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(回答先: 救国の草莽の志士さんへの質問(その2)〜雑談板リンク 投稿者 ウソ捏造工場 日時 2006 年 5 月 13 日 14:58:28)
「核爆弾・・・ですか?」と考えられないとおっしゃっておられるようですが・・・・・・・
http://www.asyura2.com/0601/idletalk17/msg/861.html
投稿者 救国の草莽の志士 日時 2006 年 5 月 16 日 11:35:57: fzrYJ5Wj4Dt36
(回答先: 了解しました。 投稿者 ウソ捏造工場 日時 2006 年 5 月 15 日 18:49:42)
日航ジャンボ123便の事故直後の証言の中に、
証言1
「長野県南佐久郡川上村の主婦によると,午後六時四十分ごろ、飛行機が低く飛ぶ大きな音が聞こえたという。外へ出て見ると,飛行機は南から北に向かって飛んでおり、左を下げるように旋回しながら三国山の向こう側に消えた。そのとたん、「ドーン」という大きな音がして、空が真っ赤になり、原爆のようなキノコ雲があがった、という。」(朝日新聞社会部編「日航ジャンボ機墜落」朝日新聞の24時/40頁)
証言2
「誰かが「光るものが飛んでくる」と叫んだ。巨大なジャンボ機が山の端をかすめるようにゆっくりと飛んでいた。南東の方向の山の上からゆっくりと近づいてきた。頭の上で右旋回し始め北へ向かった。木のかげに隠れたので50mほど走って行くと、機の後ろ姿が一瞬見え、そのまま山かげに隠れた。その間一分弱。20秒くらいして山の向こう側に真っ赤なキノコ雲が立ち上がった。それは数秒で消えて、二つ目のキノコ雲が現れた。その十数秒後、黒い煙がモクモクわいてきた。」(川上村の加藤隆志君証言)
証言3
「飛行機は赤ランプを点滅させていた。右旋回するときかなり右へ傾いた。フラフラと不安定だった。スピードは、ゆっくりだった。山の向こうへ見えなくなると、しばらくして低いドーンという音がかすかに聞こえた。キノコ雲が見えたのはその頃だった。」(川上村の関一二三君)
証言4
「飛行機がこんなところをと話しながら見上げると、低空でゆっくりしたスピードで右へ旋回した後、山の向こう側に消えた。ドーンと鈍い音がして雲が真っ赤になり、黒い煙がキノコ雲のようにあがった。」(川上村の鶴田太美さん)
証言5
「北東の方角で巨大な灰色をした、原爆のキノコみたいなのが見えた。こりゃ爆発かなと思った。」(午後六時四九分、川上村の林太一郎さん)
証言6
「三国山の向こう側の群馬県側に、東京方面から低空で飛んできた飛行機が右旋回しながら、真っ逆様に落ちて行くのが見えた。山並みに機体が消えたと思ったら二、三秒して雲が真っ赤に染まり、五、六秒して原子雲のような真っ黒な煙が上がった。」(午後七時ちょっと前、川上村消防団長の林岩さん)
証言7
「ゴーンという音をさせなながら、航空機が低く飛んでいた。長野、山梨、埼玉県境の甲武信岳方向から飛んできて上空を右に旋回して北東の方に行った。まもなくして雷が落ちるようなバリバリという大音響がし、二度ほどパッパッと光った。そのうちネズミ色のキノコ雲が上がった。墜落したなと思った。」(川上村の井上薫さん)
証言8
「マンションのベランダから西空を眺めていたところ、突然雲の透き間から太陽が射すようなオレンジ色の閃光を見た。双眼鏡で覗くと、両側から青、真ん中から赤い光を発した大型機が北の方へ消えた」(埼玉県浦和市の写真家吉岡功治さん)
ここで、全ての証言に共通している「キノコ雲」は、ふつうの飛行機事故では、起こらない。余程の重大な事態が発生したのである。航空評論家の関川栄一郎氏は、「二度にわたる赤いキノコ雲は、墜落で主翼内にある燃料タンクの航空燃料が爆発、炎上したもの」と解説しているが、果たして航空燃料の引火爆発で、本当に「赤いキノコ雲」は出るのか。911事件の旅客機の世界貿易センタービルへの激突の際に、補助タンクにも満タンに積載されていた航空燃料が噴出して2機目の衝突でも赤い大きな炎を上げて燃え上がったが、「赤いキノコ雲」にはならなかったではないか。「突然雲の透き間から太陽が射すようなオレンジ色の閃光」と「赤いキノコ雲」とは核爆発の際に発する現象だろう。もし、米軍機が、真相隠しの為の証拠隠滅と生存者の口封じの皆殺しを伴走/随行の当初から意図していたとしたら、墜落現場を一瞬に焦土と化して、航空燃料での火災に見せかけて、戦闘機搭載の小型核ミサイルを装備して、追尾・撃墜したとしても、何らの不思議もない。「ピカっという閃光」とは、ミサイル発射時の閃光か、熱線追尾型の空対空ミサイルがエンジンに命中した際の閃光か、キノコ雲は地上に激突したときに発生したのか、墜落後に現場に生き残っていた生存者を証拠にならないように硝煙反応ごと、証拠隠滅で打ち込んだ核ミサイルだったのか?
これを裏付ける事実に、地震波の記録がある。前掲の朝日新聞社会部編「日航ジャンボ機墜落」朝日新聞の24時/97頁)によれば、墜落現場付近の長野県川上村に設置されていた東大地震研究所の微小地震計は、ジャンボ機の墜落現場の異常振動を正確に記録していた。地震波は、三波に分かれ、第一波は、午後六時五十六分二十六秒過ぎから観測され、三秒後に第二波がきた。この最初の二つの波は、一秒ほどで減衰した極めて微小なものであったが、午後六時五十六分三十一秒から観測された第三波は、約五秒間の大きな揺れの後も、重病近く細かな振動が尾を引く大きな波であった。後に、事故機のフライトレコーダーやボイスレコーダーの分析から、123便の日航機墜落時間を特定した有力証拠となったが、前の二波が123便の機体が地上と接触/衝突した二度の地震波だったとして、問題なのは、前の二波とは全く異質の第三波であろう。これは、明らかに機体の地上への衝突とは異なる異常振動であって、追尾していた米軍機による証拠隠滅のためのミサイルが墜落現場目がけて、地上に打ち込まれた証拠隠滅の為の小型核ミサイルだったのではないだろうか?
以上が、小生が現場の多数の証言と墜落現場付近の長野県川上村に設置されていた東大地震研究所の微小地震計から読み取れる事実のみから正確に判断出来る、科学的根拠である。