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週刊新潮7月6日号(6月29日発売) 65ページ The World Incident
伊の旧王家プリンス逮捕で始まるか「仁義なき戦い」
6月17日、イタリア各紙は「サヴォイア家の末裔、最後のイタリア国王の息子がお縄を頂戴」の大見出しを掲げて、69才のプリンスの逮捕を報じた。逮捕は、あろう事か真film 案も手先となって、売春の斡旋をしたというものであった。
ハノーヴァー、ハプスブルグ、ブルボンといった名家と比べればやや劣るものの、イタリアのサヴォイア家も 堂々たる名門だ。加盟は、11世紀の昔から所領としていたサヴォイア地方(伊太利亜北部、フランス、スイスの一部を含む地域)に由来する。中心地トリノに残る、差う゛ぉあいあけのかつての宮殿は世界遺産にも登録されているほどである。在欧ジャーナリストによれば、「逮捕されたのは、ヴィットリオ・エマヌエレ公といい、祖父に当たるエマヌエレ3世は、エチオピアを侵略し、自らエチオピア皇帝を名乗り、また先の大戦中にムッソリーニに全面協力した人物です。反ユダヤ主義者でもあり、1946年の国民投票で、王政は廃止され、一族はスイスに亡命します。3世は翌年悲嘆のうちに死亡し、父親ウンベルト2世が王位を継承します。エマヌエレが9才の時でした」
実は、王政廃止の折に「王家の逸事を引き男子は永久にイタリアの地を踏むことを許さない」という条項も制定されており、一族にとっては帰国が長年の悲願であった。右派連立のベルルスコーニが政権の座に就いていた2002年にこの条項が削除され、エマヌエレ公は、元五輪スケート選手でスイスのビスケット会社の跡取り娘だった妻と息子を連れ、56年ぶりに帰国するのである。
「実際、王政復古の可能性も消えていなかったのです。戦後、フランコ独裁の終わりとともに、スペインではブルボン家が返り咲いた例もあるし、イタリア国内にも王政復古派が健在でした。しかし、今回の事件で彼が国王になる可能性は微塵もなくなってしまった」(先のジャーナリスト)」
高齢のプリンスは銀行の顧問、ヘリコプターのセールスを職業としていたが、これは表向きだけのことで、スペインやデンマークの王族の結婚式に出席するなど、自家用ジェット機でヨーロッパを遊び回っていた。こうした派手な生活を支えていたのは、右翼傾向が強く、闇社会とも深くつながるフリーメーソンの構成員だったからだと見られている。「エマヌエレの息子は、”父はマフィア扱いされている”兎糞害していますが、同時に逮捕された12人の内にプリンスの帰国に靴力下北部同盟の幹部の側近や市長も含まれているのです。さらに20日には40人のシチリアマフィアが一網打尽にされたのですが、この摘発には”ゴータ作戦”という秘密コードが与えられています。ゴータとはサヴォイア家を含む欧州の主流をなす王家の血統を指すもので、検察はマフィア、サヴォイア家、そしてフリーメーソンの支部組織”P2”に名を連ねるとされる、ベルルスルーニ前首相を筆頭とするイタリア各界の著名人たちをターゲットにしていると思われます」(同)
この5月に誕生したブロディ政権のバックアップを受けた検察当局は、この国の暗部に向かって、高らかに宣戦布告をしたかのようである。プリンス逮捕は、単に王家の末裔の哀れな末路を示すだけではない。流血の恐れさえある壮絶な争いの始まりかもしれない。
(以上、ネット上にソースがないので文章をテキスト化しました)
【関連情報】
◆イタリア・旧王家のエマヌエレ氏逮捕 犯罪組織に関与か 2006年06月17日17時20分
ANSA通信が16日夜報じたところによると、イタリア最後の国王ウンベルト2世(83年死去)の息子で旧サボイア王家のビットリオ・エマヌエレ氏(69)が同日、売春がらみの犯罪組織に関与した疑いで逮捕された。警察による一斉捜査で十数人が逮捕、拘束され、フィーニ前外相の補佐官も含まれているという。
同通信によると、エマヌエレ氏はマフィア組織と関係を持ち、スイスと国境を接する北部湖水地方にあるカジノの顧客に売春をあっせんしたなどの疑いが持たれている。南部ポテンツァの検察が2年間、捜査を続ける中で浮上したという。
サボイア王家は第2次世界大戦でファシズムに加担したとして46年の国民投票で廃止され、旧王家の男性の子孫の入国がその後憲法で禁じられた。同氏は9歳で亡命生活に入ったが、02年に憲法が改正され、ジュネーブから一族と共に56年ぶりに帰国した。
http://www.asahi.com/international/update/0617/007.html
◆イタリアの旧サボイア王家の醜聞、ブルガリアへ飛び火? 2006年06月21日09時56分
イタリア各紙の報道によると、犯罪組織に関与した疑いで16日に逮捕された旧サボイア王家のビットリオ・エマヌエレ容疑者(69)をめぐる捜査で、同容疑者のいとこで、かつてブルガリアの国王だった同国のシメオン・サクスコブルクゴツキ前首相(69)が、同容疑者側と不正な取引をしていた疑いが浮上している。ブルガリア当局は伊当局に協力を要請しており、イタリアの「王室スキャンダル」が他国に飛び火する可能性が出てきた。
サクスコブルクゴツキ氏は王制廃止のため9歳だった46年にブルガリアから亡命し、01年に帰国。同年から05年まで首相を務めた。
伊有力紙コリエレ・デラ・セラなどが報じたところによると、疑惑は検察によるエマヌエレ容疑者とイタリア人実業家との電話の盗聴捜査の記録から浮かび上がった。この実業家が仲介役となり、サクスコブルクゴツキ氏が同容疑者側にソフィア市内の宮殿を1億ユーロ(約146億円)で売る相手のあっせんを依頼し、同容疑者側は見返りにブルガリアの病院建設や通信会社の買収で便宜をはかるよう求めた疑いがあるという。
サクスコブルクゴツキ氏は20日、ソフィアで会見を開き、「私は歴史的に責任のある家名を継承しており、行動には常に注意している」として疑惑を全否定した。
ブルガリア国王ボリス3世と結婚したサクスコブルクゴツキ氏の母ジョバンナは、エマヌエレ容疑者 の父でイタリア最後の国王ウンベルト2世の妹。
http://www.asahi.com/international/update/0621/003.html
◆ザクセン・コーブルク・ゴータ家 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%BF%E5%AE%B6
ザクセン・コーブルク・ゴータ公
エルンスト1世 1826年 - 1844年
エルンスト2世 1844年 - 1893年
アルフレート1世 1893年 - 1900年 (兼エディンバラ公)
カール・エドゥアルト 1900年 - 1918年 (兼オールバニー公)
1918年以降のザクセン・コーブルク・ゴータ家当主
カール・エドゥアルト 1918年 - 1954年
フリードリヒ・ヨシアス 1954年 - 1998年
アンドレアス 1998年 -
ベルギー王家(ザクセン・コーブルク・ゴータ家)
レオポルド1世 1831年 - 1865年
レオポルド2世 1865年 - 1909年
アルベール1世 1909年 - 1934年
レオポルド3世 1934年 - 1951年
ボードゥアン 1951年 - 1993年
アルベール2世 1993年 -
イギリス王室(サクス・コバーグ・ゴータ家)
エドワード7世 1901年 - 1910年
ジョージ5世 1910年 - 1936年
ウィンザー家
第一次世界大戦の敵国ドイツのサクス・コバーグ・ゴータ家の名称を嫌い改称
ジョージ5世 1910年 - 1936年
エドワード8世 1936年
ジョージ6世 1936年 - 1952年
エリザベス2世 1952年 -
ブルガリア王家(サクスコブルクゴツキ家)
フェルディナンド1世 1887年 - 1908年(ブルガリア侯)、1908年 - 1918年(ブルガリア王)
ボリス3世 1918年 - 1943年
シメオン2世 1943年 - 1946年→同共和国首相(2001年 - 2005年)シメオン・サクスコブルクゴツキ
ポルトガル王家(ブラガンサ・ヴェッティン家)
フェルナンド2世 (王配・共治国王)
ペドロ5世 1853年 - 1861年
ルイス1世 1861年 - 1889年
カルルシュ1世 1889年 - 1908年
マヌエル2世 1908年 - 1910年
スウェーデン王家とのつながり
元ザクセン・コーブルク・ゴータ公カール・エドゥアルトの長女シビラは、1932年にスウェーデン国王グスタフ6世アドルフとコンノート公アーサーの長女マーガレット(カール・エドゥアルトの従姉に当たる)の長男である王太子グスタフ・アドルフと結婚した。2人の長男(末子)カール16世グスタフは1973年、祖父グスタフ6世アドルフの後を継いでスウェーデン国王に即位した。
◆サヴォイア家 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E5%AE%B6
◆世界帝王辞典 ザクセン=コーブルク=ゴータ家 Sachsen-Coburg-Gotha
http://nekhet.ddo.jp/people/scg.html
シメオン・サクスコブルゴツキ Simeon Saxe-Coburg-Gotha 生没年:1937-
父:ブルガリア王ボリス3世
1943-1946 ブルガリア王 シメオン2世
2001- ブルガリア首相
妻:ドナ・マルガリータ
4男1女
ベルギー王家系
アルベール2世 Albert II 生没年:1934-
父:ベルギー王レオポルト3世
1934-1993 リエージュ公
1993- ベルギー王
妻:ドナ・パオラ・デ・ルッフォ・ディ・カラブリア1937-(父:ルッフォ・ディ・カラブリア公フルコ)
1960- フィリップ・レオポルド・ルイス・マリー
1962- アストリッド・ジョセフィーヌ・シャルロット(夫:オーストリア大公ローレンツ)
1963- ローレン・ベネディクト
◆世界帝王辞典 サヴォイア家
http://nekhet.ddo.jp/people/savoy.html
ウンベルト2世 Umberto II 生没年:1904-1983
父:イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世
1946 イタリア王
妻:マリーア(父:ベルギー王アルベール1世)
1937- ヴィットーリオ・エマヌエーレ
ヴィットーリオ・エマヌエーレ Vittorio Emanuele
生没年:1937-
父:イタリア王ウンベルト2世
実業家
1946-2003 スイス亡命
2003 イタリア帰国
2006 売春周旋などの疑いで逮捕
妻:
◆アメリカの「第2独立戦争」
http://tanakanews.com/g0613UKUS.htm
◆皇太子ご一家:8月に静養のためオランダ訪問、2週間滞在
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/koushitsu/news/20060624k0000m040063000c.html
【私のコメント】一般の週刊誌にフリーメーソンの言葉が載ったことに非常に驚いた。この記事がどこまで真実かは今後の捜査の進展と共に分かるだろう。「ゴータ家」について調べると、今回逮捕されたヴィットーリオ・エマヌエーレの母親がゴータ家のベルギー王アルベール1世(在位1909-34)の娘マリー・ジョゼ(1906-2001)であった繋がりの様だ。また、ベルギー王家と英国王家が共にこの家系に属することも注目される。
2001年のブッシュ政権成立と共に日本では小泉政権、イタリアではベルルスルーニ政権が生まれ、イタリアとブルガリアでゴータ家当主が帰国してブルガリアでは首相に就任した。これは偶然とは思えない。
先日田中宇が『アメリカの「第2独立戦争』なる記事を書いていたが、アメリカをこれまで支配していたのが英国王室を含むゴータ家一族関係者であるとすれば、関連性が出てくるかもしれない。
また、日本の皇室はベルギー王室と友好関係にあり頻繁に訪問しているが、日本の皇室もフリーメーソンと関係があるのだろうか?大東亜戦争で海軍が米英に内通していたという話があるが、昭和天皇本人がフリーメーソン繋がりで内通していた可能性も考えておくべきだろう。8月中旬から二週間、皇太子一家がオランダで静養という話も関係があるのかもしれない。
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/6b9caf1acee9a4fcbe713bc4bb07f556