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(回答先: 従軍慰安婦と名乗る証言者とやらは、恥知らずな程の嘘吐きですねぇ〜へ 投稿者 01 日時 2006 年 7 月 02 日 01:25:38)
Kotetuさんが反論すべきものですが、失礼ながら横レスさせていただきます。
おそらく普通はこんな下の方のツリーまで目を通さないでしょうから、Kotetuさんは今後も気付かず何も反論されないかもしれません。そうすると貴殿は傲慢にも自分には反論できないのだとお思いになるかもしれません。それでは阿修羅の投稿者をなめることにもなるので、Kotetuさんに代わってレスすることにいたします。
老人の記憶のあやふやさは馴れた者でないと分からないものですよ。小生は事情があって父親の母(つまりは祖母)と自身の母を看取ることになりました。前者は享年90、後者は80で没したように思います。過去帳に記入していなかったものだから、近親者の没年齢さえ、もはやはっきりとはいたしません。小生は現在63歳ですが、それにしてすらもう記憶はいい加減です。ましてや祖母も母も70代や80代には記憶は不確かでした。記憶の5年ぐらいのずれは日常茶飯事なのです。会話に付き合っていると気が変になることがありました。でも起こった事柄だけは忘れていないのです。ただ起こった事柄の前後関係がまったくデタラメになることがよくあるのです。
貴殿がどういう経験の持ち主で、どれぐらいの年齢の方か分かりませんが、小生が上記したような経験は、失礼ながらないのではないでしょうか。
老人の記憶について語るときは当然ながらこうした認識が必要です。またそれが老人に対する思いやりでもあり、礼儀でもあると思います。
老人の体験談を聞いたり読んだりする時にもこうした配慮が必要です。記憶違いを想定しないで嘘をついているのだという決めつけは、真実を知るという立場からは本当に危険です。
貴殿が貼り付けたリンク先にあったチョン・ソウンさんの証言の場合を考えてみましょうか(http://doronpaoukoku.at.webry.info/200412/article_14.html)。
>2004年に80歳で亡くなったということは1924年生まれですね。
>そして、13歳の頃から7年間、インドネシアで慰安婦をさせられていたそうです。
>つまり彼女が「インドネシア」で慰安婦をしていたのは1937年から1942年までです。
>何かおかしいと思いませんか?
>実は日本がインドネシアを占領していたのは、1942年から1945年までなのです。
>つまり、彼女が慰安婦をしていた期間はインドネシアはオランダの植民地だったのです。
>彼女は一体誰に慰安婦にさせられていたんでしょうか?
確かに計算上はこの通りです。チョン・ソウンさんの記憶に年月的なズレがなければ、日本軍の慰安婦をインドネシアですることは不可能です。
ただし高齢者の記憶特性を知っておれば、こんな風には断定できません。
そのことは多くの慰安婦の証言を聞いてきた半月城さんもこのように書いています。以下は http://www.han.org/a/half-moon/hm053.html#No.351 からの引用です。これが小生の一番貴殿に語りたいことを代弁してくれています。しっかり目を通しておいていただきたいと思います。
- FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 98/10/11 -
02373/02373 PFG00017 半月城 「慰安婦」の証言、「従軍慰安婦」98
( 8) 98/10/11 21:22 02002へのコメント
ゆーみんさん、こんばんは。
ゆーみんさんは、クマラスワミ報告書のあら探しをしているとも思えないのですが、その中にあるチョン・オクスンさんの証言について何が言いたいのでしょうか?
ゆーみんさん、RE:2002
>この報告書はあちこち史実と異なる記述がある上に,間違いだらけではないですか。
>例えば,次の部分を読んでおかしいとは思われませんか。
>いかがでしょうか。
ゆーみんさんの指摘は、元「慰安婦」チョン・オクスンさんの証言を全面的に否定するものでしょうか? それとも証言の一部を疑問視するものでしょうか? 後者の場合、チョン・オクスンさんが日本軍により「慰安婦」を強いられたとする本質的な申し立てはお認めになるのでしょうか?
チョンさんの証言にかぎらず、「慰安婦」たちの証言は半世紀も前の古い体験なので、そもそも正確な証言をすること自体とうてい無理な話です。したがって、たとえチョンさんの証言があやふやで一部に誤りがあったとしても、それはなかば当然ではないかと思います。
その上、言葉ではとうてい言い表せないような苦難、それも自分の母親にすら打ち明けられないような苦難であれば、二度と思い出したくないでしょうし、その記憶を必死に消し去ろうと努めてきたのではないかと想像されます。
しかし、そうした記憶はいくら消そうとしても、決して消し去ることができるものではありません。その地獄のような思い出は、容赦なく彼女たちを苦しめ、しばしば悪夢として彼女たちにつきまといました。
ある「慰安婦」などは、しばしば夜中に突然飛び起き「ミオサキ」と叫び、となりに寝ている息子の襟先を両手でつかみ、首を絞めあげるように揺さぶっていたとのことでした。ところが、朝になると彼女はそうしたことなどまるで記憶になく、息子にいわれて初めて自分のしたことのおぞましさに驚くようなありさまでした(注1)。
このようにひとり苦しみ、決して語ろうとしなかった過去ですが、こうした闇に眠る史実こそ「従軍慰安婦」の全体像を明らかにするうえでどうしても必要不可欠です。たとえ多少不正確な記憶であっても、その体験を語る生き証人の存在自体が歴史的に重要な意味を持ちます。
この問題の推移を見ても、1991年、日本政府への怒りから、当時の女性の価値観では恥とされた「汚れた」過去をあえてさらけだし、敢然と名乗り出た「慰安婦」金学順さんの証言が大きな転機になったといっても決して過言ではありません。
かように「慰安婦」の証言は歴史的な意義をもつものです。そうした証言の意義を把握せずに、証言のささいなあら探しをするような方々が時々おられるものです。これはある一派、たとえば仮面忍者とびかげさんのように「歴史教育であれば自国の汚点など、決して教えるべきではない」(#2327)と考える人にとって、自然な成り行きかもしれません。
ゆーみんさんはどうかわかりませんが、彼等にとってそうした日本の汚点になるような過去の事実はとことん隠蔽したいでしょうから。
しかし、そうしたやり方はもちろん国際的に通用する道理がありません。国際的に厳しい非難をあびて当然です。その回答の一例が国連人権委員会の論議に示されたわけです。
その委員会で任命されたクマラスワミ氏は、「慰安婦」たちの証言をどのようにとらえたのか、それを報告書にみることにします(注2)。
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その人生のうちでもっとも屈辱的で苦痛に満ちた日々を再び蘇らせる意味をもつに違いないにもかかわらず、勇気をもって話し、証言を与えてくれた全ての女性被害者にたいして、特別報告者ははじめに心からの感謝をささげたい。特別報告者は、非常な感情的緊張のもとにありながら自分の経験を話してくれた女性たちに会ったことで、深く心を動かされた。
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「慰安婦」の証言をめぐって、クマラスワミさんのようにそれに心を動かされるのか、それとも証言のあら探しを始めるのか、そこにその人の人間性がストレートににじみでるのではないかと思います。
他方、「慰安婦」の重い証言は、いったん沈黙を破って語りだしたら、今度は逆に止まらない可能性があります。その際、悲惨な体験をすればするほど、そのつらい過去の恨みつらみが自然に誇張されることは十分考えられます。
また、今までに懸命に忘れようとしてきた体験だけに、それを正確に思い出すことはかなり困難なことと思われます。また「慰安婦」自身、どうしても語りたくない部分や修飾したい部分もあるでしょうし、そのため歴史家の目からみればつじつまの合わない点があっても不思議はありません。
しかし、そうしたささやかなデフォルメがあるにせよ、性奴隷であることを強要された「従軍慰安婦」の存在、ひいては「従軍慰安婦」の歴史的意義になんら影響するものではないと思います。
これについて、クマラスワミ報告書を翻訳した荒井信一氏は下記のような見方をしていますのでご参考に引用します(注2)。この引用は以前にもこの会議室にしたことがありますが、今ではもう読むことはできないようです。
そのかわり、#2169で紫雅蜜柑さんが紹介された私のホームページ「半月城通信」で読むことができます。そのURLを文末に記します。
そこには「従軍慰安婦」に関する書き込みが約100本あります。私は「ゆーみんさん、お勉強しませう」などと申しません。気が向いたら目を通してください。