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□パレスチナはだれの土地? 所有権めぐって相次ぐ論争 [アルジャジーラ]
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1981445/detail
パレスチナはだれの土地? 所有権めぐって相次ぐ論争
【アルジャジーラ特約15日】イスラエルは1948年5月15日に建国された。
この日はイスラエル人にとっては「独立記念日」だが、パレスチナ人やアラブ人にとってこの日は「ナクバ」、つまり「破滅」の日なのだ。
19世紀後半から1948年までの間、数千人に及ぶユダヤ人たちが定住するため、当時パレスチナと呼ばれていた土地に世界各地からやって来た。これによりパレスチナでの人口比率は大きく変わり、アラブ人は少数派に転落してしまった。
ブリタニカ百科事典によると、1914年当時、パレスチナの人口は約69万人だった。内訳はアラブ系イスラム教徒が53万5000人、キリスト教徒7万人(ほとんどがアラブ人)、ユダヤ人8万5000人だった。
1948年になると、全人口は190万人に増加し、内訳はアラブ人68%、ユダヤ人32%となった。それが今日ではイスラエルの人口は700万人で、その約5分の3がユダヤ人が占めている。
ユダヤ人たちは1948年に、ユダヤ人国家の創設を祝った一方、数千人のパレスチナ人たちは住んでいた家を捨て、隣接するアラブ諸国に避難した。
▽「自らの土地に戻っただけ」
イスラエルのジャーナリストでトークショー司会者のエヘズケル・ヤクビさんはアルジャジーラネットの取材に対し、この日を祝う理由を話してくれた。
「連合して一斉攻撃をかけてきた敵のアラブ諸国、それに英国の委任統治を打ち破って、われわれはようやく独立を宣言できたのだ」
こう話したヤクビさんは、ユダヤ人はパレスチナの土地の先住民であり、何年も前には数千人のユダヤ人が既に暮らしていた、と続けた。
さらにヤクビさんは「ユダヤ人は紀元70年まで、パレスチナの土地に住んでいた。われわれはこれを信じ、学校でもそう教えている。パレスチナの土地はわれわれの土地であり、われわれはただこの地に戻ってきただけなのだ」と強調した。
ヤクビさんによると、在エルサレムのユダヤ人はギリシャ人とローマ人とに2回攻撃を受け、これによりユダヤ人たちはパレスチナの土地から離れるようになったという。
▽米国の白人は欧州に戻れ
これに対し、ロンドンに本拠を持つアラビア語紙アルクドゥス・アルアラビのアブド・バリ・アトワン編集長は、「(イスラエルの)独立」という言葉は歴史を誤らせている基だ」と懐疑的だ。
さらにアトワン編集長は、「他人の土地を占領し、そこに住んでいた人たちを追い出した日を『独立記念日』として、どうして祝えるのだろうか」と話した。
続けてアトワン編集長は「ユダヤ人たちは2000年、3000年前にパレスチナの土地に住んでおり、戻ってきただけだと言う。イスラエルを支援する西側の諸国がこの話を信じるのなら、米国にいるすべての白人たちは欧州に戻れ、そしてトルコ人は中央アジアへ戻れと言いたい。全世界を再構築しなければならなくなる」と強調した。
米国の経済学者であるフレッド・ゴッセイル教授によると、オスマン帝国時代に多くのアラビア人がパレスチナの土地に移り住み、また、英国の委任統治時代には不法移民が多く入ってきていた。しかし、英国による1932年国勢調査はこうした実態を考慮していなかったという。
同結果を基にゴッセイル教授は「パレスチナの人口増加分のうち3分の1は移民によるものとする説は必ずしも不合理ではない」と指摘した。
ゴッセイル教授は「アラブ人たちの言い分も分かるが、それは正確とは言えない」との考えを示した。
イスラエル側はパレスチナの土地から住人を追い出したとの見方を否定するためにこうした論争を利用、その上で、自分たちが自らの土地に戻り、違法に入り込んでいたアラブ系住民を追い払ったのだと主張している。
これに対して、歴史学者でヘブライ大学のエホシュア・ポラス名誉教授はパレスチナの土地への移民問題について、第3の新たな見方を出している。
同名誉教授は、周辺諸国からアラブ人の大量流入があったとする説がシオニストの作家たちによる「神話」にほかならないと指摘している。
同名誉教授は「歴史家や地理学者による最近の調査結果が示しているように、アラブ人の人口は19世紀半ばに再び増え始めた。新たな要因がこの増加をもたらした。人口学上の大変革だ」と述べている。
さらに同名誉教授は「1850年代までは人口の自然増はなかったが、近代医学の発展に伴って人口増加が始まった。これらはオスマン帝国やキリスト伝道者たちがもたらしたものだ。新生児の出生数に変わりはなかったが、幼児の死亡率が低下した。これによりアラブ系の人口が増加した」と分析している。
こうした論争が後を絶たない中、パレスチナの庶民たちは今年も「5月15日」を最悪の日として忘れていない。当時の混乱を経験した者たちは、追い出された家の鍵を今も手にして、この日を迎えている。彼らにとり、この鍵こそが「パレスチナへの帰還」の権利を認める”証(あかし)”にほかならない。(翻訳・ベリタ通信=志岐隆司)
2006年05月20日01時08分