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2006-05-27
〔イラクから〕「ハデサの虐殺」 少女は見ていた! 英紙が報道
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2006/05/post_eb54.html
米海兵隊が婦女子を含む非武装の住民24人を無差別に虐殺した「ハデサ事件」。その海兵隊員らによる凶行の一部始終を、10歳の少女が見ていた!
英紙タイムズが少女にインタビューし、証言を電子版(下記)で報道した。
家族が虐殺される現場に居合わせ、自ら負傷しながら生き延びて同紙に証言したのは、イマン・ハッサンさん。
証言によると、昨年(2005年)11月19日の朝、7時過ぎ、虐殺は起きた。
その朝、イマンさんはまだパジャマ姿で、学校に行く用意をしていた。
そのとき、米軍の輸送部隊が家の近くの道路を通り過ぎて行った。
道路脇に仕掛けられていた爆弾の爆発で、装甲車両のハムビーを運転していたミゲル・テラザス兵長(20歳、テキサス州エルパソ出身)が死亡したころ、イマンさんの家では、父親が隣の部屋で祈りを捧げていた。
彼女の家は軽量ブロックでできた、ふつうの2階建ての住宅だった。
道路脇の爆弾が爆発して15分後、米兵らがイマンさんの家に押し入った。武装抵抗勢力を探している様子だった。
米兵らは彼女の父親に何事かを叫んだ。そして手榴弾を、祖父母の部屋に投げ込んだ。
爆発の破片が母親に当たった。
おばが赤ちゃんを抱きかかえて、家の外に走って逃げた。
米兵らは、イマンさんの家族のほとんどが集まっていた居間のなかで銃撃した。おじのラシドさんが2階から降りてきて、家の外に逃げ出した。米兵が追跡し、射撃を加えた。
「家のなかにいた家族は、わたしと(兄か弟の)アブデル・ラーマンの2人を除いて、アメリカ人に皆、殺された」と、イマンさんは言った。「わたしは恐ろしくて動くこともできず、枕の下に隠れようとしました。足に(手榴弾の)破片が当たりました。わたしの家族はすぐには死にませんでした。わたしたちは、家族のうめき声を聞きました」
彼女の両親、祖父母、2人のおじ、そして4歳になるいとこのアブドラの7人が致命傷を負い、死亡した。
イマンさんの親類によれば、埋葬の場に、米兵の集団が来て、謝罪した。狙撃兵が人々に狙いをつけてから、謝った。
また、最近になって(いまから2ヵ月前)、1人あたり2万5000ドルの金を払いに来た。
彼女が住むハデサは、デイツ畑に囲まれた、ユーフラテス川沿いの町。武装抵抗勢力の活動が活発な地域で、事件の3ヵ月前には米兵20人が殺害されていた。いまも、米兵がパトロールしている。
イマンさんは言った。「わたしは憎んでいます。わたしたちを殺しに来て、すいませんと言っても何にもならない」
タイムズ紙は、イマンさんの証言を紹介する記事のなかで、今回の事件が、アメリカ人のベトナム戦争観を一変させた「ミライ事件」と同じ影響を及ぼす可能性を示唆した。
少女が生き延びたことで、イラク戦争の惨たらしさが、あらためて証明された。
目の前で家族を殺された少女に証言に、わたしたちは心して、耳を済ませなければならない。
「ハデサ事件」忘れまじ。
ノーモア、イラク戦争!
⇒
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,3-2199287,00.html
Posted by 大沼安史 at 02:18 午後
【関連投稿】
米兵が理由なく20人余殺害 イラク、殺人罪適用も(山梨日日新聞=共同)
http://www.asyura2.com/0601/war80/msg/943.html
投稿者 gataro 日時 2006 年 5 月 26 日 22:50:49
米海兵隊員、無抵抗イラク市民殺害の疑い 米紙報道 (asahi.com)
http://www.asyura2.com/0601/war80/msg/950.html
投稿者 彗星 日時 2006 年 5 月 27 日 08:58:06