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ブレジンスキーの名が出てきたので旧稿を再録する。
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/s911-12.html
『9・11事件の真相と背景』
あとがき
●米大統領補佐官(ブレジンスキー)がソ連の侵攻以前のアフガニスタンCIA謀略を自認
9・11事件からアフガン侵攻と、目まぐるしいばかりの毎日が続いた頃、ある匿名希望のわが電網宝庫読者から、私宛の私信で、新しい情報が届いた。この読者は、ユーゴ戦争に関する私の電網宝庫記事を検索で知って、それを読み、以後、カスピ海周辺の石油資源問題から各種の電網情報をたどり、いくつかの情報を提供してくれていた。その読者が、2001年10月17日に、アフガニスタンでのアメリカのCIA工作に関する新情報を発見して教えてくれたのである。以下が、その通信の内容の抜粋である。
「ジミー・カーターとアフガニスタン支援政策の開始について、1998年に、カーター政権当時のブレジンスキー補佐官がフランスのヌーヴェルオブセルヴァトゥール誌に語った記事の採録が、インターネットにありましたので、再録してお送りします。これは、フランス語の記事を英訳したものです。[中略]以下の記事によると、カーターも補佐官や情報機関も、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻するほぼ半年前の1979年7月3日から反ソ分子への秘密援助を始めていたということです。この日、7月3日、カーター大統領が最初の秘密援助の指令に署名したとのことです」
これは実に貴重な情報だった。この当時、つまり、私がこの情報を受けた2001年10月のことであるが、アメリカは、アフガン空爆を開始した。日本の大手メディアは一斉に、日本人向けのアフガニスタンの現代史の解説を始めていた。どのメディアも、「1979年12月」に「ソ連が侵攻」してから、アメリカがCIA工作を開始したのだと説明していた。この説明だと、「いきなり」侵攻したソ連が一方的な悪者になり、その時のCIA工作の結果として、いわゆる「イスラム原理主義者」の「テロリスト」を育成してしまったアメリカの方が、相対的に善玉になってしまう。
私は、急遽、フランス語の記事の存在も確かめ、一応は読み、参照しながら、英語の方との対訳の形式にして、即日、以下の通信で発表した。その中から日本語の部分だけを、若干の改訂を加えて紹介する。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/akuukan-01-10-47.html
『亜空間通信』47号(2001・10・17)
【ムジャヒディン援助はソ連の侵攻以前のCIA謀略と大統領補佐官が認めていた】
以下が英語版の電網宝庫で、英語だけの原文が入っている。
http://www.counterpunch.org/brzezinski.html
Zbigniew Brzezinski: How Jimmy Carter and I Started the Mujahideen
以下がフランス語の原文の画像である。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/brzezinski.gif
LES REVELATIONS D'UN ANCIAN CONSELLER DE CARTER
このフランス語の題名の拙訳を「元カーター大統領補佐官が語る歴史の真相」とする
[以下、拙訳の全文]
ズビグニュー・ブレジンスキーに対する『ル・ヌーヴェル・オブゼルヴァトゥール』(フランス)1998年1月15‐21日号のインタビュー記事(76頁)
質問 CIAの元長官、ロバート・ゲイツは、彼の回顧録『物陰から』の中で、「アメリカの情報機関はソビエトの干渉の6か月前にアフガニスタンでムジャヒディンを援助し始めた」と述べた。この期間に、貴方はカーター大統領の国家安全保障補佐官であった。したがって貴方は、この工作で何らかの役割を果たしたと思われるが、その通りか?
ブレジンスキー はい、その通り。政府の公式発表に基づく歴史によれば、ムジャヒディンに対するCIAの援助は1980年、すなわち、1979年12月24日にソビエト軍がアフガニスタンに侵攻した後に開始されたことになっている。しかし、現在まで極秘にされてきた事実に基づくと、この記述は完全に間違っている。実際には、カーター大統領がカブールのソ連寄り政権の敵手に対する秘密の援助のための最初の指令に署名したのは、1979年7月3日であった。まさしくその日、私は大統領に向けて、この援助がソビエト軍の干渉を誘発するであろうという私の意見を彼に説明するための書面をしたためた。
質問 この危険を承知の上で、貴方は、この隠密作戦の唱導者の一人となった。ところで多分、貴方自身、この時にソビエトの参戦を望み、この作戦を、それへの挑発と見なしていたのではないか。
ブレジンスキー まったくその通りとは言えない。我々はロシアが介入するように背中を押したわけではないが、故意に彼らがそうする可能性を増やしたのである。
質問 ソビエトが彼らの干渉を正当化して、彼らの意図が、アフガニスタンへのアメリカ合衆国の隠密の関与に反対して戦うことにあったと主張したとき、人々はそれを信じなかった。しかし、真実の基礎があった。貴方は現在、何ら後悔しないか。
ブレジンスキー 何を後悔せよと言うのか。あの隠密作戦は卓見であった。あれは、ロシアをアフガニスタンの罠に嵌める効果を挙げたのであって、それを貴誌は、私に後悔せよと言うのか。ソビエトが公然と国境を越えた日、私はカーター大統領宛てに書いた。我々は今、ソ連にベトナム戦争を与える機会を得た、と。その通りに事態は進み、ほぼ10年の間、モスクワは、政府が耐えられない戦争を続けねばならなくなり、その紛争が軍の士気崩壊とついにはソビエト帝国の解体をもたらしたのである。
質問 貴方は、イスラム[原理主義]を援助し、将来のテロリストに武器と助言を与えたことについても、まったく後悔しないのか。
ブレジンスキー 何が世界の歴史の上で最も重要なのか。タリバンか、または、ソビエト帝国の崩壊なのか、わずかばかりの扇動されたイスラム教徒なのか。あるいは中央ヨーロッパの解放と冷戦の終結なのか。
質問 あれを、わずかばかりの扇動されたイスラム教徒と言うのか。現在、イスラム原理主義は世界の脅威を代表すると、何度も繰り返し語られているが。
ブレジンスキー ナンセンス! 西側にはイスラム教に対しての世界的な方針があったとも語られているが、愚かなことである。世界的なイスラム教などはない。イスラム教を、民衆扇動の目的や感情を抜きにして、合理的な方法で見るべきである。あれは15億人の信者を擁する世界の主要な宗教である。しかし、原理主義のサウジアラビアと、穏健なモロッコと、戦闘的なパキスタンと、西欧びいきのエジプトと、あるいは、中心アジアの世俗主義と、それらの中のどこに共通したものがあるか。キリスト教国の団結と似たり寄ったりである。
*この雑誌には少なくとも二つの版がある。米国議会図書館にあるおそらく唯一の例外を除くと、アメリカ合衆国に送られた版はフランスの版より短くて、その短い版にはブレジンスキー・インタビューが入っていない。[後略]
この最後の「*」印以下の部分は、英語版の訳者の注釈を拙訳したものである。これも、アメリカの巧みな情報操作の手口の一つである。
なお、前記のごとく、『ル・ヌーヴェル・オブゼルヴァトゥール』の側は、質問の中で、当時の「ソビエト」の「主張」を記している。以下、その部分だけを繰り返す。
質問 ソビエトが彼らの干渉を正当化して、彼らの意図が、アフガニスタンへのアメリカ合衆国の隠密の関与に反対して戦うことにあったと主張したとき、人々はそれを信じなかった。しかし、真実の基礎があった。[後略]
つまり、1979年から1980年頃にも、「ソビエト」の方の「主張」を検証すれば、その主張と一致する「合衆国の隠密の関与」の「真実の基礎」を明らかにできる契機があったのである。この時にも、「ソビエト」の歴史的な評価は別として、やはり、アメリカの動き、謀略を疑うべきだったのである。
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