砲撃した戦艦を炎上させ4名を殺害
するなど戦果も挙げた。16日にはナスラッラー議長みずからテレビ演説を行い、
「戦いはまだ始まったばかりだ。ヒズボッラーの戦闘能力は無傷で残っている」と徹
底抗戦を呼びかけている。
見えない危機収拾のシナリオ
ヒズボッラーの読みが外れたのは、イスラエル政治における軍の影響力増大を見落
としたからだ。イスラエル軍の中には、「怒りの葡萄」作戦以来、ヒズボッラーに対
する政府の弱腰な姿勢への反発が脈々と根付いていた。
「怒りの葡萄」作戦とは、ヒズボッラーのカチューシャ・ロケット攻撃を根絶する名
目でイスラエルが1996年に行ったレバノン南部大空襲を指す。空襲に怯まず、ゲ
リラは神出鬼没してカチューシャ・ロケットの雨をイスラエル領内に降らせ続け、イ
スラエルの世論は作戦の効果に疑問を持ち始めた。そんな中、カナ村で国連の避難シ
ェルターが誤爆され、民間人100名近くが殺される悲劇が起きる。イスラエル政府
は国内外の圧力に屈して、双方の民間人を標的にしないという「4月合意」を受け入
れ、ようやく停戦にこぎつけた。合意によってイスラエルは「テロ組織」ヒズボッラ
ーを事実上、交渉のパートナーとして認知させられたわけだ。
この後2000年にイスラエル軍撤退、2004年には捕虜交換が実現する。いず
れのケースでも軍内部では強い反対があった。しかし2000年の首相はバラク、2
004年はシャロン、いずれもイスラエル軍の英雄だから、軍の不満を抑えることが
出来た。
今は違う。首相のオルメルトも、国防相のペレツも文民であり、軍出身ではない。
少々の犠牲を払ってもハマースやヒズボッラーを徹底的に潰してしまいたい軍にとっ
ては、願ってもない好機なのだ。それに、ガザとレバノンで相次いで兵士を拉致され
た失点も挽回せねばならない。
ヒズボッラーとしては、多くの犠牲を払って確保したイスラエル兵捕虜を、何の見
返りもなく解放するわけにはいかない。ここでイスラエルの軍事圧力に屈して、捕虜
交換を達成せずにイスラエル兵を解放することは無条件降伏に等しい。
一方のイスラエルにとっては、ミサイル攻撃停止と並んで、捕虜解放は停戦の最低
条件だ。「テロリスト」との交渉には一切応じない、という原則をここで折り曲げて
は、ガザ危機勃発以来の政策の誤りを認めるようなものだ。
つまり、ヒズボッラー、イスラエル双方ともに、捕虜の問題に関してはまったく妥
協や譲歩の余地が無いのである。この状況では、仲介者が誰であっても、停戦交渉を
まとめるのは至難の業だ。
1996年のレバノンには、故ラフィーク・ハリーリ首相という類稀な世界的コネ
クションを持つ人物が居た。ハリーリがサウジ王室やシラク・フランス大統領との太
いパイプを総動員し、米国のクリントン政権をも動かして、停戦を成立させた。
10年後の今、ハリーリ首相はもう居ない。そして1996年には無かった捕虜問
題が加わり、状況を複雑にしている。当面、危機打開のシナリオは見えない。
鍵を握るシリア
ヒズボッラーはイスラエルの反応を読み誤ったかもしれないが、イスラエル側にも
読み違いはある。射程の長いミサイルなど新兵器をヒズボッラーが次々と繰り出し、
ハイファのような重要都市までが攻撃にさらされることは、イスラエル軍にとっても
想定外だったであろう。5日間の徹底的な空爆にも関わらず、捕虜解放は実現しない
しミサイル攻撃も止まない。小規模とは言え国内での反戦運動も始まっている。こん
な展開を、イスラエル軍は予測出来ていたかどうか。
ナスラッラーはテレビ演説で「戦いは始まったばかりだ」と言うが、その通りであ
ろう。消耗戦、持久戦こそゲリラ戦の真骨頂。長引けば長引くほど、イスラエルにと
って状況は不利になる。
今後の展開を予測する上で鍵になるのは、シリアだ。これまでのところ、イスラエ
ルはシリアへの直接攻撃は控え、攻撃対象をレバノン国内に限定している。だがイス
ラエルがハマースやヒズボッラーの「黒幕」としてシリアを標的に加えた場合、「イ
スラエルは想像を超える高い犠牲を払う」とイラン首脳は公言している。シリアの
「中立」が続くか、それともイスラエルが三正面作戦に踏み切るか。もしイスラエル
が後者を選んだ場合、紛争は一気に第五次中東戦争へと発展しかねない。
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安武塔馬(やすたけとうま)
レバノン在住。日本NGOのパレスチナ現地駐在員、テルアビブとベイルートで日本
大使館専門調査員を歴任。現在は中東情報ウェブサイト「ベイルート通信」編集人と
してレバノン、パレスチナ情勢を中心に日本語で情報を発信。
<http://www.geocities.jp/beirutreport/> 著作に『間近で見たオスロ合意』『アラ
ファトのパレスチナ』(上記ウェブサイトで公開中)がある。
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JMM [Japan Mail Media] No.384 Extra-Edition
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【発行】 有限会社 村上龍事務所
【編集】 村上龍
【発行部数】128,653部(2005年8月1日現在)
【WEB】 <http://ryumurakami.jmm.co.jp/>
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