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(回答先: Re:ポスターで肥え太っているのはまるでブルジョワの方々のように見えます・・・超ブラックですね。 投稿者 ミスター第二分類 日時 2006 年 5 月 19 日 23:49:20)
預金せずに、買い占めて、高く売ろうとした悪人のせいでインフレが起こっていると流布されましたし。このころよりだいぶ前から銀行は悪人でしたけどね。
因みに、日本の戦争賠償金がどれくらいだったかと言うと、1945年当時で約1,000億円超だそうです。これを預金封鎖で預金を国に差し出して一部を引き当てました。
そこら辺の詳しい記載は下記から引用
http://www.eastwind.co.nz/newspaper/044/moneyflight.html
預金封鎖
日本では、相次ぐ銀行の経営破綻による国有化、銀行の不良債権の償却が進まないこと、ペイ・オフ(預金などの払い戻し保証額を1,000万円とその利子までとする措置)の全面解禁等により、預金者の銀行および金融市場に対する不安が高まっています。
その不安が高まる中、戦後、預金者の持つ苦い経験が再び起こるのではないかと懸念されています。その苦い経験とは、「預金封鎖」なのです。日本で起きた「預金封鎖」について、お話します。
日本は、第2次世界大戦で敗戦した年の翌年である1946年(昭和21年)の2月17日に、政府が突然、ラジオで国民に向け「預金封鎖」と「新円切り替え」を宣言しました。5円以上の旧券を強制的に預金させ、既にある預金と共に封鎖し、その預金による払い出しは新券で行われ、その払い出し金額は、毎月の生活費相当分と新規事業のみに制限したのです。そして、それ以上の預金は、最終的には切り捨てられました。
敗戦後の復興を急いでいた1946年当時、政府は1,000億円を超える「戦時補償債務」を抱えており、その処理が第一優先として進められました。戦時補償債務とは、軍事産業拡大に金融機関等が実行した融資に施された国家補償を意味します。1946年当時の国内総生産(GDP)である約800億円の1.25倍である約1,000億円超が、戦時補償債務の金額でした。現在では、630兆円規模に相当する途方もない莫大な債務でした。しかし、敗戦後の日本の財政には全く余裕がなかったため、「預金封鎖」と「新円切り替え」という手段に踏み切ったのです。「預金封鎖」と「新円切り替え」を実施することで、軍事産業に融資した銀行のバランスシートの調整を可能にし、融資した軍事産業の債権の補償を行おうとしたのです。軍事産業の企業の資産と負債を「新勘定」「旧勘定」に分け、銀行の資産と負債についてもこれに合わせて「新勘定」「旧勘定」に分けました。銀行は旧勘定の債務処理により自己資本がなくなり、債務超過に陥りましたが、その銀行の救済手段として、銀行にとっての「負債」である国民の預金を切り捨てたのです。つまり、戦後処理事項である国家の戦時補償債務を国民の預金で負担したのです。
戦争に勝つとこれくらいの賠償金を課せれるという、アメリカ国民への戦争への意欲を掻き立てるものになったか知りませんが、戦争を儲けるシステム、強い政府、強い軍隊へ向かわせるために必要だということで、非公式の会議で結論付けた賜物でしょう。