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以下引用
受話器を置いたとき、友人であるアリと生きて再会できるだろうかと不安がよぎった。3年間タイムズの通訳をつとめたアリは西バグダッドに住んでいるが、その辺りはスンニ派の反政府勢力とシーア派民兵とのあいだで激しい内戦になって今や崩壊のさなかにある。まったく統制がきかないのだ。
私は数ヶ月の不在のあと10日にバグダッドへ戻った。二晩は電話で、不在期間のことを聞き、死に直面しておびえるイラク人スタッフが私にバグダッドは今にも崩壊するのだと説得するのだった。
アリは11日夜、午後10時30分頃に電話してきた。武装した男たちを満載した車が、彼のすむ住宅地を走りまわっているという。彼と隣人たちは必死になって情報交換し、その武装集団の身元を確かめようとしていた。
アリはすぐにシーア派だと判る名前を持っている。だが彼の義兄弟は間違えようのないスンニ派の名前を持つ。そこで2人は、もし武装集団がシーア派だと判れば、アリが玄関で応対することで意見の一致をみた。もし彼らがスンニ派だったら、義兄弟の方が対応する。
返答がないときには、屋根の犬小屋に隠れることにした。
彼らのもう一つの作戦は単純なものだ。つまり、10人の兄弟がいる隣人宅まで50ヤードを一目散に走る。慈悲もない現在の状況下では、すべてのイラク人家庭に自営用の銃が備えてある。彼らはともに武装集団を撃退するだろう。それは無名のアラモ砦の1つであり、暗くなったイラクの通りで夜ごと戦っている。
「私たちの宿命がどんなものか待ってみなければならない」とアリは言った。爆弾と戦闘、誘拐にみちた3年のあいだに、このがっしりした筋肉質の若者が怖がって話すのを初めて聞いたが、私には何の援助もできなかった。
前日の夜には、運転手と同じような会話をした。彼はシーア派で西バグダッドの別の地域に住んでいる。午後11時に電話してきて、家の外で戦闘が発生し、家族は窓のない浴室に非難していると言った。
その地域でスンニ派住民を捜して車を走らせていたマフディ軍が、近くの戦略的な陣地を奪いあってスンニ派のムジャヒディンと戦闘になったのだ。電話越しに銃声が聞こえてきた。
私たちはおの地域のイラク人治安部隊を指導している米軍の教官に電話した。だが彼は、なすべきことは何もない、と言った。「夜になると、いつも銃撃はあるんだ。(いちいち対応するのは)幽霊を追いかけるようなもんだ」。
事実、米軍は総じてイラク人治安部隊からの支援要請にしか応対しない。米軍の多くは、シーア派の暗殺チームに目をつむるのは良い方で、悪くすると、彼らは連中と共謀しており、したがってアメリカ軍に助けを求めるのはいわば最後の手段なのだ。
西バグダッドでは爆弾騒ぎや殺人は珍しいことではないが、ここ数日のあいだに、民族浄化騒ぎのなかで、すべてのレストランが消滅してしまった。
シーア派の武装集団は少数だがかつて優勢だったスンニ派を追い払おうとしており、そしてスンニ派には報復する力がある。モスクまでが攻撃を受けている。何十人もの一般市民が殺され、その遺体は路上に放置されている。
スンニ派もシーア派も何百人もが自分たちの家を捨てつつある。私の運転手は、今では隣人がすべて避難し、彼らの捨てられた家は銃弾であばた状になったままカギを掛けられた。近所のモスクには、スンニ派とシーア派の落書きが競うように壁に書かれている。
西バグダッドにおける紛争地域のへりにあるヤルムーク病院の古参看護士は、やりきれないと言った。「11日には1日で35の遺体を受け入れ、アル・フラト地区だけでも16体あった。その全員が処刑スタイルで殺されていた」と彼は説明した。「街はもう終わりなんだと思ったりした。彼らがいつ病院を襲撃するか判らないので、私もいったんは荷物をまとめ、立ち去る準備をしたよ」。
(つづく)
引用ここまで URL http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/2006_Baghdad_starts_to_collappse.html