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「イラク反政府勢力とは何者か」--(ル・モンド・ディプロマティーク日本語)
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投稿者 ミスター第二分類 日時 2006 年 5 月 26 日 00:46:27: syFUAx3Wc1pTw
 

イラク反政府勢力とは何者か

マチュー・ギデール(Mathieu Guidere)
コエトキダン士官学校 戦略情報分析研究所所長、サン・シール
ピーター・ハーリング(Peter Harling)
インターナショナル・クライシス・グループ コンサルタント、ブリュッセル

訳・日本語版編集部

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 イラクの武装反政府勢力というと挙げられるのは、愛国意識を持ち続けている元将校、外国のテロリスト、恥知らずな犯罪者、数世紀来の既得権であるはずの権力を断固として回復しようとしているスンニ派のアラブ人、一切の外国勢力の関与が許せないという頑固なムスリム、占領にはとにかくうんざりしているイラク人(連合軍の隠語でいう POI = Pissed-off Iraqis)、復讐の論理で動く部族単位の地域閥、性懲りもないバース党員、といった者たちだ。

さまざまな者がひしめき合い、互いになんの連携もとらずに動いているという構図である。

 中心人物として浮上した者のなかには、ヨルダン人アブ・ムサブ・ザルカウィや、サダム・フセインの側近だったイッザト・イブラヒーム・ドゥーリのように、リーダーの資格を文句なく備えているとはおよそ言い難い人物もいる。

 イラクの武装反政府勢力は、北アイルランドにおけるシン・フェイン党のような政治部門を持つに至っておらず、明確な政治的プログラムも明らかにしていない。

茫洋として誰とも知れず、ばらばらな烏合の衆という捉え方が支配的である。しかし、このような見方が2003年の時点では的確だったとしても、その後に起こった変化を軽く見てはならない。


 それは概括すれば「沈澱濾過」のようなものだと言えるだろう。
 初期の構成は横断的、つまり宗派の垣根を超えたものであったが、政治プロセスにおける分極化が進むにつれて、ほぼスンニ派のアラブ人に限られるようになった。

 イスラム軍団、タンジーム・アル・カーイダ・フィ・ビラード・アッ・ラーフィダイン(二つの川の国のアル・カイダ機構)、預言者の伝統信奉者軍団、ムハンマド軍団など、比較的見分けのつきやすい少数の大グループの固定化と展開が進むと(1)、武装反政府勢力の構図は単純化された。

 これらの勢力は次第に縄張りを明確化する方向にある。ただし、バグダッドに近いディヤーラ州では現在も混迷が続いている。


 これに対して、北西部アンバール州では、イラクの人道支援活動の責任者が通行許可証を得たいときに、ほとんど役所のような手続きで許可証を発行する交渉相手がいる。

 同様に、大型トラックの運転手も、一定の手続きに従って「保証金」を払えば、敵向けの荷物を積んでいるのでないかぎり、この地域の通り抜けを認められる。


 これらのグループのおのおのが、ハイテク通信手段を通じて培ってきた「コーポレート・アイデンティティ」をもち、色使い、標準スタイル、ロゴの使用によって一目でどこのものと見分けのつく文書やカセット、ビデオなどを配布している。

 いずれもきわめて饒舌に、自分たちの存在がいかなる意義をもち、イラクの紛争が今後どのように展開し、自分たちがいかなる軍事的成果を上げ、さらにはどのような戦術をとっていくべきかを滔々と弁じている。


 彼らの言い分を分析してみると、もうひとつ別の沈澱濾過の過程が見えてくる。

 これまで長いこと彼らの言動の特徴だった誇張や矛盾、曖昧さや論争は影をひそめ、驚くほど皆同じことを言うようになっているのである。

 2005年を通じて、これらのグループは、ひとつの主張のもとにまとまっていった。

 そこでは愛国心の鼓吹と、サラフ主義(原点回帰主義)的な、つまりスンニ派の宗教信条が混じり合っている。

 当初は広くジハードの妥当性について、あるいは具体的な方法をめぐって激しい論争が戦わされたが、やがて一定の合意に収束していった。

 その合意は表面的なものかもしれないが、いずれのグループも尊重している。

 たとえば、わずか1年前には斬首行為の犯行声明が公然と出されていたが(2)、今やそんなことをする者はいない。

 ましてそれを撮影してみせる者もない。


 もちろん見解の相違はあり、そこから緊張が生まれてもいる。

 イラク人戦闘員と接触した複数の情報源(人道支援団体の責任者、イラク人ジャーナリスト、それに彼らを心情的に支持するアラブ人)の報告によれば、ザルカウィに関しては、宗派対立による多数の暗殺(つまりシーア派つぶし)を指示したと批判する声が、表にこそ出ないが山ほど聞かれるという。

 一部のグループから出される犯行声明が、連合軍を標的とした攻撃だけに限られているのを見ても、市民やさらにはイラク政府の治安機関要員をねらった作戦については意見が分かれていることが感じ取れる。

ここ数カ月の間にアンバール州の海兵隊は、一連の事件を確認している。

 海兵隊のどの部隊も関与していない戦闘、暗殺死体で見つかった外国のジハード主義者、海兵隊の支配地域で権威の立て直しを図る部族の動きといったことだ。

 米軍はこれらの事件を通じて、敵のイラク人とよそ者集団との間に「拡大しつつある溝」があり、よそ者集団はイラク人側の利益に反する方針に従って動いていると確信するに至った。

 米国はこの分析にもとづいて、手に負えないジハード主義者は孤立と消滅に追い込み、それ以外の勢力は政治プロセスの拡大によって取り込みを図っていくという反乱鎮圧戦略を立てている。

「内戦の元凶は政府だ」

 しかし、武装反政府勢力の内部に遠心分離的な緊張要因がひそんでいることが、さまざまな兆候から読み取れるとしても、求心力はそれをしのいで強い。

 各地で起きている摩擦も、全国レベルでのまとまりがいっそう強まることを妨げるものではない。

 これらのグループは全体として、ある明瞭な戦略をもっていて、すべてのグループがそれに賛同しているように思われる。

 たとえ一致団結の原則が表面だけのものにすぎないにせよ、公式の声明を見るかぎりでは、他のグループに対する非難を大っぴらに口にすることで、この原則に背こうという者はいない。

 政治的プログラムを作るのは時期尚早で、不和の元になりかねないと、全グループが口を揃えて言っている。


 軍事作戦に関しては、優先順位のつけ方について意見が分かれることもあるにしろ、すべてのグループの行動が、ある非公式の同じ基本方針に則っている。

 その方針は、2004年11月のファルージャでの2度目の戦闘(3)を受けて、集団的な議論と反省が交わされるなかで形づくられた。
 つまり、米国の圧倒的な力に対して防御に徹するのは愚かだから、連合軍とイラク政府軍の展開が手薄な空白地帯に戦力を再配置する、という方針である。

 遊撃作戦をとることにより、復興の長期的かつ着実な前進を阻もうとするものだ。

 米国政権が立てた勝利戦略の3つのスローガン「掃討、掌握、復興」に対して(4)、「退却、再配置、略奪」を3本柱とする手ごわい対抗策がぶつけられているのだ。


 武装反政府勢力の結束を促している最大の要因は、内戦と「汚い戦争」の力学である。
 宗派的で、イランを後ろ盾にし、その意のままになっているシーア派政府に体現されるように、敵は第一に国内にいるという認識が、何にもまして彼らのスクラムを固めさせている。

 今やシーア派民兵の仕業だという犯罪を子細に述べ立てることが、さまざまなグループの情報宣伝活動の中心だ。

 ここ数カ月で複数のグループが、イラク政府軍のいくつかの部隊を名指しで優先目標のトップに掲げるようになり、なかには国内の敵との闘争に特化した集団の立ち上げを公言したグループすらある。

 これらのグループの公式声明によれば、内戦の危機の元凶は政府による演出や、その悪質な手法にある。

 政府は目的のためには手段を選ばず、なろうことなら集団虐殺すらやってのける。

 2006年2月にサーマッラでシーア派の聖廟が爆破された事件は、そうした意味で武装反政府勢力内部の結束を固める方向に働いた。

 この種の事件ではお定まりの容疑者ザルカウィは、サーマッラの事件によって立場を弱められるどころか、他のグループに向かって大いに身の潔白を証明できることになった。
 主立ったグループは皆、あれはイランと国内の親イラン勢力の仕業だと言い立てたからだ。

どのグループも、事件後にスンニ派アラブ人が受けた報復に関する「ルポルタージュ」を大量に流し、敵は我々を攻撃する口実を作るためなら自分の宗派の聖所を破壊することもためらわない恥知らずな連中だと強調した。

 あのようなことが、シーア派勢力の支配地で夜間外出禁止令の出されている最中に、警察官の制服を着た者たちによって成し遂げられたとすれば、敵方シーア派の民兵の仕業以外に考えられない。

 それがいくつもの非公式調査の結論である。

 ザルカウィのグループは、2005年末まで長い間サーマッラを支配していたのだから、あの事件よりも何カ月も前の時点で聖廟を破壊する機会はいくらでもあったはずだ、と言う者もある。


 そもそもアル・カイダ機構のようなグループが存続しているという事実自体が、武装反政府勢力の複雑で寄り合い所帯的な性質を示すものだ。

 広く流布した通念によれば、アル・カイダは根本的によそ者集団であり、外国人の義勇兵からなり、現場から遊離した指令系統に従っているとされている。

 しかし、これはとんだ浅はかな錯覚である。

 たしかにアル・カイダは、国際的なジハード主義ネットワークならではの圧倒的な資金力、動員力を見せつけてきた。

 だが、イラクで活動するためには現地における強固な基盤が欠かせない。

 たとえば殉教志願者の流れを絶やさないためには兵站活動が必要であり、それを主に担っているのはイラク人だと考えられる(志願者の移送、爆発物の製造、情報収集活動、戦術の立案、等々)。

 アル・カイダをめぐっては賛否が大きく分かれており、米国はそのメンバーを追い詰めようと多大な資金を投じている。


敵の手先が忍び込んできたり、密告が行なわれたりする危険は大きい。となると、じかに接触する周囲のイラク社会に(少なくとも受動的、相対的に)受け入れられることは、いやがうえにも重要な問題である。

 もしイラクの武装反政府勢力が、「テロリズム」と「民族解放闘争」の二極に分裂しているなどという誇張した見方が現実だったとすれば、アル・カイダ機構はとっくに消え去っていたことだろう。

[米国の作戦が見誤ったもの]


 このグループがしぶとく存続しているのは、武装反政府勢力に政治的な側面があるからだ。
 この側面は、はっきりと表に出てこないために無視されがちである。主立ったグループはきわめて政治的なゲームを展開しており、内部の権力関係や手持ちの資源の変化に応じて、そのイデオロギーや行動の方向調整を迫られる。

 この点にかけてのアル・カイダ機構の転換はじつにあっぱれであり、イラクに深く根ざした存在となるに至った。
 それは一面では戦術的な選択でもある。自己のイメージを「イラク化する」ことで存続を図っているのである。


 その指導者であるヨルダン人のザルカウィはきわめて毀誉褒貶が激しく、しだいに影を潜めている。
 代わって前面に出てきたのが、イラク系の名をもつ公式スポークスマン、アブ・マイサラ・イラーキである。
 アブ・ムサブ・ザルカウィという偽名には難局という意味がまつわりついているのに対して、マイサラという名前にはアラビア語で容易、気楽という意味が含まれている。

 この極端な対照は非常に意味深長である。

 このグループが犯行声明を出している軍事作戦の指揮権もまた、ひとりのイラク人に委ねられた。

 さらに、アル・カイダ機構は2006年1月に、イラク人組織と目される他の諸グループの協議会組織に加わった。

 この協議会では、第二次ファルージャ包囲戦の英雄である地域指導者アブダラ・バグダーディを議長として選出している。


 しかし、アル・カイダ機構の「イラク化」は、連合軍から加えられた強大な圧力の結果でもある。
 米国が軍事力と諜報部門をこのグループに集中させたことによって、外国人をはじめとする中核メンバーの相当数が捕らえられるか戦死した。

 2005年後半にNEFA財団が発表した組織図を見ると(5)、指導部メンバーのかなりはイラク系の名の持ち主である(イラーキ、バグダーディなど)。

 イラクの情報筋によれば、アフガニスタンでジハードを経験し、初期の指導的エリート層を形成した「アフガンのアラブ人」戦士世代が少なくなってきたことが、新しい世代の上昇を加速したという。

 血気さかんなイラクの若者と、機を見るに敏なごろつき連中の混在するこの世代は、先の世代より何をするかわからないし、暴力的傾向も強い。

 皮肉なことだが、米国がアル・カイダに固執してきたことで、このグループはイラク化し、現地基盤を確立するようになったのだ。
 アル・カイダ機構の転換の「成功」は、かなり大きかったはずの人的損失を現地での募集で補充できた事実によく示されている。


 要するに、「二つの川の国のアル・カイダ機構」という名称には大きな語弊がある。

 この組織と9・11事件を起こしたネットワークであるアル・カイダとのつながりは、かなり隔たったものでしかない。

 ウサマ・ビン・ラディンの顔は大いに活用されたが、彼はあくまで記号であって、宗教的な見解や実践的な助言が求められることはない。

 彼自身も、演説の中で一般論以上のことに踏み込むのは差し控えている。

 ザルカウィがイラクにおけるジハードに付与した方向性は、ビン・ラディンが堅持する立場のいくつかを公然と否認するものでさえある。

 ことに「国内の敵」との闘争を優先させていることは、「外国の敵」を優先するビン・ラディンとは相容れない。
 しかも、ビン・ラディンにとっては、シーア派もまたムスリム共同体に属するのであって、それを攻撃の対象とすることは認め難い。


 こうしてみると、イラクの紛争は、すでに現実となっているアル・カイダの組織崩壊を完遂するための残務処理的な戦闘として理解できるものではない。

 それ自体が立派な紛争であり、全世界のジハード主義者の力と関心をアフガンやチェチェン、あるいはパレスチナといった他の戦線から反転させ、引き寄せるひとつの磁極となっているのだ(6)。

 同時にそれは、他の紛争地に士気を鼓舞するメッセージを送り、戦闘技術を指南する放射の極でもある。

 この点は戦術の刷新、なかでも自爆攻撃が、イラクの平野で実践されてアフガンの山地に移入されたのであって、逆ではないことにも暗示されている。


 よくよく考えるならば、米国による敵の見立てからは、ひとつの重要な事実が忘れられている。
 ジハード主義ネットワークとイラク人勢力との連結は、固定的な枠組みに従っているわけではない。
 そこにあるはずだという溝をねらった反乱鎮圧作戦で、この連結が消滅するべくもない。
 内戦という展望を前にすれば、その火を掻き立てていると目される外国人戦闘員に対して、イラク人戦闘員が拒絶反応を示すはずだった。

 しかし厄介なことに、現実には武装反政府勢力の戦術的な結束がますます強まっている。この武装反政府活動は、イラク社会の分断に深く根ざしている。

 分断を激化させたのは米国の政策である。


(1) 詳細なリストに関しては以下を参照。International Crisis Group, << Intheir own words : Reading the Iraqi insurgency >>, Middle East Report,No.50, Brussels, 15 February 2006.
(2) デヴィッド・バレン、マチュー・ギデール「イラク武装反対勢力のイメージ戦」(ル・モンド・ディプロマティーク2005年5月号)。
(3) デヴィッド・バレン「焦土ファルージャ」(ル・モンド・ディプロマティーク2004年12月号)。
(4) National Security Council, << National strategy for victory in Iraq >>,Washington, November 2005.
(5) http://www.nefafoundation.org/miscellaneous/zarqawichart1005.pdf
(6) Cf. Thomas Hegghammer. << Global jihadism after the Iraq war >>, TheMiddle East Journal, Vol.60, No.1, Washington, Winter 2006.

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2006年5月号)

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Koichi + Saito Kagumi

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