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07/28/2006
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2006/07/post_0105.html
"The taking of a life does no one honor."
―『燃えよ!カンフー』(パイロット版)source ⇒ http://www.kungfu-guide.com/pilot.html
イラク従軍を拒否したことで話題になったハワイ出身の日系アメリカ人将校、アーレン・K・ワタダ米陸軍中尉に関するタイムズ紙の最新報道(http://www.commondreams.org/headlines06/0723-01.htm)を以下に全文翻訳して掲載した。
アーレン・ワタダ氏の行動は全米で論争を巻き起こしているが、とりわけ日系アメリカ人社会では複雑で深刻な話題となっているようだ。日米タイムズ紙が日系退役軍人達の意見を紹介しているので以下に抜粋しておこう(http://www.nichibeitimes.com/issues/articles/072006/veteransreact.html):
「失望した。中尉のワタダは充分考える時間があっただろう。従軍しなかったことで、彼は男を下げた。彼は最初から宣誓して入隊すべきではなかった。」
−ボブ・ハヤミツ、第二次大戦退役軍人、ロスアンゼルス在住
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「退役軍人にとってうれしくないことだ。日系アメリカ人の伝統と歴史にとっては痛手になると思う。朝鮮戦争時代、我々兵隊は従軍理由に確信がなかった。多くの同僚が従軍を嫌っていた。(朝鮮戦争の)大義を信じてはいなかったが、しかし従軍した。あの戦争で私は親友を亡くした。ベトナム戦争は過去最も不評な戦争だったが、日系アメリカ兵で従軍拒否したものは1人としていなかった。
軍隊では、すべきこと、してはならないことを各兵士が決めるようになれば、指揮系統と規律がなくなってしまう。私はイラクに関して若干危惧があるが、我が国の兵士を支援することを固く信じている。たとえどのような戦争に従軍することになってもだ。
ワタダ中尉はイラク戦争開戦前に入隊した。司令官の命令に背くことに弁解の余地はない。私の周りには、日系2世の軍人で彼を支持する者は1人もいない。我々は皆愕然とさせられている。ワタダ中尉は日系2世退役軍人達に多大な恥をもたらした。」
−ロバート・ワダ、朝鮮戦争退役軍人、カリフォルニア在住
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「私はワタダ中尉を100パーセント支持する。彼の論理は非常に明快で、軍事行動はアメリカ国民を護るためになされるべきと信じており、イラク戦争について知るようになって衝撃を受けたのだ。彼は大統領に裏切られたと感じている。戦争の大義は大量破壊兵器だったが、全く発見されていない。私は大統領を支持するなど全く興味がないし、ワタダ中尉もそうすべき理由はないと思う。
日系アメリカ人退役軍人会は、(第二次大戦中の)日系人徴兵拒否者達を支持し始めている。ハワイ出身の若き中尉の行為は、自身の良心に従ったものだ。それも(大戦中と)まったく同じことだと思う。」
−ポール・ツネイシ、第二次大戦退役軍人、カリフォルニア州在住
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「多くの人がワタダ中尉のイラク従軍拒否に支援の声を上げているが、私は中尉の決心に強く異議を唱えるものである。
単に同意できない任務だからといって、兵士や、特に将校達が命令を拒否するようになったら、我々の軍隊はどうなってしまうのだ?決心には大変な勇気が必要だったとは思うが、だからといって英雄扱いする必要はない。米陸軍将校に着任したのだから、全ての命令に従うよう厳粛に宣誓したはずだ。ワタダのような者たちの行動を簡単に認めるようになれば、我が国の軍隊の実効性が損なわれてしまう。あのような条件を持ち出すのなら、そもそもなぜ入隊したのだ?
私は第二次大戦退役軍人で、当時あまりないことだったが、1942年にヒラ川の捕虜収容所から米陸軍に志願入隊した。我々は今の世代、そして将来の日系世代に対して、愛国心と忠誠心を教えるべきだと信じている。
中尉の決意は尊重するが、賞賛することはない。」
−ハリー・フクハラ中尉(退役時)第二次大戦退役軍人、サン・ホセ在住
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「この国では、全ての国民は問題を学習し、意見を表明するよう奨励されている。ワタダ中尉はまさしくその通りにした。私見では、彼は教養があり、知的で、物事を深く考える人物のようだ。彼は、あまり一般的でない、非常に困難な立場に身をおくことになる決意をしたが、どのみちそれに耐えるだけの勇気があったのだろう。我が国は自由の国であり、彼の意見を表明する権利を尊重する必要がある。」
−マービン・ウラツ、第二次大戦退役軍人、カリフォルニア州リッチモンド在住
参照リンク
アーレン・ワタダ中尉支援基金(Thank You LT Fund)
http://www.nichibeitimes.com/issues/articles/072006/veteransreact.html
従軍拒否兵支援基金(COURAGE TO RESIST)
http://www.couragetoresist.org/x/
イラク従軍を拒否した陸軍中尉、軍法会議へ
by ジョン・キフナー記者、ティモシー・イーガン記者:ニューヨークタイムズ紙2006年7月23日付記事
http://www.commondreams.org/headlines06/0723-01.htm
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/watada.jpg
アーレン・K・ワタダ米陸軍中尉は911テロ後に陸軍に志願したが、イラクに行くつもりはないという。「行くつもりだったんです。本を読みはじめる前までは・・・」彼は言った。 (NYT Photo/Kevin P. Casey)
シアトル:2年前、韓国での任務に赴任した際、アーレン・K・ワタダ米陸軍中尉は上官から高い評価を得た有望な幹部候補だった。911同時多発テロ後に多くの若者がそうしたように、彼は「私欲を捨てて国を護る」ために志願し、小児ぜんそくにも関わらず適性検査を受ける為に800ドルを支払った。
今、28歳のワタダ中尉は、シアトル南にあるフォート・ルイス基地のオフィスで働いており、イラクへの赴任を拒否した一握りの将校の1人として、陸軍広報担当の説明によれば、イラク従軍拒否で軍法会議にかけられる最初の人物となる。
「行くつもりだったんです。本を読みはじめる前までは・・・」最新インタビューの中で、ワタダ中尉は言った。
長い間慎重に考慮した末に、ワタダ中尉はイラク従軍を拒否することを決意した。反戦団体に連絡をすると、団体側はお返しに彼の動機を信望し、ポスターやTシャツを販売して弁護費用を集め、本人に代わって嘆願書を配布している。
中尉の行動は、他の者たちが追随すると陸軍内部に混沌を引き起こす反逆行動を画策するものであるとの批判もある。しかし、ワタダ中尉は自らの決心について、充分な自己省察によるものであると言う。
1月25日、「まことに遺憾ながら」ワタダ中尉は所属する部隊の指揮官、スティーブン・J・タウンゼント大佐に2ページにわたる熱心な手紙を送った。「端的に言って、イラクで継続する戦争と、戦争の大義となった詐欺、そして市民統制のあらゆる局面に充満する無法に関して、私は誠心誠意反対であります。」ワタダ中尉はそう書いた。
6月22日午前2時半、第2歩兵師団第3旅団(ストライカー旅団)がイラクにむけて発った際、ワタダ中尉は同行しなかった。それ以来彼は、軍事司法統一法における失踪による従軍違反行為1件、2件の上官侮辱罪、3件の将校にふさわしくない無作法行為の容疑で起訴されている。
ワタダ中尉の転向に、彼の両親、同僚兵士、上官達は驚いた。しかし振り返ってみると、中尉に関してこれまで蓄積された様々な軍適性報告書の賛辞には、ある前兆が付記されていた。それによれば、ワタダ中尉には「貪欲なまでの知識欲がある」と評されていた。
ワタダ中尉の話では、2005年6月に、イラク従軍準備のためフォート・ルイス基地に出頭した時、任務に疑いを持ち始めたという。「赴任準備をしていましたし、イラクに行くつもりでした」彼は言う。「現況を知るのも自分の任務であると思ったのです。その時は、我が国の政府が陸軍や国民を欺いているなどとは思いもよらなかったのです。」
ワタダ中尉は、戦争への道徳的拒否による全軍務拒否という立場の良心的兵役拒否者になることを希望したのではないという。反対しているのは、イラク戦争だけなのである。
軍事歴史学者によれば、全志願制時代の陸軍で、ワタダ中尉のような将校がそうした行動をするのは珍しいことだという。
「戦争時の記録上、このような出来事は異常というほどではありません」ブルッキングス研究所上級軍事研究員のマイケル・E・オハンロン氏は言う。「しかし、徴兵のない時代では大変珍しい。」
オハンロン氏によれば、もしも他の将校が同様に追随すれば、軍を維持するのはほとんど不可能になるという。「個別の将校が、どの戦争を戦うべきか決定できるという考えは、とても常識テストを通過できませんね。」
個別の兵士が戦争の大義を決定できるとしたら軍は機能しなくなるという見方に、ワタダ中尉は理解を示している。しかし、タウンゼント大佐に書いた手紙によれば、彼は陸軍で習った価値感:「忠誠心、義務、敬意、無私の奉仕、栄誉、高潔、個人の勇気」に基づき、「より高い次元の権威」−合衆国憲法に忠誠を誓ったのであった。
「どうか、栄誉と尊厳をもって軍を去ることをお許しください。」中尉は手紙を結んだ。
ワタダ中尉の説明によると、彼はイラク戦争に関する独習を、ジェイムズ・バムフォードの著作『A Pretext for War(戦争の口実・未邦訳)』から始めたという。同著作は、イラク戦争がペンタゴン内部や政策研究所に勤務する、少数の新保守主義派文官によって推進されたと唱えている。同書はまた、サダム・フセイン体制打倒を正当化するために諜報活動が歪められ、その最終目標はイスラエルの利益のために中東を根底から変えることであると説明している。
中尉が次に読んだのが、アブグレイブ刑務所拷問虐待事件を暴いたシーモア・ハーシュの著作『Chain of Command』(邦訳『アメリカの秘密戦争』)。その後、ワタダ中尉は他の戦争関連情報にも行き当たり、キューバ・グンタナモ刑務所の囚人の扱いや、いわゆるダウニングストリートメモ−英諜報部長官がトニー・ブレア首相に、アメリカ政府はイラク戦争を「不可避」と考えており、そのために「諜報と事実が政策に沿うように仕組まれつつある」と2002年7月の時点で説明していたメモの件まで知ることになった。
ワタダ中尉は、イラクからフォート・ルイス基地に帰還した兵士達とも話したが、その際に或る上級軍曹は、自分と自分の部隊は戦争犯罪を犯したかもしれないと中尉に語っていた。
「我々が騙されていたという恐るべき真実を知って、私は驚き、吐き気を催しました。」部隊の指揮官に宛てた手紙に、彼はそう書いた。
事態をうまく解決するための試みもあったと中尉は言う。陸軍は中尉に、戦闘から離れてイラクで内勤に就く様説得した。しかし、戦闘が問題なのではない、と彼は言う。
ワタダ中尉はアフガニスタンでの従軍を志願した。911テロに関わる明白な戦争だと思ったからであった。要求は却下された。
イラク行きを拒否する決心へと向かう日々の中で、陸軍上官達はワタダ中尉に「反抗罪」に問われることになると警告した。不服従の姿勢を見せて後、中尉は起訴されたという。その「不服従」には、インタビューに答えることも含まれていた。
「ワタダ中尉の行為は起訴に相当すると決定した。これは上官からの要求です。」フォート・ルイス基地広報担当官ジョー・ヒット氏は説明した。
ワタダ中尉の母、キャロリン・ホーさんは、息子の決心を知り驚いたという。ハワイ育ちの息子はいつも陸軍を賞賛していた。
「息子とは議論を尽くしました」ホーさんは言う。「息子のキャリアが台無しになると思ったんです。理解するのにしばらくかかりました。」
今、彼女は言う。「私は息子の決心を支持し、尊敬しています。」
ワタダ中尉と共に韓国に駐留した二人の将校も、中尉の用意した電話インタビューに答えて、支持を表明した。しかし、中尉のイラク戦争に対する考えには異議を唱えている。
「彼は良い将校で、常に職務に忠実でした。」将校の1人、スコット・フリン大尉が言った。「個人的には、彼の意見や反戦姿勢には同意できません。しかし、彼が良心に従って行動できるように、彼の人間としての姿勢を支持します。」
ワタダ中尉の昔のルームメイトだったバーナード・ウェスト中尉も、同様の意見を述べた。
ワタダ中尉は韓国で二つの任務に就いた。ひとつは本部中隊副隊長で、もうひとつは多連装ロケット部隊小隊長である。彼の評価は上々だった。
「模範的」ワタダ中尉が記者に見せた軍適性報告書にはそう評してあった。「さらなる責任を負う立場への可能性著しい。特殊な任務への素質あり。同期より先に昇進あり」
小隊長としての評価も「模範的」であり、「限りなき素質あり」と評されていた。
軍の制度下では、ワタダ中尉への容疑は大陪審審理に相当する32条審問会で審理される。軍法会議審理があるとすれば、秋頃に開かれることになる。最大の刑は懲戒除隊で、フォート・ルイス基地の発表によれば、罰金刑と禁固7年の刑が科せられることになる。
ポール・ボイス陸軍広報担当官の話では、彼の知る限りワタダ中尉はイラク戦争行きを拒否した件で軍法会議にかけられる最初の陸軍将校になるという。
(以上)