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http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_59bc.html から転載。
2006.07.15
フーダとアベール
Hoda and Abeer ― エジプトのアル・アフラム誌に掲載されたHassan Nafaaさん(カイロ大学政治学教授)のコラム。ガザの海岸でイスラエル軍に家族を目の前で射殺された12歳のフーダ・ガリアさん(ナブルス通信の記事)、バグダッドの南30キロのマフムディヤで仲間を殺されたアメリカ兵5人に復讐として強姦され殺害された14歳のアベール・カッサム・ハムザさん(事件が起こったのは今年の3月。今月になって明るみに出た)の例をあげ、これらが逸脱的なのではなく、イスラエルとアメリカが組織的に恐怖を通じて占領地の住民に支配の現実を受け入れさせようとしていることの結果なのだと論じている。執拗に続く抵抗運動に対して社会全体に責任を負わせて罰したり、パレスチナ人やイラク人を人間としてでなく障害物として見る姿勢にもナファーさんは異議を唱えている。しかし、それらの異議はイスラエルとアメリカだけに向けられるべきではなく、アメリカの政策を表だって批判しないアラブ諸国の政府にも責任の一端があるというのがナファーさんの意見だ。
イラクの占領の中で女性が以前よりも強く暴力の標的とされてきていることについては、Ruth RosenさんもMother Jones誌のサイトの最近の記事で取り上げている。
これらの著者が意図する事柄ではないけれど、私は以下のようなことを考えた。
湾岸戦争以来、戦争がハイテク化して軍事的な標的だけを正確に攻撃するような「きれいな戦争」になりました、みたいな宣伝が繰り返し行なわれてきたが、それは嘘っぱちであること。今どきの戦争も、昔の戦争と全く変わらず、戦争を望んだわけではない多くの人々を巻き込むのだ。
この六十数年間で、人間の道徳は全く向上しなかった。二十世紀前半に(日本だけを取り立てて悪し様に言うつもりはないが、一番身近な例としてあげれば)日本が近隣の国々を侵略し、その人々に対して行なった略奪や蹂躙や殺戮と同じことは、今どきの戦争でも行なわれている。
個人の憎悪や欲望を調整するシステムとしての「国家」は、その役割が最も期待される戦時に、全く役に立たない。自爆テロなり誘拐なりの加害者本人に対して向けられた憎しみは、国家(や、その軍隊)というプロセスに組み込まれると、より客観的で妥当な価値観によって、より建設的なベクトルに変換されないばかりか、むしろ、加害者の属する社会と被害者の属する社会の間の問題として肥大化してしまい、それは更なる暴力を生み出す悪循環を形成する。
この最後の点は、体制を問わず、国家への従順さを養おうとする教育目標の危うさを私たちに意識化せずにはおかないように思う。