★阿修羅♪ > 戦争80 > 328.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
□ジャワド・アル・マリキの横顔/BBC [イラク情勢ニュース]
http://www.freeml.com/message/organizer-news@freeml.com/0001210;jsessionid=mh7jig5533
--------------------------------------------------------------------
☆★ジャワド・アル・マリキの横顔
Profile:Jawadal-Maliki
BBC 2006年4月21日
--------------------------------------------------------------------
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/4932468.stm
ジャワド・アル・マリキはダーワ党の立役者である−−ダーワ党はシーア派政
治家のグループで、政教分離を唱えたサダム・フセインのバース党指導部に長年
にわたって地下で武装抵抗を率いてきた。
バース党政府がその反対者を取りしまったとき、マリキ氏は他のダーワ党指導
者にしたがって亡命した−−1980年に国外に逃れ、やがてシリアに避難場所
を見つけた。
2003年にサダム・フセインが倒されたあと、ダーワ党は主要な政治勢力と
して登場した−−その先駆者のなかにマリキ氏もいた。
彼は最近では、2005年12月の占拠で最大議席を占めたシーア派政党連合
およびダーワ党のスポークスマンとして働いてきた。
彼はイラクの暫定首相となったダーワ党指導者イブラヒム・アル・ジャファリ
の一番の助言者であった。
(昨年12月の)選挙のあと、ジャファリ氏が首相職にとどまることに反対し
たスンニ派とクルドは、シーア派ブロックに替わりの首相候補としてマリキを指
名させた。
◆米国の戦術への批判
ダーワ党ナンバー2の指導者(=マリキ)は1950年にイラクのヒッラに生
まれたといわれる。
彼はバグダッド大学でアラビア文学を学び、結婚して4人の子どもがいる。
首相候補に指名されるまで国際的には比較的知られてない人物だが、マリキ氏
はそれでも米軍進攻後のイラクを方向づけるのに大きな役割を果たした。
彼はイラクの新憲法の草案作りを助け、バース党の名残を粛清することを任務
として米国によって設置された委員会のメンバーであった。
この委員会の仕事は、名前だけのバース党員にすぎない政府職員にまで取り締
まりを拡大したとの批判を浴びた。
選挙後は、マリキ氏はイラクのさまざまな宗教・政治グループをまとめる政府
という合意作りを助けた。
彼はイラクのシーア派に対する攻撃を強く批判し、米軍の採用した対ゲリラ戦
術を強く批判したことで知られる。
◆「聖職兼任者のイラク」
彼は最初は首相候補となるような人物と思われてなかったが、それはジャファ
リ氏に近いからでもあった。ジャファリ氏の首相候補指名はスンニ派とクルドの
政治家から激しく反対されていた。
BBCのジェームズ・レイノルド記者によると、今後、マリキ氏がジャファリ氏へ
の反対者にも勝利を収めるかどうかは、彼の政治姿勢よりも彼の人格にかかって
いるだろう。
亡命先から帰国する前、彼は将来のイラクがどんな社会になるのを望むかと質
問されたことがあった。
マリキ氏はこう応えた−−さまざまな民族と宗派が互いに対等とみなされる多
元共存主義的な(※)イラクの実現を望む、と。
※多元共存主義 pluralist : この言葉は「聖職兼任者」という意味でも使
われる。ダーワ党が彼らの理解する意味でのイスラム色を強くうちだし、世俗的
、政教分離的な考えを否定して、イスラム的な慣習を必要以上に国民に強制して
きたこと、またシーア派民兵や治安部隊などによるスンニ派の一般住民への攻撃
を容認してきたことを考えると、多元共存というより聖職兼任という言葉の方が
現実に合致しているように思われる。小見出しで使われた引用符つきの「PluralistnIraq
」を聖職兼任者のイラクと訳したのはその意味がある。