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戦争を仕掛けることで内閣、産業を制圧し、その後の復興作業を伴う国債乱発騒ぎ、その裏側を探る
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投稿者 姫 日時 2006 年 5 月 19 日 18:08:24: yNQo0naya4Ss.
 

アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか
菅原出(著)より抜粋

■ 20年代のドイツ債ブームを起こすための戦争か資本主義を守るためか

第二次世界大戦が終結してから51年が経過した1996年9月、イギリス外務省は突然、「スイスは大戦中にナチスが強奪した金塊の一部をいまだに隠匿している」という驚くべき発表を行い、それ以降スイスは世界中の非難の声にさらされた。ナチス・ドイツは大戦中、占領した国の中央銀行から金塊を奪い、それを中立国のスイスに運んで戦争に必要な物資の購入にあてていた。スイスは戦後、連合国と協定を結んでナチスに強奪された金塊をすべて返したとされていたが、この外務省の発表によれば「スイスはなお強奪金塊の一部を隠匿したままでいる」のだった。さらには、スイスの銀行が虐殺されたユダヤ人の持っていた預金口座を勝手に凍結し、虐殺されたユダヤ人の遺産が資産確認を求めてもそれに応じてこなかった事実が明るみにでて、ユダヤ人団体は次々にスイスの銀行に対する賠償請求を起こしていった。これ以降、このスイスの中立性を糾弾する本や事実が出版され、ナチスとスイスをめぐる国際金融の闇の一端が明らかにされた。

 1998年12月23日付のAP電は、「チェースマンハッタン銀行とJ・P・モルガン商会が、第二次世界大戦中にパリ支店を通じてナチスと協力し、数百万ドルのユダヤ人資産を略奪したとしてホロコースト遺族から訴えられた」とのショッキングなニュースを伝えていた。チェースマンハッタン銀行といえば、アメリカのロックフェラー家が保有する名門中の名門銀行で、スタンダード石油とも関係の深い銀行だった。ロックフェラー・グループは独IGファルベン社と全面的に提携しており、ナチス・ドイツとは切っても切れない関係になっていた。だからロックフェラー家のチェース・マンハッタンがナチスと協力関係にあったとしても、それはむしろ当然とも言えるかもしれない。

 一方のモルガン商会も、1920年代のドーズ案やそれに続くドイツ債ブームで活躍し、しかもモルガン傘下のゼネラル・エレクトリック社やゼネラル・モーターズ社がドイツに莫大な投資をしていたので、ドイツとは非常に縁の深い銀行だった。チェースマンハッタン銀行とJ・P・モルガンは7つの銀行とともにアメリカの銀行としてはじめて、「ユダヤ人の預金口座と秘密金庫を差し押さえ、戦後もそれを隠し続けた」としてユダヤ人グループから訴えられた。原告側弁護士のケース・マッキャリオン氏は「これらの銀行に当時の帳簿を公開し、原告の被害を認めて損害賠償するように求める」とのコメントを発表した。原告団が訴えの根拠としたのは、1945年4月にアメリカ財務省がまとめた「大戦中の米銀行の活動報告」であった。

 1998年に極秘扱いを解かれて公開されたこの財務省レポートによると、チェースマンハッタン銀行は、アメリカとドイツが開戦した後も、ドイツ人資産をフランスから敵国ドイツへ送り続けたという。「チェースのパリ支店はナチスがフランスを占領した後も通常業務を続け、ドイツ大使館の口座を保有し続け、同銀行のシャトーヌフ支店は、ドイツ人の資産を、ドイツやドイツ占領下の国へ送金し続けた」とレポートは記している。

 だが、これらは氷山の一角に過ぎない。アメリカ金融界や産業界の中には、1920年代からドイツに莫大な投資をし、ドイツ政財界と親密な関係を築いた一大勢力が存在した。この「親独派」経済エリートたちは、ドイツ人の取引相手と強力なパートナーシップを築き、重要な投資を共有していた。またお互いの属する階級を資本主義経済に対する脅威や世界経済における米独関係の重要性に至るまで、さまざまな問題で意見を共有していたのである。チャーチルやルーズベルトの策略で戦争に巻き込まれたものの、ドイツとの戦争はもともと望まざる戦いだったのだ。

 このように「無理やり戦争に引きずりこまれた」と感じる「親独派」経済エリートたちが対独戦に熱心になれるはずがなかった。そこで戦前ナチス・ドイツと手を組んでいたアメリカ企業の多くが、アメリカの参戦後も「通常通り」の営業を試みたのだ。


■ 敵国との取引を続けたハリマンとブッシュ

 第二次世界大戦前から戦中にかけて、アドルフ・ヒトラーの最大のスポンサーになったドイツの富豪テュッセンが設立したオランダにある貿易海運銀行が、ウォール街からヒトラーへの送金に使われていた。実はこの銀行はアメリカ財界のエスタブリッシュメントに直結する銀行であった。テュッセンの貿易海運銀行は、ニューヨークにあるW・A・ハリマン商会と提携関係にあり、ニューヨークのユニオン・バンキングという銀行をコントロールしていた。ユニオン・バンキングはハリマン財閥とテュッセン・グループが共同プロジェクトでニューヨークに設立した銀行で、同行の取り締まり役会にはローランド・ハリマンやテュッセン銀行のカウエンホーヴェン頭取が名を連ねていた。1940年の時点でオランダの貿易海運銀行はユニオン・バンキングの約220万ドルの資産を保有しており、一方のユニオン・バンキングはそのほとんどの業務を貿易海運銀行との取引にあてていた。ユニオン・バンキングはつまり、アメリカン・マネーをこのオランダの銀行を通じてドイツに投資していたのである。

 このユニオン・バンキングで社長を務めていたのが、ジョージ・W・ブッシュ大統領の曾祖父にあたるジョージ・ウォーカーである。「アメリカにおけるヒトラー支持者の一人」と言われたウォーカーは、義理の息子であるプレスコット・ブッシュ(現大統領ジョージ・Wの祖父)をユニオン・バンキング就けた。プレスコットは1926年にW・Aハリマン商会の副会長に就任し、活発にドイツ債を商い、20年代のドイツ・ブームを起こしたウォール街の「仕掛け人」の一人だったのである。

 フリッツ・テュッセンは1939年にドイツに亡命していたが、ハリマンやブッシュたちが築いたドイツとの関係はそれ以降も生きており、とりわけテュッセンの同僚であった鉄鋼王フリードリヒ・フリッツとの関係が深まっていた。フリッツはヒトラーの政権掌握後にドイツ経済を支えた重要な財界人の一人で、大戦後のニュールンベルグ裁判では戦犯として裁かれた人物である。フリッツは戦前からアメリカの投資家グループと組んでポーランド最大の製鉄会社を支配下におさめていたが、この投資家グループの中核を占めていたのが、ユニオン・バンキングの取締役たちだった。ちなみにこのグループにはジョン・フォスター・ダレスも参加していた。

 こうしたユニオン・バンキングのナチスとの関係は、アメリカの参戦後も絶える事がなかったため、アメリカ企業による敵国との取引を取り締まっていたアメリカ政府の目に留まった。そしてアメリカが大戦に引きずり込まれてから十ヶ月が経った1942年10月、ユニオン・バンキングは遂に政府の差し押さえ命令を受けた。

■ アメリカ財界がヒムラーに贈った「裏金」

 アメリカの財界とナチス・ドイツを結ぶ資金ルートは他にもあった。その鍵を握る人物はナチスの銀行家クルト・フォン・シュレーダー男爵である。シュレーダー男爵はケルンのJ・H・シュタイン銀行の頭取で、1930年代初頭には銀行家シャハトらと共にヒトラー政権誕生のために奔走し、1933年1月4日には、自宅にヒトラーとフォン・パーペン元首相を招いて秘密会談を実現させた黒幕的雰囲気を持つ銀行家である。のちにヒトラーの経済顧問ヴィルヘルム・ケプラーと共にケプラー・クライシスの主要メンバーとなり、ヒトラーとドイツ財界をつなぐパイプとしての役割を果たしていた。ケプラー・クライシスは後に、ナチス親衛隊長官のハインリヒ・ヒムラーを主力メンバーとして迎え入れ、1933年、34年以降は「ヒムラー友の会」と呼ばれるようになる。「ヒムラー友の会」は親衛隊を介してナチス党指導部と財界首脳が直接交流する機会を提供するとともに、シュレーダーのJ・H・シュタイン銀行に設けられた秘密口座を通じて親衛隊へ流すパイプとしても機能していた。

 この人物の力の源泉はその広範な国際ネットワークにあった。シュレーダーは、「中央銀行の銀行」と呼ばれたスイスの国際決済銀行(BIS)の理事を務めていたが、この銀行は第二次世界大戦中に敵対する連合軍と枢軸国の代表団が公然と会い、敵味方を超えて緊密に協力し合う場だった。シュレーダーはこのBISを通じて世界の金融界の首脳と定期的な接触があったが、とりわけウォール街とは太いパイプを持っていた。1936年に親族が経営するニューヨークのJ・ヘンリー・シュレーダー銀行が、ロックフェラー・グループと全面的に手を組み、新たな投資銀行シュレーダー・ロックフェラー銀行を設立したのである。この銀行の取締役会には、ロックフェラー家の当主ジョン・D・ロックフェラーの甥にあたるアヴェリー・ロックフェラー、ブルーノ・フォン・シュレーダーとともにクルト・フォン・シュレーダーも名を連ねていた。この新会社の法律顧問にはジョン・フォレスター・ダレスとアレン・ダレスのコンビが就任するという豪華な顔ぶれだった。「親独派」米財界人とシュレーダー・グループが手を組んで出来たこの投資銀行は、ちょうどヒトラーが権力基盤を安定させ、ドイツ経済が再び息を吹き返した1936年に誕生したのだった。

 こうしたシュレーダーの国際コネクションを反映して、「ヒムラー友の会」ではアメリカ資本の代理人たちの姿も見られた。まず他ならぬシュレーダー自身が米ITT社(国際電話電信会社)の利益を代表していた。シュレーダーはITTの独子会社の一つのスタンダード・エレクトリッツィテーツ・ゲゼルシャフト(SEG)社の取締役に就任していた。シュレーダーはITTのドイツにおける権益を守るように雇われたのだが、シュレーダーはそのためにITTに対し「ヒムラー友の会」に寄付金を支払うよう働きかけたようだ。実際ITTは定期的に「ヒムラー友の会」に寄付金を送り、1944年の末時点でさえ、ITT社のドイツ子会社の一つミックス&ゲネス社が5千ライヒスマルク、ロレンツ社は二万ライヒスマルクを寄付していた。この裏金のお陰で、ITTのドイツ子会社は大戦中を通してナチスから「敵国資産」として没収されることなく、通常通りの営業を続けることができた。

 またシュレーダーがニューヨークで手を組んだロックフェラー・グループの代理人も、「ヒムラー友の会」に参加していた。ロックフェラーの中核企業であるスタンダード石油(ニュージャージー)社はドイツ子会社ドイツアメリカ石油(DAPAG)社を設立し、バンブルクの本社、ブレーメンの精製所を中心にドイツ全土に支店網を展開していたが、このDAPAGの取締役カール・リンデマンが「ヒムラー友の会」の常連になっていたのである。リンデマンはドイツ大手のドレスナー銀行やハンベルク・アメリカ汽船の取締役、それにドイツ国際商工会議所の会長も務めていたドイツ財界の重鎮の一人で、スタンダード石油はこの人物を通じてナチスの中枢に繋がりを持ち続けていた。DAPAGは1943年と44年にそれぞれ1万ライヒスマルクの寄付を「ヒムラー友の会」に納め、リンデマンも個人で4万ライヒスマルクを支払っていたと記録されている。

 こうしてアメリカ財界の「親独派」は、クルト・フォン・シュレーダー男爵が幹事長を務める「ヒムラー友の会」を通じてヒムラーの親衛隊に「裏金」を送り、彼らのドイツにおける権益を保護してもらうよう務めていたのである。


参考文献など参考ください 
http://www.geocities.jp/hcyym228/topic8.html

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