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(回答先: 父親の命ごい無視し射殺 近所の住民が米紙に証言(イラク)【東京新聞】 投稿者 東京音頭 日時 2006 年 5 月 30 日 08:54:07)
以下は 「机の上の空 大沼安史の個人新聞」 から転載。
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2006/05/post_2cda.html
2006-05-30
〔イラクから〕 「ハデサ事件」 頭を打ちぬかれた少女の遺体を収容 「脳(漿)がブーツに」 帰還海兵隊員が証言 心的外傷に苦しむ日々
「ハデサ事件」の現場に居合わせた、若い米海兵隊員が、米紙ロサンゼルス・タイムズ紙(電子版、5月29日付け)に、当時の模様を証言した。
証言したのは、カリフォルニア州ハンフォードの実家に帰還した海兵隊上等兵、ロエル・リヤン・ブリオネスさん(21歳)。
ブリオネスさんはファルージャ侵攻の際、負傷し、「パープル・ハート」勲章を授与された戦歴の持ち主だが、いま、イラク戦争による心的外傷に苦しんでいる。
証言によると、昨年(2005年)11月19日の午前7時過ぎのこと、所属する海兵隊キロ中隊が駐屯する「スパルタ基地」(学校の校舎に設営)から300メートル近く離れた地点で「ロードサイド(道路脇)爆弾」が炸裂し、ブリオネスさんを含む5人の部隊が呼び出された。
10分後、現場に到着。
道路脇に仕掛けられた爆弾が爆発した現場は住宅街で、煙が漂い、混乱した状況だった。
そこでブリオネスさんは、親友のミゲル・テラザス上等兵(20歳、テキサス州出身)が、破壊されたハムビー装甲車両の中で、からだを真っ二つに引き裂かれ、死んでいるのを目の当たりにする。
「顎のところに大きな穴が開き、目玉は頭蓋骨のなかにのめりこんでいました」
ブリオネスさんは戦友の遺体にポンチョをかけ、短い祈りを捧げた。
「安らかに眠ってくれ。お前はおれのブラザーだ。愛しているよ」
爆発のあと海兵隊員たちは、武装抵抗勢力を求めて掃討作戦を開始した。
近くの3軒の民家に海兵隊員たちが侵入し、虐殺を行ったのは、その最中だった。
ブリオネスさんはしかし、虐殺の模様を直接、見てはいないという。
ブリオネスさんらの部隊は、ロードサイド爆弾で負傷した2人を救助する作業にとりかかり、二人を近くのサッカー場に運んだ。ヘリで野戦病院に運ぶためだ。
ブリオネスさんたちは任務終了後、そのまま「スパルタ基地」に引き揚げたという。
親友をなくしたブリオネスさんに、次の悪夢が訪れたのは、その日の夕方のことだった。
呼び出しがかかって、現場に5時半ごろ、到着した。
ブリオネスさんはデジカメでの撮影を命じられ、電池がなくなるまで、少なくとも15人の遺体をカメラに収めた。
そのあと、ブリオネスさんの部隊は、犠牲者の遺体に数字をマークし、ボディーバッグ(死体袋)に入れる作業を命じられた。
ブリオリスさんは同僚の作業をサポートしていた。
そのとき、彼に「最悪の瞬間」がめぐって来た。
頭を撃たれた少女の遺体を自ら取り上げたときのことだ。
ロサンゼルス・タイムズ紙の記者に対し、ブリオネスさんは「こうやって取り上げた」と、腕を伸ばしてみせた。そして言った。「でも、少女に首がぴょこん、ぴょこんと上に行ったり下を向いたり。それで、頭蓋骨の中身(脳)が、ぼくの足にかかったんだ」
死んだ少女の脳(脳漿)がブーツを汚したのだ。
同紙の記者のインタビューを、涙を流しながら聞いていた母親のスージーさん(40歳)によると、ブリオネスさんはそのあと何度も、イラクから自宅に電話をかけてよこした。そのとき、ブリオネスさんは母親にこう訴えた。
「ママ、ぼくはブーツを拭えないよ。ぼくはブーツを拭えない。あの子(少女)のことが見えるんだ」
ブリオネスさんは作業を終えて、基地に引き揚げた。現場を撮影したオリンパスのデジカメを置いて、その場を離れていた最中、何者かがデータをダウンロードしたようだった。ブリオリスさんは、現場で何もみなかったふりをしようと、撮影データを全部消去した。
ことし4月の初め、カリフォルニアの実家に帰って来た。
帰宅してすぐ、とんでもないことを仕出かした。
トラックを盗んで住宅の居間に突っ込んだのだ。
母親によると、ブリオネスさんは「心的外傷」の治療を受ける一方、断酒団体にも参加して不安と闘っているそうだ。
ハデサでの、親友と少女の無残な死。
イラク戦争は、ひとりのアメリカの若者を心をズタズタに切り裂き、いまなお苛(さいな)み続けている。
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