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<東京裁判>評価変遷 米軍、私信検閲で把握
東京裁判について1946年の開廷間もない時期に国民の約8割が支持していたのに、48年の判決時は半数が否定的な見方だったことが、当時私信を検閲していた米軍機関がまとめた報告書(月報)から分かった。川島高峰・明治大学助教授と毎日新聞が、月報を分析調査した。川島助教授は「従来、感覚的に語られていた当時の国民の思いがデータとして確認できた。今日まで続く東京裁判への評価の変遷がうかがえて興味深い」としている。
私信検閲は、米軍傘下の民間検閲支隊(CCD)が実施。45年10月〜49年にかけて東京、名古屋、大阪、福岡などで行われていた。結果を46年9月から「PERIODICAL SUMMARY(定期刊行物要約)」の題で月1、2回程度報告書にまとめていた。月報には「戦犯裁判への反応」の欄があり、川島助教授は米国立公文書館に所蔵されていた月報のコピーを「占領軍治安・諜報(ちょうほう)月報」(現代史料出版)として、順次出版している。
月報の46年9月15日付(2号)は、検閲私信のうち約460通に戦犯裁判に関する記述があり、80%程度が裁判に賛意を示すと報告。当時は検察側立証が行われており、翌10月1日付(3号)も「80%が裁判は公正と考えている」などと記載している。
だが、47年末に被告の東条英機元首相が「自衛戦だった」と証言した後に一変。48年2月15日付(25号)は40%が裁判に登場する被告を非難する一方、30%が東条被告を称賛していると報告している。3月15日付(26号)は、東条被告への信頼と支持を示す手紙が60%あったとする。「特に20〜30代に目立つ」と危機感を示したうえで、「戦時中のプロパガンダの浸透を示す」と分析している。
月報によると、東条被告への支持は、この後急速に冷めたが、東条被告ら7人の絞首刑執行(48年12月23日)直後の49年1月15日付(36号)では、裁判全体への賛否が54対46とほぼ二分。量刑の妥当性についても23%が同意を示す半面、49%が不当と考えているとまとめている。【竹中拓実、曽田拓】
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東京裁判は戦時中の指導者28人が「平和に対する罪」などに該当するA級戦犯として起訴された。ほかにも岸信介・元国務相(後に首相)ら戦前の閣僚らがA級戦犯容疑者として逮捕されていたが、7人の絞首刑が執行された翌日、全員の釈放が発表された。川島助教授は「予定されていた2次裁判などが取りやめになった背景に、私信検閲で日本人の反感が高まっていることを知ったことがあるのではないか」と話している。
▽吉田裕・一橋大大学院教授の話 マッカーサー司令部は、占領政策を日本人が受け入れているか神経質になっていた。東京裁判について世論調査することは、占領軍批判につながりかねないため、検閲で本音を探るという手段を使ったのだろう。東京裁判の進行に伴って日本人の受け取り方が変わっていったことが裏付けられ、貴重だ。当初、国民は東京裁判を受け入れていたのだが、内容を知るにつれ疑問に思うようになったのだろう。東条被告への好感が一時的に高まり、直後に揺り戻しが起きたことなど興味深い。
(毎日新聞) - 4月30日3時5分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060430-00000006-mai-soci