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http://www.geocities.jp/riverbendblog/0606.html から転載。
Baghdad Burning
バグダードバーニング by リバーベンド
... I'll meet you 'round the bend my friend, where hearts can heal and souls can mend...
友よ、私の心が失われあなたさえ見分けることができなくなったら、どうか私を偉大な文明をはぐくんだ、チグリス・ユーフラテスの胸元に連れて行って欲しい。そこで私は心を癒し、魂を再生させるでしょう。
2006年6月10日土曜日
ザルカウィー・・・
さて「ザルカウィー」はやっと死んだってわけなのね。昨日の朝のそのニュースは面白かったわ(おとといだったかしら?はっきり思い出せないけど...)。彼の写真や映像を見せられて動揺するようなことはなかったわ、だってわたしは、めちゃめちゃにされたり、血だらけの死体の画像にはどっぷり浸けられてきているもの。
受け止めかたはそれぞれだった。彼が誰であろうとも惜しまれるような人ではないというのが、わたしたちの家族や友人たちとの間での一般的な意見。彼はいったい何者だったのかという疑問がある。そもそも実在していたのか?彼はほんとうにアメリカ人が言い立てたような大きな脅威だったのか?彼が実際に死んだのはいつ?みんなはもっと前の2003年に死んだって断言しているけど...このタイミングは絶妙ね、ちょうど人々が役立たずのイラク政府にほとほと嫌気がさしてきたときに、ザルカウィーが殺されて、占領世界の勝ち誇った指導者としてマリキが歓呼をもって迎えられるってわけ!(イラク人は誰も街でお祝いなんかしていないのに。電気や水、殺し屋軍団、鑑識、死骸、そしてどんどん勢力を伸ばしつつある過激主義者のことを考えるので精一杯)
いろんな反応を聞いてみると−大部分は戦争賛成の政治屋たちのものだけど、彼らのおめでたさにはまったくあきれかえる。マリキ(イラクの今の首相)は、そのニュースを発表するとき、ほとんど舞い上がっているみたいだった(彼はがんばって何とかここまでこぎつけたのだ!)。本当に彼らはこれで占領に対する抵抗運動が終わるって信じているのかしら?外国の軍隊がイラクに居るかぎり、抵抗運動や「反乱」は続くに決まってるじゃない−なぜこんな簡単なことが理解できないのかしら?他にどう考えられるっていうの?
「イラク人にとっての新しい日」がイラク操り人形政府やアメリカ人たちのもっぱらの話題だ。たとえば2003年4月9日[訳注:バグダード陥落]の「イラク人にとっての新しい日」のように。そして彼らがウダイやクサイ[訳注:サッダーム・フセインの息子たち]を殺したときの「イラク人にとっての新しい日」。もうひとつの「イラク人にとっての新しい日」は、サッダームを捕まえた時。それから憲法草案を作った時の「新しい日」...なんだか知能テストの中にある質問みたいに思えてきたわ。もし「新しい」が「さらなる」という意味で、それから、「日」が「苦しみ」と同じに置き換えられるとしたら、「イラク人にとっての新しい日」ってどういう意味になる?
わたしはどう思っているかって?ザルカウィーのくそったれだわ(ブッシュの呼び方だとザイルカウィね)。彼はアメリカが作ったもので、彼らと一緒に来たのよ。そしてあきらかにもう利用価値がなくなったってわけ。彼の力は大きく誇張されて、軍隊や警官隊によって家族が殺されるのには、どれもこれもことごとく彼が言い訳に使われたわ。最初は大量破壊兵器、次はサッダーム、そして次はザルカウィーだった。今度は誰?イラク人拘束や殺害のために、誰が新しい言い訳に使われることになるの?それとも、もう言い訳なんか必要なくて、彼らはどんなことでもし放題ってことかしら。数か月前のハディッサでの虐殺がそのことを証明しているわ。「やつらにはもうザルカウィーは要らんのだ。」近所のお年寄りは手でハエを追い払うようにそのニュースを一蹴した。「ザルカウィーなんて政府はいくらでも持ってるさ。」
さてザルカウィーは死んだ。ブッシュとわれらがイラク操り人形たちのいうところによれば、イラクのひどい惨状は背後に彼がいたことが原因だったんだから、ものごとは良くなっていくはず、そうよね?自動車爆弾は少なくなるはずだし、民族浄化は終わり、軍隊に攻撃されたり包囲されたりすることはなくなっていく...それが私たちに約束されたことなのよね?いいことだわ。じゃあ、内務省の殺し屋軍団と銃をぶっぱなすのが大好きな外国軍隊をなくすには、一体誰が殺されればいいのかしらね?
午前0時47分 リバー
(翻訳:ヤスミン植月千春)